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寺山修司による美術館論。「美術館=忘却の機会 知の劇場としての考察」

雑誌『美術手帖』1981年11月号より、寺山修司「美術館=忘却の機会 知の劇場としての考察」を公開。7000字を超える論考では、人間と美術館のあり方に対していまなお色褪せない寺山の考察が展開されている。

文=寺山修司

寺山修司 撮影=有田泰而 提供=テラヤマ・ワールド

 寺山修司(1935〜1983)は、青森県弘前市生まれ。演劇、短歌、映画、評論、そのほか数々の分野で功績を残し、作品や著作は現在まで国内外に影響を与えている。

 本記事では『美術手帖』1981年11月号の「私たちの美術館」特集より、寺山修司による論考を公開する。特集の冒頭ではメルロ=ポンティによる美術館批判が取り上げられ、作品を「死んだ歴史性」に閉ざすものとしての美術館の是非が問われている。1980年代初頭の国内外の美術館の展示風景、美術館学芸員による討議などが掲載され、当時の美術館をめぐる諸問題が読みとれる。

 なかでも寺山の本論考は、江戸川乱歩の小説『盲獣』の奇妙な冒頭に始まり、ロアルド・ダールの短編『皮膚』の顛末に終わるかたちで「〈物〉の終着駅」としての美術館の現状に批判的に切り込むものとなっている。

美術館=忘却の機会 知の劇場としての考察 

 美術館は、アプリオリに存在しているのではなく、時に応じて成り立つものである。それは、しばしば「在る」ものではなく、鑑賞者の体験によって「成らしめられる」無名の形態なのだ。 

 §

盲獣──作品に手をふれないで下さい 

 浅草歌劇の全盛時代に、レヴュー界の女王とうたわれた水木蘭子が彫刻のモデルになったことがある。 

 大理石にきざまれた彼女の立像は「レヴューの踊り子」と題されて、上野の美術館に陳列され、展覧会の話題作の一つにもなった。ある雨の日、蘭子自身がその彫刻を見にゆくと、台座にのぼりつくようにして熱心に鑑賞している一人の人物がある。彼は、鑑賞しているというよりは、両手で愛撫しているのだ。 

 蘭子は、自分の裸身を撫でまわされるような恥ずかしさを感じ、別の彫刻の影からじっと男の様子を見守る。 彼の五本の指が、蜘蛛の足のように無気味に這いまわっている。目、鼻、口、男は花びらのような唇を長いあいだ楽しんでいるようだ。 

 年の頃は三十四、五歳。黒の冬外套を着て、黒い鳥打帽を眉がかくれるほど真深にし、大きな青ガラスの目がねをかけたその男は、どうやら正常な人間ではないらしい。

「めくらよ、あの人」
「そのようだわね」 

 江戸川乱歩の「盲獣」は、こうして美術館の描写からはじめられる。盲人のサディストは、彫刻にあきたらなくなって、やがて生きた肉体の彫刻化をもくろむ。猟奇的な創造欲は、「盲人のための、さわれる彫刻」の現実化として、殺人事件におよんでゆくのだが、そのことについては、他で触れることにしよう。問題は、盲人によって創られる淫靡な触覚美術についての「読みとり方」 である。「盲獣」は、乱歩のユートピアの奇妙な退行的性格のあらわれだ、という指摘も一方にはある。

 だが、乱歩のこうした幼児的性格が、美術鑑賞へのもっともラディカルな関心をしめすものだ、ということもまた確かなことなのだ。

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