10年目の回顧
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「回顧展」という言葉には、どこかベテランの人生の集大成、すごろくの上がり、という響きがある。
加藤翼は2010年に大学院を修了しているから、活動歴ほぼ10年の、若手から中堅に移行しつつあるアーティストだ。その加藤が今回の「縄張りと島」で、10年の活動を振り返る「回顧展」を行った。これを見て、ミッドキャリアの回顧展っていいなあ、と思った。
ひとつの作品には、初出時には見えないたくさんの可能性が眠っている。こうした作品たちを召喚して、これまでとは異なる文脈に位置付け、新しい意味を引き出すのが回顧展だ。加藤は今回、作品を制作年順には並べなかった。そして、たとえば「カン・カン・カン・カン」という木槌の音が一定の調子で鳴り続ける《A》(2009)と、巣穴に取り付けられた鈴がプレーリードッグの動きにしたがってチリチリと音を出す《Underground Orchestra》(2017)を、音というつながりによって同じ空間に置いた。音という要素は、続く一番大きな展示室の「引き倒し・引き興し」シリーズの音声に引き継がれ、次いで回廊部分の、互いに引き合う力に逆らって楽器を演奏する《Woodstock 2017》(2017)や《2689》(2019)につながった。こんなに楽しい再編作業を行うのに、何も人生の終わりまで待つ必要はないだろう(しかし、伸び盛りのアーティストの回顧展を今回のような規模で開催できる施設は、日本にはとても少ない。その意味で加藤は幸運な例外だ。この問題はまた別の機会に考える必要がある)。
とくに加藤はこれまで、プロジェクトに参加する人と、展覧会でその痕跡を見る人との間に生じる経験の違いをどのように扱うか、という問題に、自覚的に取り組んできた(*1)。その意味で今回の展示は、まさに、展覧会という場でしかできない経験をいかに成立させるか、という問いに対するひとつの回答となっていた。
加えて、加藤の歩んだ10年は、2011年の東日本大震災から2019年の「あいちトリエンナーレ 情の時代」まで、日本の美術界に久々に訪れた「政治の季節」とぴったり重なっている。あとでまた立ち戻るが、だから加藤の10年を回顧することは、2010年代の「政治の季節」の景色を改めて見渡すことにもつながるのである。
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加藤といえば、3.11後の福島で行われた《The Lighthouses-11.3 PROJECT》(2011)に始まり、ネイティヴアメリカンの苦難の歴史の転換を図る《Boarding School》(2013)や《Black Snake》(2017)、マレーシアで無国籍者として暮らす難民と共に行った《Break it Before it’s Broken》(2015)など、はっきりとした社会への問いかけをプロジェクトの出発点に置く作家というイメージがある。しかしわたしは今回の「回顧展」のおかげで、加藤の作品の根底にいくつかの意外な側面が隠れていることを学んだ。以下に、「引き倒し・引き興し」シリーズを中心に3点あげよう。
1点目。インドネシアで撮影された《Haul the Whale First》(2008)という作品が、会場の出口に近い回廊の一隅に展示されていた。人類創世の旅をたどる「グレート・ジャーニー」で知られる探検家・医師の関野吉晴の旅に同行した際に撮影された、最初期の映像だ。漁師たちが海に入り、大きなクジラに縄をかけ、岸に引き上げようとしている。「引き倒し・引き興し」シリーズの出発点に、おそらく人類の始まりから行われているだろうこんなにも古い協働作業の光景があったのか、と驚いた。
2点目。加藤の作品の基礎に抜きがたく物理の問題があることもまた、今回の発見だ。じつはわたしも小さな箱を使って引き倒し/引き起こしの実験をしてみたのだが、うまく箱を動かすためには、力を加える「力点」、動きを支える「支点」、力が働く「作用点」を周到に配して、「てこの原理」を適切に作動させなければならない。
とくに、構造物の下辺にロープをかけて、引き倒し/引き起こしと反対方向に引っぱる「後ろの人たち」の役割は重要だ。この人たちの力が構造物に支点を与えないと、構造物は引き倒される/引き起こされるのではなく、たんにずるずると地面をすべってしまう。先ほどの《Haul the Whale First》や、ヴェトナムでボートを引き起こす《Guerrilla Waves》(2017)のような例では、物体が先のすぼまった円筒形をしているため、地面に接する支点をうまく作ることができず、思うように物体を引き寄せる/引き起こすことができないのである。
