ダグ・エイケンの個展が久しぶりに開催されている。2002年、東京オペラシティアートギャラリーでの個展「ニュー・オーシャン」以降、欧米での圧倒的な存在にもかかわらず、日本ではその作品を見る機会はほとんどなかった。今回、エスパス ルイ・ヴィトン東京で展示されている《New Ocean: thaw》(2001)は、制作から20年近く経つものの、色褪せることなく、むしろこの混沌とした現在にこそ見るべき作品としてふさわしいものだった。
エイケンは、1999年ヴェネチア・ビエンナーレに出品した8画面で構成されたヴィデオ・インスタレーション作品《Electric Earth》で国際賞を受賞し、その後は映像にとどまらず、写真、彫刻、パフォーマンス、建築プロジェクトなど、表現と活動の領域を拡張していった。
《Sleepwalkers》(2007)と《Song1》(2012)では建物全体をプロジェクションで覆うことで美術館の外側の環境に変化を与えた。《Black Mirror》(2011)では、船上でのヴィデオ・インスタレーションとライブパフォーマンスを実施。2016年には海底に鏡や人工岩からなる直径12メートルの構造体を沈め、人々に海への関心を向けさせる《Underwater Pavilions》を、2017年の《Mirage》では砂漠に鏡張りの家を建て、周囲の環境と作品が一体化するような壮大な作品を制作している。《Station to Station》(2013)では、著名なミュージシャン、アーティストらに声をかけ、動く光の彫刻として設計された列車で約3週間かけてニューヨークからサンフランシスコまで移動し、途中9ヶ所の駅で停まり、様々なパフォーマンスを繰り広げた。
エイケンは作品と鑑賞者、作品とその展示空間の境界をできるだけなだらかにし、ポップカルチャーとアートとの垣根を軽々と乗り越えてきた。いまや地球上のあらゆる場所と対象が彼の作品に取り入れられる可能性を秘めている。規模は拡大しているものの、初期作品から一貫しているのが人間と環境についての探求である。
《New Ocean:thaw》はアラスカで撮影された映像で、氷河が溶けていく様相や、空、太陽、氷、水という自然の要素をマクロ及びミクロの双方の視点からとらえ編集されている。限りなく抽象度の高いシーンもあれば、氷河の様子を俯瞰したシーンなど、自然現象の断片が緩急をつけて切り替わる画面展開は見る者をとらえて離さない。
ダグ・エイケンの作品の多くに共通している特徴として、動きと速度が挙げられる。グローバルで着実に加速している現代という時代を探究する彼の姿勢は、絶えず変化とスピードを伴って表現される。そして、もうひとつの特徴として、空間の境界を克服しようとしていることだ。ここでは円形に近いスクリーンが、鑑賞者を取り囲み、 映像の世界へと没入させ、独特の鑑賞体験を促す。彼の作品は美しくスペクタクルな映像やサウンドによる官能的な知覚体験から始まり、気がつくと鑑賞者は積極的に作品へと介入している。それは作品の「前に」ではなく、「中に」いる経験なのである。
また、《New Ocean:thaw》が今日的であると言えるのは、スペクタクルな自然環境の変化を見せつつも、氷河が溶けていく音が電子音とミキシングされたり、レンズの効果を利用した映像の扱いなど人為的な介入を際立たせている点だ。自然と人間の両者の存在が混ざり合っている。彼はこの作品について「自然の要素や最小限の一連の要素を用いて、見る人を引き込み、人間がその一部をなしているという、より大きな生態系について考える力を見る人に与えるものをつくりたかった」と述べている。この点において、本作品が制作された20年前よりも一層、作家の問題意識がこの混沌とした現代に呼応しているように感じるのである。