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2019.6.21

美術作品に「時間」はどう作用する? 高嶋慈 評「タイムライン 時間に触れるためのいくつかの方法」展

京都大学総合博物館で、「モノ」としての美術作品と時間をテーマにした企画展「タイムライン 時間に触れるためのいくつかの方法」が開催されている。インストーラー、修復士、美術史家が参加し、作品の科学分析結果や作家のインタビューも展示された本展について、美術批評家の高嶋慈がレビューする。

文=高嶋慈

展示風景より 撮影=守屋友樹
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芸術作品の(複数の)「生」をみるために

 (美的対象ではなく)資料体を学術的知のもとに扱う「博物館」において、「物理的存在としての芸術作品と時間」に焦点を当てた企画展。5組のアーティストの実践に加え、インストーラー、修復士、美術史家が企画に参加する。展示の軸となるのは、版画家の井田照一が1962年から2006年に亡くなるまで制作し続けた「Tantra」シリーズ。画面上部に円、下部に矩形という統一フォーマットは抽象的な幾何学構造ながら、瞑想のためのマインドマップを思わせるような秘儀性さえも漂う。油絵具、水彩、鉛筆、パステルなど描画材は多岐に渡り、シルクスクリーン、フロッタージュなど多様な版画技法も使用される。また、井田が収集した石、砂、骨、羽根や、身体の一部(皮膚、髪、爪、体液)も絵具に混ぜ込まれたりコラージュ素材に用いられ、経年変化によって変色・腐敗していく作品と、癌に冒され死に向かう自身の肉体がアナロジカルに結ばれる。本展では、本シリーズをアクリル板で挟んで直立させ、作品の「裏面」も見られるように展示。「ボージョレー・赤・墨」といったメモ書きから、使用素材をうかがい知ることができる。こうした作家自身による文字情報に加え、保存修復の調査方法に用いられる様々な光学写真(顕微鏡写真、紫外線写真、絵具の元素を特定する蛍光エックス線分析のマッピング)も並置される。また、井田の収集品(石や羽根、スッポンの甲羅、鏡や口紅など)も展示され、文字情報、科学的分析結果、現物資料を通して作品の物理的組成が複合的に示される。

展示風景より 撮影=守屋友樹

 ただ、展覧会全体を通して感じたのは、「物理的組成や構造の分析」の比重の高さであり、コンセプトの「時間に触れる」「時間の可視化」「芸術作品の辿る生の過程(及びその多様性)」と実際の展示内容との間には、齟齬や乖離があるように感じた。例えば、「絵画の組成や構造」への関心から制作する加藤巧は、絵画作品とともに、遮光線、紫外線、蛍光エックス線による分析画像を並置。筆触の凸凹や絵具が含む元素の分布が、「絵画を視覚的データとして記述する」もうひとつのメタ絵画として提示された。また、彫刻家の大野綾子の作品は、「石」という素材の堅牢性を軽やかに裏切る、丸みを帯びた柔らかい形象が魅力だが、本展では、岩石サンプルと、鉱物の内部構造を示す分析画像が並置される。

加藤巧の展示風景より《To Paint (heavy metal) #01》(右、2019)と《「To Paint (heavy metal) #01」を記述する》(2019) 撮影=守屋友樹

 「時間的変容」そのものを作品化したのは、インストーラーとしても活動する𡈽方大。胞子の成長や雪が溶けゆく地面を思わせるインスタレーションは、会期中に尿素の結晶が成長し、最終的には劣化していく。また、土木技術や建築、デザインなど異なる職能のメンバーからなるアーティストユニット、ミルク倉庫+ココナッツは、科学的事例と日常的で卑近な例を組み合わせ、一見かけ離れた2つの事物に共通する時間構造を抽出して図式化した(*1)。展示場所の性格を考慮し、現物、図式化、解説をセットで淡々と並べる手つきは、「博物館的まじめさ」の装いのなかにおかしみを誘う。

ミルク倉庫+ココナッツ それらはしっかりと結ばれていて、さらに離れたキャビネットに閉じ込められています−それでも、物は動かされ、音楽は演奏されます。“The brothers are securely tied, then locked in their cabinet - and yet objects are moved, instruments play and so forth. ”(部分) 2019 撮影=守屋友樹

 だが、本展の構成への根本的な疑問は、「近現代以降、素材と技法の多様化により、芸術作品の生はどのように変容し、作品の『寿命』への考え方はどう複雑化したのか」「時間的経過とともに作品がたどる生の過程を浮き彫りにできないか」を問うのであれば、「修復」や「再制作」された作品、あるいは「タイムベースト・メディア作品」を含めるべきではなかったか、という点だ(*2)。展覧会コンセプトの掲げる原理的問いは非常に重要だが、展示内容がそれらの問いに応えているとは言い難い。

