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60〜80年代、出版文化を押し上げた編集者。鈴木俊晴評「ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」展

晶文社を立ち上げた編集者で、ウィリアム・モリスの研究者でもあった小野二郎の展覧会が、世田谷美術館で開催された。モリスの芸術運動をめぐる考察を日本で展開させ、ヴァルター・ベンヤミンやポール・ニザンなどの著作をいち早く紹介するほか、ジャズやロック、映画関連の書籍も数多く出版。60〜80年代の出版文化に少なからぬ影響を与えた。生涯を通して「ユートピアの思想」追い求めたいち編集者の活動をたどる本展を、豊田市美術館学芸員の鈴木俊晴が考察する。

文=鈴木俊晴

展示風景より 撮影=上野則宏

コレクションと地縁、編集者とキュレーター

 いわゆる美術作品があることを前提とする美術館で、編集者の展覧会、しかも大学で長くイギリス文学を講じた教員としての肩書きも持つ編集者の展覧会を仕立てるには、通常とは違うキュレーションの技術が求められたことだろう。それは、後述するように、また別の展覧会の可能性を示唆するものであった。

展示風景より。小野が愛用していた本棚や、買い集めたイギリスの品々 撮影=上野則宏

 晶文社の辣腕編集者にして、筋金入りのウィリアム・モリス主義者であり、後年高山建築学校において石山修武や大江宏、そして建築史家の鈴木博之らと密に交わった小野二郎のこの展覧会が、世田谷の地縁や美術館の所蔵品が直接間接のレイヤーをなし、並列する組織として文学館を擁する世田谷美術館だからこそ実現した企画であることをまず指摘しておきたい。

 展覧会は小野のモリスへの傾倒を示すセクションから始まる。モリス全集を中央に、彼とその妻・小野(旧姓高平)悦子が収集していたイギリスの骨董品や土産物を集めた小野の書斎から始まり、小野が「モリスの法則」と呼んだ、現代の複製印刷による書籍の美しさの基準となっているケルムスコット・プレスや、モリスの真骨頂と言える壁紙に続いて、小野の著作やその草稿などが並ぶ。

 このセクションにおいて、モリスの「造形」が備えていたラディカルな側面がじゅうぶんに示されていないのが残念ではある。とはいえ、その思想の灯火を伝え続けている彼の「言葉」に比べると、今日の視点から、モリスの造形活動のポイントを、ケルムスコット・プレスや壁紙、あるいはまた(本展には出品されていないものの)モリス商会の様々な家具などのみから汲み取るのは確かに難しい。日本で開催されている多くのモリス展が繰り返す「アフタヌーン・ティー」的な、むしろすでにキッチュですらあるモリス像に抗い、その革新性を作品を通して展示会場において詳らかにするには、今回のカタログにも掲載されているような、より詳細な視覚資料などを会場内に掲出する工夫がなされてもよかっただろう。

展示風景より。ケルムスコット・プレスの書物 撮影=上野則宏

 ともあれ、モリスが小野のうちに灯した原動力がいかに大きなものであり、それがどのように結実したのかは、続く「編集者」としてのセクションをみれば明らかである。はじめて勤めた弘文堂での短くも多産な時期に、そして友人の中村勝哉と起こした晶文社で彼が携わった書籍がずらりと並ぶその様は、文学でも、美術でも、そして音楽でも、いずれも硬軟を問わず多彩であり、そして一つひとつの粒の立った異彩さがまた強烈に私たちの目を惹く。

 その豊穣な支流の源に小野というひとりの編集者がいた。そこでは、ひとりの表現者を回顧するときの、その途方もなさ、見るものに並び得ないのではないかと畏怖の念を抱かせるに十二分な達成が示されている。カタログ内のエッセイで林道郎が指摘するように「『オルターナティブ』な可能性のアウラを大気圏のように」まとうこれらの書籍のもつ魅力は、平野甲賀によるブックデザインも相まって、展示室の空間において存分に味わうことができる(多様な執筆陣によるカタログも本展の魅力のひとつだ)。

