椹木野衣 月評第88回 無重力アトリエから新・洞窟絵画へ 「Facing west looking east? 牛波展」
1990年代初めに彗星のごとく日本で頭角を現して以来、牛波(ニュウ・ボ)は、先日、日本での個展を終えた蔡國強を継ぐ、さらに若い中国・現代美術の急先鋒として、まさしく飛ぶ鳥を落とす勢いにあった。
大空にセスナ機を飛ばし、数キロ四方に及ぶ飛行機雲で描かれる「大空絵画」。無重力実験機を改造し、大気圏内に一時的に無重力状態をつくり出し、その中でみずから絵を描く「無重力アトリエ」。これらは、蔡の「火薬絵画」と並び、ちまちまと「ガラパゴス化」しがちな日本の現代美術界に、たいへんなスケール上のインパクトをもたらした。
だが日本では、その底知れぬポテンシャルを持て余したのだろう。まもなく牛波は活動の拠点をニューヨークに移す。そしてNASAに協力を求め、より大規模な無重力アトリエによる世界一周制作計画を立案し、実現へと着々と歩みを進めつつあった。私が彼と知り合ったのも、この頃のことである。
すでにニューヨークの有力なギャラリストとの知己も得ていた。もし彼が「普通のアーティスト」だったら、新時代の中国を象徴する新たな「スター」として名乗りを上げるのは、そんなにむずかしいことではなかったはずだ。
ところが牛波は一転。遠いチベットに思いを切り替え、彼の地で永く伝えられてきた鳥葬に強い関心を持つようになる。そして現地で、修業ともパフォーマンスとも制作ともつかぬ世界に没入すると、やがて、私たちの前から忽然と姿を消した。
そんな牛波が今年、突如として中国のアート界に帰り咲き、いま大変な評判を呼んでいる。実はその後、彼は、中国の山深くに籠り、少なからずの者が命を落とす本格的な仏教の修業に没頭していたのだ。
暗闇だけがすべてを支配する洞窟でひとり過ごす荒行を経たうえで、純粋な闇の中で非・光学的に見えてくる閃光の現われを目の当たりにした牛波は、ついに新たな絵画の制作に着手。これらを定着するため、金箔・銀箔を貼った特殊な支持体をつくり上げ、中国の故事にならい、手製の巨大な筆をも自作。
修業場に根を張る樹から縄で身を吊り、簡易の無重力状態をつくり出し、岩場の山肌に非均衡に張り巡らした支持体上に宙吊りとなって一気に描く、まったく新しい「水墨画」をつくり出した。その膨大な成果の一端を披露したのが、今回ここで評する個展なのである。
そこでは、これまでの遠大な「迂回」が、誰にも予想がつかぬかたちで凝縮・再生され、まるで大宇宙の星雲のように生成・爆発している。さらに牛波は漢字の発生を独力で歴史を遡り、いちから研究。近く、中国の漢字研究に一石を投ずるであろう大部の著作として刊行する。私が北京で見た新作には、これらの知見と技法が、惜しげもなく投げ込まれていた。
こうして、文字が文字として発生するか否かの、かたちと意味がせめぎ合う発生の現場にまで辿り直し、牛波は、観る者を容赦なくその渦の中に落としていく。近くいまいちど日本に戻り、「無重力アトリエ」を再現する計画もあると聞く。あれから四半世紀あまりが経ち、今度は牛波がいったいどんな「無重力絵画」を描くのか。大いに期待したい。