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劇場化する東京に息づく、新たなアートの生態系とは。仲山ひふみ評 小宮麻吏奈展「−ATCG」/鈴木操展「open the door, 」/「孤独の地図」展【2/2ページ】

我有化される集合性

「孤独の地図」展の展示風景より 撮影=岩崎広大

 布施琳太郎のキュレーションによる展示「孤独の地図」は、布施自身が出展作家のひとりであるということ以上に、その空間の構成の仕方とコンテクストの付与の仕方において、事実上布施自身の個展であると言って差し支えないような状況を呈していた。このこと自体は布施というアーティスト・キュレーターの「展示」においてつねに見られる現象として、私を含む多くの観客の注意を引かなかったかもしれない。しかし「展示」のタイトルが「孤独の地図」と銘打たれている以上、本展での布施と他作家との関係性については考察があって然るべきである。と同時に、本展の会場を提供した四谷未確認スタジオが布施の友人でもある画家の黒坂祐を中心としたアーティスト・コレクティブ(という括りを本人たちは嫌うだろうが)の拠点でもあるという事情から、不動産としてのギャラリーおよびそれを管理するギャラリストと、近年の日本の若いアーティストにおける集団性一般の問題が批評的にとらえ返されなければならない。

 本展に向けて布施自身により執筆された「コンセプト」を瞥見しておこう。先史時代から古代ギリシアを通じて西洋中世に至るまでの地図の歴史が簡単に振り返られ、それぞれの地図における投影法の差異あるいはそもそも世界に関する表象内容の差異が、異なる時代と地域に生きる人々の世界認識の型の差異を表現していることが語られる。「地図は、動的で有機的な世界を、静的な型の中に歪めて畳み込むことによって生成される」(展示公式サイトより)。この認識自体は通常の文化相対主義的な発想の域を出ていない。しかし「この企画では、今日の世界の形態を表象して地図化することに、足を踏み入れている」と考えられる作家の作品を集めたと述べられたうえで、さらにこれらの「作品」自体が再び「併置され、一枚の地図へと再構成される」ことが語られるに及んで、状況は一変する。この展示は地図の地図を描いているのであり、いわば世界の諸表象の集合体としての世界の表象を提示しようとしているのである。穿った見方になることを恐れず言うなら、布施はそのようにして文化相対主義自体の相対化可能性に「足を踏み入れ」かけてさえいる。

 「地図」が孕む以上のような問題設定に、布施が定義する「孤独」の主題が重ねられることになる。展示会場で配布された作品配置図(これも「地図」の一種にはちがいない)の裏面には「孤独とは自分自身との直面、つまり自分が自分に話しかける時間のことだ」と記されている。そして次のように述べる。「人間が地図を描くとき、あるいは見るとき、自分自身と世界を構成する諸対象は一つの地平に併置される。そこでは自身の知覚を身体から切り離し、世界の外部に仮設することが試みられる。これこそが孤独である。領土からの浮遊」。ここで布施が言わんとしていることは、「地図」を描くとき、人は物理的にはそれが表示する空間の〈内部〉にいながら、同時に論理的にはその空間を平面に投影するための何らかの〈外部〉に立たざるをえず、したがって「孤独」に陥らざるをえないということである。「地図において人間は、世界の外部から世界を認識することを強いられる。〔それゆえ〕地図を前にして人間は孤独になる」という明快な表現も、上記テクストの後半部には見出される。

永田康祐 Postproduction 2018

 以上のとおり布施の頭のなかで地図の実践は世界の〈外部〉に立ち、孤独になることを要請するわけだが、他方で布施はそのような地図制作者たちを自らの地図の〈内部〉に再記入することが今回の企画の趣旨だとも語っている。それは地図を描き出す知覚=主体が、少なくとも物理的には、その地図が描き出す空間=世界のなかに存在していなければならない以上、当然の成り行きだとも言えるだろう。あらゆる情報が網羅された完全な地図がもしこの世界の〈内部〉に存在していたなら、それ自身の縮小版をもその地図は自身のうちに描き込んでいなければならないわけだが、現実にはそのようなことは起こりえない。なぜなら物理的に可能なあらゆる地図は、有限の解像度でしか世界を記述しえないからである(ライプニッツのモナドのように)。そしてこの有限性こそが、結果的に、同じひとつの世界を複数の仕方で記述することを可能にしているのである。布施のキュレーションに潜む地図の地図の提示という狙いもまた、基本的にはこのような有限的複数化にもとづいたものだと言えるだろう。