展示風景より 撮影=上野則宏

 展示は最後のセクションに入るにあたって急展開を見せる。ちょうど冒頭のモリスの書籍のデザインから建築の設計までを反復するように、高山建築学校に関わった小野の、例えば書簡であったり、雑誌への寄稿であったり、あるいは大江宏や鈴木博之らの資料が並ぶ。なかでも石山修武が世田谷にセルフ・ビルドで建てた世田谷村のドローイングの伸びやかな想像力はどこか小野の自在な展開と呼応するようだ。現実においてもそうだったように、この展示は、編集者セクションを蝶番にしながら、モリスと石山を接続している。

展示風景より。中央は石山修武《世田谷村(模型)》(2018)。壁面にはドローイングが並ぶ 撮影=上野則宏
石山修武によるドローイング

 冒頭にふれたように、この石山のドローイングは、2008年の世田谷美術館での展覧会を機に同美術館の所蔵となったものである。また、モリスのセクションにさりげなく展示されている、小野の妻・悦子が愛したローレンス・スティーヴン・ラウリーによるイギリスの駅舎の風景を描いた慎ましやかな油彩画も、アンリ・ルソーをはじめとする素朴派のコレクションで知られる同美術館からの1点である。あるいは小野の触媒によって初めての単著を晶文社から出すことになった植草甚一のアーカイヴ的な資料は世田谷文学館のコレクションによるものだ。コレクションと地縁を出発点として様々なネットワークによって実現された本展は、まるで編集者という存在のあり方そのものを示すようでもある。

ローレンス・スティーヴン・ラウリー《歩道橋》(1936)の展示風景 撮影=上野則宏

 数少ない編集者をテーマとした美術館での展覧会として、2017年に世田谷美術館をはじめとして国内数ヶ所を巡回した「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」があるが、『暮しの手帖』の表紙絵も手がけていた花森がそこでどこかひとりの作家のように紹介されていたとしたら、本展において、モリスと石山というD.I.Y.精神に満ちた2人の「建築家」に挟まれた小野はここで確かに存在しながら、むしろあくまで一歩引いたところにいるような感がある。

 いささか唐突ながら、その在り方を展覧会におけるキュレーターに置き換えてみたい。振り返ってみれば美術批評家やコレクターについての展覧会はたびたび開催されているものの、編集者についての展覧会同様、キュレーターにまつわる展覧会は日本ではこれまでほとんど開催されていない(*)。

 例えば伝説的な「展覧会屋」のハラルド・ゼーマンは11年にゲッティ・インスティチュートが収蔵した彼のアーカイヴにまつわる展覧会がすでに各地を巡回しているし、ポンピドゥ・センターの初代館長のポントゥス・フルテンやフランクフルトの近代美術館の立役者であるジャン=クリストフ・アマンは、それぞれゆかりのある美術館にアーカイヴが設立され、研究が進められている。それらもまた遠からぬうちに展覧会として日の目をみることになるだろう。本展は編集者を取り上げた珍しい展覧会としても記憶されるべきだが、おそらくはまた、いつか日本でキュレーターについての展覧会が開催されるとき、ひとつの参照点となりうるポテンシャルを秘めているように思われる。

*ーー例えば、いわゆる「御三家」を振り返る展示は、2015年に宮城県美術館で「わが愛憎の画家たち──針生一郎と戦後美術」、翌16年にDIC川村記念美術館で「美術は語られる―評論家・中原佑介の眼―」、そしてコレクション企画ではあるが今年に入って富山県美術館で「美術評論家 東野芳明と戦後美術への旅」が開催されている。日本におけるキュレーターについての展覧会としては東谷隆司についての「未来の体温 after AZUMAYA」(アラタニウラノ・山本現代、2013)が思い起こされる。奇しくも東谷の代表的企画のひとつ「時代の体温」(1999)は世田谷美術館で開催されたものだった。

編集部

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