国際的に活動する日本出身の現代美術家で、昨年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)がその作品を収蔵・展示公開したことでも知られているシュウゾウ・アヅチ・ガリバー。その大型個展「消息の将来」展が、神奈川県横浜市のBankART KAIKO とBankART Stationの2館で同時開催される。会期は10月7日〜11月27日。
シュウゾウ・アヅチ・ガリバーは1947年滋賀県生まれ。64年に制作活動を開始し、65年には滋賀県立膳所高校在学中にハプニング’草地’を発表。翌年上京し、フーテンの名士としてマスコミに報道される、様々な実験的な映画作品を発表。60年代後半の熱い文化芸術の現場を駆け抜け、73年には代表作品である「BODY(肉体契約)」シリーズの制作をスタートさせ、以降国内外で精力的に活動を展開してきた。近年では、2010年に滋賀県立近代美術館(現・滋賀県立美術館)で個展「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN」を開催。また20年人はニューヨーク近代美術館で個展「Shuzo Azuchi Gulliver’s Cinematic Illumination」が開催されるなど、高い評価を得ている。
本展は、今年この世を去った「BankART1929」元代表・池田修が生前企画した最後の展覧会のひとつ。作家の50年に及ぶ活動のアウトラインを紹介する大ボリュームの展覧会だ。
タイトルにある「消息の将来」は、シュウゾウ・アヅチ・ガリバーが昔から使っている言葉。彼は本展に次のような言葉を寄せている。
決して人間は溺れてもいないし船酔いを起こしてもいないに違いない。
しかし我々は藁を掴むように言葉、数、像、神を夢想する。
世界は常に初めての存在で次々と留まることのない単一な総体のように見える。
わからないものを X と置くような数式の不思議さや有効性をいかに実感するのか。
「しっ!あの窓から漏れている光は何か、何かを話しているが、別に何も言ってはいない。」
これはゲーテが「ファウスト」の中に書いた台詞である。消息はこの光に似ている。
何の消息であるのか等と聞く必要はない。我々と我々の知っている、我々の目前のものとの間に消息はある。
それは目前のものを一部ともするこの単一な総体の作用や機能の顕れであろう。
赤裸々で啞然とさせる、このビッグ・バンのようなノイズは我々の上で焦点を結ぶ。
この焦点の皮膜、その機能こそ消息で、その克明さが我々そのものなのではなかろうか。
想起するという特性を持った物質が生体であるというバトラーの語り口に倣うなら、消息へと機能する、特性を持った物質が我々であるといえよう。
消息の将来、将に来らんとする消息。
我々は我々の克明な消息を求め、その克明さ自体であり続けるに違いない。
会場は時系列ではなく、活動をテーマごとに分類して展示を構成。新高島駅直結のBankART Stationでは、作家の死後、肉体を80に分割してその保管を依頼するプロジェクト「肉体契約」のほか、体重と同じ重さが与えられた球体《Weight(Human Ball)》などを展示。
いっぽう馬車道駅直結のBankART KAIKOには、死ぬまでに発音するすべての音を単音毎に贈与するプロジェクト「発音の贈与」のほか、4つの塩基(アデニン、チミン、シトシン、グアニン)の頭文字ATCGが並ぶ巨大な2つのハンコとベッドの組み合わせによって生殖行為を暗示する《甘い生活》などが並ぶ。
シュウゾウ・アヅチ・ガリバーの作品はじつに多様であり、それを一言でまとめることは難しい。だが、今回の展覧会のためにつくられた‘横浜ポスター’2022にそのヒントがあるだろう。横浜の風景に時刻のようなものが記されたこのアートワークは、横浜市内18ヶ所に点在し、風景に溶け込む。私たちはそれを見るとき、あたかもなんらかの意味があるように判断してしまうが、そこに正解はない。
「データというより情報の把握の仕方に興味がある」「世界を見るのはいつも初めてであり、不思議でしょうがない。その思いから色々なものが放浪するがごとく出てくる」と語るシュウゾウ・アヅチ・ガリバー。本展で、作家の目を通して見える世界の姿を目撃してほしい。