 だがいま素描してみせたような論旨の展開は、布施の考える「孤独の地図」の概念が矛盾していることを必ずしも意味しない。なぜなら自身が取り組む「孤独」の概念が、19世紀的ロマン主義の美学を支えていたような「孤独」の概念とは異なるものであることを、布施は次のようなスローガンのもとで強く意識しているからである。「孤独によって芸術が生産される時代から、芸術が新しい孤独を生産する時代へ」。いまや芸術の「原因」ではなく、その「結果」になろうとしている「新しい孤独」とは、それではいったいいかなるものなのか。

 具体的な「展示」の内容を確認する。最果タヒのみ詩の「引用展示」という特殊な形式での参加になっているが、布施を含むほかの出展作家はすべて広義の絵画あるいは写真作品を出品している。それゆえ大ざっぱに言って本展は平面作品のカテゴリーに焦点を当てたものと言える。例えばガラスコップやスマートフォンの画面、アルミ製の水平器など、表面に透過性や鏡面性があるオブジェクトを複数組み合わせて撮影した写真素材にデジタル編集ソフトで加工を行うことで、複数の錯覚的な奥行きを生じさせる永田康祐の《Postproduction》と《Theseus》は、まさにそのような平面性と立体性の魔術的絡み合いを正面から扱った作品である。また三次元(立体)から二次元(平面)へ、あるいはその逆方向への写像の問題を直接扱った例としては、岩崎広大による昆虫標本を支持体とした細密画のようでもある「風景写真」の作品群と、cottolink feat. 小御門早紀によるアニメキャラクターの3DCGの「変身」過程に迫った作品群が、それぞれ該当するだろう。布施自身の出展作品は、本展のもうひとつのキーワードになっているスマートフォン(iPhone)上で撮影され鑑賞されるセルフィーを題材とした絵画作品になっており、「孤独」すなわち「自分自身との直面」がつねにインターフェイスによって間接化されるために実現不可能となっている現代の情報社会の状況への言及を試みている。

岩崎広大 かつて風景の一部だったものに、風景をプリントする。
-Pomponia imperatoria(4°30'21.7N101°23'21.0E)WGS84 2018

 ところで以上のように出展作品全体を見渡してみた限りで、私には、「コンセプト」で述べられているような世界を地図化することと不可分な人間の孤独(通常の社会学的孤独とは異なる)が現れていると言えるのは、岩崎と永田の作品のみであるように思われた。というのも、岩崎のシリーズ《かつて風景の一部だったものに、風景をプリントする》の支持体をなす、住宅地や雑木林などの風景がその羽に印刷されているところの昆虫たちは、まさにそうした風景のなかに存在したものとして岩崎自身によって捕獲されたものであることが明確だからであり、また永田においては、画像の撮影やそのデジタル編集に使用されたと思しきスマートフォンやノートパソコン(MacBook Air)の画面が最終的に出力された「作品」の表面上に位置を占めることによって、地図化の作業そのものの複数性と相互背反性ばかりでなく、それに伴う撮影者=編集者の視点のほかの視点からの分離までもが明示されているからである。cottolinkの作品には地図の問題はあっても孤独(あらためて言うが通常の社会学的孤独とは異なる)の主題があるかは明らかでなく、布施(また最果)の作品には孤独の主題はあっても地図の問題があるかは明らかでない。本展の解釈上の困難さはその意味で、布施が主張する孤独の概念と地図の概念との根本的結びつきなるものが、そもそもあまりにも形式的な──〈内部〉と〈外部〉の再帰的一致と不一致といった──省察のレヴェルで想定されていたがゆえに、実際の作品においてはむしろ2つの概念の内容的な隔たりを印象づけてしまっている点にこそ求められるだろう。言うまでもなく、これは参加作家ではなくキュレーターに帰せられるべき非難である(もしそのような非難を発する必要があるとすればだが)。

 にもかかわらず、本展を前にして私たちが真に問題視すべきだと感じるのは、このような通常の意味での「キュレーションの機能不全」ではまったくないのである。先ほど私はこの展示が布施の個展と事実上呼んでもよいような様相を呈していると述べたが、それは本展で布施がキュレーターとして集めた作家たちの作品=地図をみずからの展示=地図に再記入すると明言している以上、また布施自身の絵画が名も知らない他者のセルフィーを収集して印刷し、性的眼差しの運動を思わせる絵具の描線によって加工することから成り立っている以上、十分に了解可能な主張であると思われる。端的に言ってしまえば布施の展示はTumblr的あるいはInstagram的なのだ。そこには布施自身が制作したイメージと他者の手になるイメージが等価に集められている。そして布施はそのような等価性と集合性そのもののうちでまず「錯乱」し、次いで「孤独」へと移行する。