会場には、隠れキャラのように、例えばギザのピラミッドについて書かれた本の上でソーラーパネルのついたモニュメントらしきものを、また人体標本について書かれた本の上で顕微鏡を、それぞれ引き倒したり/引き起こしたりする小さな人々のオブジェが置かれていた(《LES TROIS GRANDES EGYPTIENNES》2021、および《人体絵本》同)。これらのミニチュアを見ると、前に引くため構造物の上部に取り付けたロープと、後ろに引くため構造物の下部に取り付けたロープとのバランスを取りながら、少しずつ構造物を望みの方向に動かす、という作業の全体像がよくわかるだろう。これらのオブジェは、何かを立てる/倒すための協働作業が、何千年もかけて物理の法則を探ってきた人間の知恵の集積の上に成り立つものであることを教えてくれる。同時にまた、ピラミッドや塔、城や大仏といったモニュメントの建立が、人々のこころを一つの方向にまとめるための方途として、権力者によって都合よく使われてきた歴史も明かしてくれる(だから、引き倒し/引き起こしを権力者のものから弱い立場に置かれた人々のものへと奪還する加藤の作品であってさえ、そこにはたんなる「いい話」ではすまされない、集団の陶酔と力の行使に対する緊張がある)。
そして3点目。やはり初期の《凹凸01》(2007)で、加藤は、自分の部屋を2.5分の1サイズで再現した構造物を母親と共に引き起こしている。また《凹凸02》(2008)では、通りすがりの中年の女性二人に引き起こしへの加勢を頼んでいる。
加藤が設定する協働作業は、大きな構造物を動かす、互いに引き合う力に逆らって楽器を演奏するなど、強い力を必要とするものが多い。このようなタスクの性質は、じつは、力を持たない(または持つと見なされにくい)人々をタスクへの参加から排除する一面を持っている。
それゆえに、力という観点ではなく、手近にいる人、時間に余裕がありそうな人、だからおもしろがって頼みに応じてくれる人、という観点で選ばれた上記2点の女性たちとの協働作業は、その後の大きなプロジェクトとはずいぶん雰囲気が異なっていた。大きなプロジェクトでは、引き倒し/引き起こし完了時のカタルシスが際立つ。これに比して、女性たちとの協働作では、いやいや重いしこんなの無理でしょ、何やってんのわたしたち(笑)、とでも言うべき、作業の過程に生じる空気に光が当たる。
展覧会にあわせて配信された作家との対談のなかで、小田原のどかが、かつて自身も参加した、ほぼ女性のみで行われた引き起こしのプロジェクトについて触れている(*2)。これが展示されていれば会場に並ぶ他のすべての作品の見え方が変わったのではないか、という小田原の指摘に、わたしも同意する。その可能性の片鱗を見せてくれたのが、今あげた女性たちによる2点の作品だったのだ。ここにまた、別の編集作業の可能性が顔をのぞかせている。
(3)
最初に述べた通り、加藤の過ごした10年は、2010年代における日本の美術界の「政治の季節」に重なっている。2011年、東日本大地震後の福島県いわき市で、失われた灯台を模した構造物を地域の人々と共に引き起こした《The Lighthouses-11.3 PROJECT》により、加藤は大きな注目を集めた。2019年には、一部の展示が閉鎖され問題となった「あいちトリエンナーレ2019」で、思想信条を超えた話し合いの場として、毒山凡太朗と共に「サナトリウム」を立ち上げた。加藤は間違いなく、「政治の季節」を牽引してきたアーティストのひとりである。
アーティストもまた、今の時代を生きるひとりの人間である以上、どんなかたちであれ、社会や政治の状況と無縁に表現を行うことはできない。その点を今さらながらはっきり示したという意味で、2010年代の10年には大きな意味があった。しかし、思い返してみると、その先頭にいるのはいつも、30代から40代の男性アーティストのグループだったような気がする。そこに女性の姿は少ない。例えば「あいちトリエンナーレ2019」では、先の小田原を含め、何人かの女性アーティストが、いくつかのグループによる動きに加わらず、独自の対処を行った。次の10年に、この景色は変わるだろうか。
加藤の「回顧展」は、こんなふうにして、加藤の、のみならず日本の美術界の次の10年を構想するための手がかりまで与えてくれた。
だからあらためて言うけれど、回顧展っていいなあ。
*1──「カタストロフと美術のちから」展(森美術館、2018‐19年)における「プレ・ディスカッション・シリーズ 05 『美術かアクティビズムか』」(2018年)に登壇した際、加藤はこの問題を、ロバート・スミッソンの「サイト/ノンサイト」の考え方を応用して探っていると発言している(『カタストロフと美術のちから』展カタログ、森美術館、2018年、p.160)。
*2──「『加藤翼 縄張りと島』オンライントークvol.2(小田原のどか×加藤翼) https://www.youtube.com/watch?v=Npq1wog-ZCw[最終閲覧日:2021年10月11日]