 折しもほぼ同時期の関西および広島では、「作品の保存修復」「再制作」「非永続的な作品の(再)生と死」「タイムベースト・メディア作品を通した時間の可視化」を扱った複数の好企画が見られた。例えば、広島市現代美術館の「美術館の七燈」展では、美術館の軌跡、役割、課題を照らす「七つの灯り」のひとつとして、保存修復に関する1章を設けている。吉原治良の絵画作品の公開修復に加え、日用品や消耗品の「逸脱的使用」をデモンストレーションした映像と現物で構成される田中功起の《everything is everything》(2005-06)、66台のブラウン管テレビをV字型に積み上げたナムジュン・パイクの《ヒロシマ・マトリックス》(1988)が展示された。「最小限かつ可逆的な介入」を基本理念とした延命措置、実体的な境界が曖昧な作品を時間を越えて再生させる「譜面」である「インストラクション(指示書)」作成の必要性、技術的更新や機材の劣化とともにメンテナンスや「寿命」を迎えるメディア・アート作品の宿命というように、それぞれ異なる「保存」の様態や考え方が示された(*3)。

 また、京都府立植物園で開催された「生きられた庭」展では、積み上げた巨大な段ボールが自重で崩れていく、野村仁の初期の代表作《Tardiology》(1968-69)が再制作された。京都府立植物園では、「生と死の循環、両者の切り離せなさ、人間の管理と自然のバランス、自然災害の教訓」について考えてもらうために、昨年9月の台風で倒れた樹や切り株を「展示」として残している。「死体安置所」としての美術館ではなく、日々成長し、倒木や切り株が「苗床」となって新たな命を育む動態的な環境のただなかで、エフェメラルな素材を用いて「時間的変容」を可視化する本作の再制作を見られたことは、大きな収穫だった。

 また、大阪のアートコートギャラリーで開催された今井祝雄の個展「行為する映像」では、1960年代後半~80年代前半の映像作品を展示。初の映像作品《円》(1967)は、パンチで1コマずつ穴を開けられた16mmフィルムを投影したものだ。手作業による穴の位置の微妙なズレによって、投影される円は微細に振動する。フィルムの物質性、「1秒24コマ」という時間の可視化が、平衡感覚を揺るがすような知覚体験とともに体感される。また、「ビデオ・パフォーマンス」として行なわれた《オン・エア》(1980)は、「アニメーションを放映中のブラウン管テレビ」がビデオカメラで撮影されつつ、記録した磁気テープによって梱包され、物質化した「時間」の包囲網によってテレビ画面が次第に覆われていく。だが、オリジナルは16mmフィルムやビデオテープで撮影されたこれらの映像作品は、DVDに変換され、液晶モニターやプロジェクターを用いて展示されている。ここでは、「『時間』を自己言及的に扱った映像メディアそれ自体が被る時間的変容」が、「作品外」ではあるが不可分な要素として浮上し、「タイムベースト・メディア」を取り巻く「時間の痕跡」を何重にも示していた。

 「オリジナルの物質的同一性を保ったまま未来へと延命させる」という保存修復観は、石や油絵具といった伝統的で耐久性のある素材を用いた作品を前提としている。それに対して、変色し、腐敗し、(時にそれが作者自身の肉体の等価物として)「死」へと向かう不可逆的な時間を生きる作品。あるいは、エフェメラルで耐久性のない素材を用いた作品の、つかの間の儚い生。それらが再制作や譜面としての「インストラクション」によって、断続的に何度でも「再生」されうる繰り返しの生。機材の劣化、生産終了、技術的更新などあらかじめ「有限性」が書き込まれたメディア・アート作品と、機材の交換やマイグレーションなどのアップデートを経て、変容しながら生き延びる生。もちろんここには、美術館という制度、制度外(インディペンデント・キュレーター、野外展など)の実験性、作家自身の意志、存命か故人かなど、複数のポリティクスが関わり合っている。本展と並行して、上述の事例を補助線として横に置くことで、本展の問題設定が本来照射すべき射程の広がりが見えてくるのではないだろうか。

*1──例えば、「鍾乳洞とキセル乗車」は「事後的に形成される空洞によって成立」、「プレストレスト・コンクリート(想定されうる「未来の引張力」に対し、拮抗する圧力を予め与えたコンクリート)と国債」は「未来の先取り」という点で時間的・構造的な共通性をもつ。
*2──井田照一の《Tantra》については、本展企画者の一人である田口かおり(修復士、修復理論・修復史研究者)が、所蔵先の豊田市美術館にて、作品調査と保存・梱包方法の改良を行なっている。
田口かおり「井田照一《タントラ》(1962-2006)の技法研究と保存処置」(『東北芸術工科大学紀要』24号, pp.1-13, 2017)
http://archives.tuad.ac.jp/wp-content/uploads/2018/03/tuad-bulletin24-5-taguti.pdf
*3──「インストラクション(指示書)」による作品の継承は、生身の身体をメディアとするパフォーマンス作品においても重要である。