 これは現在のいわゆるコレクティブに対する布施自身のポジショニングとも関係してくるだろう。四谷未確認スタジオも含めて、布施自身はいかなるコレクティブにも属さないが、そのことでむしろ彼が欲望するその都度のコレクティブを「展示」の名のもとに我有化(アプロプリエイト)する権利を獲得しているのである。それはたしかに「錯乱」を通過した後の「新しい孤独」と呼ばれるにふさわしい状態である。技術的に実現された集合性はいまやスマートな孤独(結果)を生産するための積極的条件(原因)となるのだ。だがその種のメタレヴェルでの我有化に携わるという意味では、「展示」会場を提供するギャラリー、そしてその法的占有者たるギャラリスト──今回のケースでは四谷未確認スタジオの主、黒坂祐がそれに当たる──こそがよりふさわしい「新しい孤独」の主体だと言われうるのではないか。それは近年の若いアーティストたちが主に経済的・物質的理由から、なんらかのコレクティブに間接的に参加するかたちでしか活動を継続できないといった事情とも深く関連してくる話題である。加えて、布施がその「展示」において達成した集合性の我有化の経験は、布施の「作品」自体にも反映され、いわば布施自身の意図を超えた「新しい集合性」の次元をその絵画に付与している可能性がないとも言えないということは、彼自身の考えはどうであれ私たち観客の地図の上にはたしかに記入されている事柄なのである。

慣れることに慣れることを拒むこと

 小宮、鈴木、布施の3つの「展示」はそれぞれにまったく異なる狙いを持ちながらも、ひとつの共通項で結ばれていたと私には感じられる。それは、主に情報技術の発展によって実現された「すべてがつながりあっている」現在の汎劇場的文化状況のなかに埋め込まれていることに対して、ある種の反撃を企てるとまではいかずとも、少なくともその状況に慣れてしまうことを拒んでいるように見えるということである。小宮は「作品」のあいだに広がる無限に希薄化しかねない関係性の空間を(小宮自身が言う「生殖難民」、すなわち「すべてがつながりあっている」現在の「記憶」のコード化のシステムからは不可避的にこぼれ落ちていく人々)構造なき整序により、かろうじて可能的につなぎ留める。鈴木は彫刻的「作品」の自己言及的構造を通じて「すべてがつながりあっている」社会的・物理的現実の条件をただちに照射しようとはせずに、そこから絶対的に遅れて「沈黙」のなかへと落ち込んでいく存在論的条件を造形的ユーモアを通じて探るべく、崩壊における開示を行う。布施は自らの「展示」と「作品」のあいだで物理的/論理的に引き裂かれて「錯乱」しつつも、その我有化された集合性の経験を通じて「すべてがつながりあっている」状況に「新しい孤独」を対置する手がかりを見出しつつある。

 むろんここで取り上げた3人には、表向きなんの接点もなく、年齢が近いがゆえに人脈上のつながりが多少生じていることが指摘しうるにすぎない。だが、そのようなありきたりの無関係性についての事実確認を行うだけではハイパー演劇的な「すべてがつながりあっている」状況、哲学者の千葉雅也が主張するような「接続過剰」の状況から抜け出したり、それに抵抗することはできないのである。私たちは意識しようとしまいと、社会的・物質的インフラのレヴェルで「つながりあって」しまっている。そのことを理解するためには、小宮が展示したTAV GALLERYのギャラリスト佐藤栄祐は渋家(シブハウス)の元住人であり、鈴木の展示したroomF 準備室もまた元渋家メンバーを中心とする渋都市株式会社が運営に関与している(今後の展示では外れる可能性もあるが)という事実を指摘すれば十分だろう。インフラの思想、あるいは「運営の思想」(黒瀬陽平)を意識しないで活動を続けることは、今日のアーティストには事実上不可能となりつつあるのだ。

 しかし、私たちはこうした状況に慣れることそのものよりも、むしろ慣れることに慣れることをこそ恐れなければならない。結局のところ、万物は慣れに向かうのである。慣れることで私たちは情報を縮約し、意識しなくてよいものを意識しないで済むようになり、つまりは同一性の根拠を手に入れ、注意すべき差異に注意を向けることができるようになる。慣れは「能力」なのだ。私たちはむしろ、この「すべてがつながりあっている」状況にさっさと慣れてしまい、それを「自然」ないし「所与」としたうえで、この汎劇場的文化空間の存在を分析の「結論」ではなく「前提」とすることをまずは目指さなければならないのだとさえ言える。このとき恐れるべき対象が慣れそのものから、慣れに対する慣れ、つまり「能力」としての慣れを慣れそれ自体の深まりにおいて喪失してしまうことに転位していく事情は、あらためて説明するまでもないだろう。慣れることに慣れることを拒むこと。それが私たちが差し当たりミニマルな弁証法と呼ぶことに決めたものの正体である。ところで、この複雑な繊細さを孕んだプロセスにおいて重要なのは、少なくとも現代美術の現在の状況に照らしてみた限りで重要となるのは、「作品」と「展示」という個体性の単位をいかにして新しい角度から擁護するか、という美学的、ないしはむしろ詩学的課題であることはもはや疑う余地がないだろう。

「孤独の地図」展の展示風景より。左手前が布施琳太郎《Table/au/t》(2018) 撮影=岩崎広大

 かつて哲学者のカンタン・メイヤスーは、彼が批判する相関主義(千葉雅也の読解に従い私たちはこれを「接続過剰」の思想と同一視する)を乗り越える立場を探る思考実験のなかで、有神論者や無神論者まで含む架空の哲学者たちを登場させ、彼らに「死後の世界」の実在をめぐる論争を繰り広げさせていた(*2)。「死後の世界」など、科学的世界像に十分すぎるほどに慣れ親しんだポストモダン以降の哲学者の議論の主題にはおよそ似つかわしくないと思われるかもしれない。しかしメイヤスーが語る「死後の世界」(の可能性)は、むしろ「私たちの死後にも生き続ける他者たちの世界」なのだと考えてみたらどうだろうか。そこには私たちの意識は不在だが、私たちの魂──すなわち私たちに関する「記憶」の最後のよすがとしての私たちの固有名が残存し続けている。私が知っている人、私の顔を覚えている人は、そこにはもう誰もいない。これこそがメイヤスーが偶然性の必然性という主張によってその実在性を擁護しようとした、「死後の世界」なのだろうと私は考える。

 むろん実際には、固有名たちは日常的に忘れられ続けている。その健全な忘却、慣れへの慣れ(忘れたということさえ忘れてゆくこと)を止めることはできない。他方で、アーティストは「作品」を制作し「展示」を開くことで、このアーティスト自身の「死後の世界」に一石を投じる。それがアーティストたちの魂=固有名を永遠化するなどと、私は言おうとしているわけではない。そこまで理想主義者になることは私にはできない。しかし、自身の「展示」あるいは「作品」に何かしらの絶対的実在性を与えようとアーティストたちが画策するとき、彼女らは意識していないかもしれないが、いわばこの「死後の世界」の実在性のほうに、彼女ら自身の存在の強度が許す限りで、彼女らは法外なベットを重ねているのである。「死後の世界」などありはしないと嘯く汎劇場型の消費空間の住人たち、彼らの言葉に「そうかもしれない、しかしそうだとしても、いやむしろそうであればこそ、こうはならないだろうか」と可能的な返答を重ねていくなかで、もはや返答が不可能になる地点がほの見えてくる──そのようにして慣れることに慣れることを拒むことの限界を迎えるまで、彼女らは「作品」という名の異様なプロジェクトに取り組み続けなければならないのである。

*1──「この〔18世紀中葉以降のフランス絵画における〕伝統の核心部には〔……〕次のような命法が存在した。すなわち、絵画は観られるために作られるという原初的慣習〔primordial convention〕を否定ないしは中性化する方法を画家は見つけなければならないという命法——あれやこれやの方法で、観者が存在しない、絵の前に誰も立っていないというフィクション、メタイリュージョンを画家は何とかして確立しなければならない、という命法である。」(Michael Fried, Courbet’s Realism, University of Chicago Press, 1990, p. 79.)哲学者グレアム・ハーマンによる近年の指摘を待つまでもなく(cf. Graham Harman, “Aestheticizing the Literal: Art and Architecture”, in Michael Benedikt and Kory Bieg (ed.), CENTER 21: The Secret Life of Buildings, Center for American Architecture and Design, 2018, pp. 60-69)、絵画に限らずあらゆる芸術は観客なしには成立しえず、その限りでミニマルな演劇性の条件を享受する。このようなミニマルな演劇性をフリードは「原初的慣習」と呼ぶ。それはある不可避的な、動物的「慣れ」の問題にも関わるような「慣習」だろう(フリードは上に引いたクールべ論のなかで、クールべにおける絵画の身体化の問題を論じるために、この画家と同時代の哲学者フェリックス・ラヴェッソンの『習慣論』をたびたび参照してもいる)。この「慣れ」の水準、つまり何を演劇的と見なすかの基準自体も変動するなかで、それぞれの領域における「中性化」の戦略が企てられることになる。
*2──正確にはメイヤスーがこの架空の論争の主題に選ぶのは「私たちの死後の未来」であるが、それが即自(物自体)や絶対者といった彼の思考にとっての第一の賭け金となる概念のアレゴリーであることは明白である。以下を参照せよ。カンタン・メイヤスー『有限性の後で──偶然性の必然性についての試論』(千葉雅也、大橋完太郎、星野太訳)、人文書院、2016、96-103頁。

編集部

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