白髪一雄、東京初の大規模個展で見る多様な表現

戦後日本の前衛芸術を代表する作家であり、具体美術協会のメンバーとして知られる白髪一雄。その東京初の大規模個展が、東京オペラシティ アートギャラリーで開幕した(新型コロナウイルスの影響で2月末で閉幕)。

 

展示風景より、手前は《長義》(1961)

 2013年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された「具体:素晴らしい遊び場 Gutai: Splendid Playground」以降、世界的な評価が高まっている白髪一雄( 1924〜2008)。その東京初となる大規模個展「白髪一雄展」が、初台の東京オペラシティ アートギャラリーで開幕した。

展示風景より

 白髪一雄は、戦後日本の前衛芸術を牽引した作家のひとり。1954年より支持体に足で描く「フット・ペインティング」を始め、独自の領域を切り開いた。その翌年、吉原治良を中心に設立された具体美術協会(以下、具体)に参加。一般的に全盛期とされる時代に入っていく。

展示風景より、中央は《天異星赤髪鬼》(1959)

 本展は、この具体時代の作品を含む初期から晩年まで60点の油彩・タブローのほか、立体や水彩、ドローイング、資料など100点以上が並ぶ貴重な機会だ。

 白髪のフット・ペインティングは、キャンバスを床に置いた状態でロープにぶら下がり、足によって描くという手法。本展では、《長義》(1961)が床に置いた状態で展示され、フット・ペインティングによる制作過程を想起させる。普段は正面から見る作品を上から覗き込むことで、白髪のダイナミックな足の動きがよりよくわかるだろう。

展示風景より
展示風景より、《長義》(1961)

 白髪は60年代以降、密教に興味を抱くようになり、71年には実際に比叡山延暦寺で得度し、天台宗の僧侶となった。会場では、この密教の影響が表れ始めた頃の作品の数々も見ることができる。この時期、白髪は素足にかわってスキージ(長いヘラ)を用いた制作手法を採用。フット・ペインティングとはまた異なるダイナミックさが画面を支配している。

展示風景より、《あびらうんけん(胎蔵界大日如来念誦)》(1975)
展示風景より、手前は《貫流》(1973)

 本展ではこうした「絵画」以外にも注目したい。牛のレバーとセメントなどを使用した《赤い液》(オリジナルは1956)の再制作品をさらに複製したものや、4本の木材を組み合わせた《作品(赤い材木)》(1957)。白髪が絵画だけにとどまらず、様々な表現を行おうとしていたことがわかる。

展示風景より、左が《作品(赤い材木)》(1957)

 この回顧展を担当した東京オペラシティ アートギャラリーの福士理は、白髪の表現の多様性についてこう語る。「回顧展は集めれば集めるほど同じものばかりになり、インフレを起こしてしまう。でも白髪は1点1点力があり、バリエーションもある。一貫性がありながら、時期ごとの特徴も粒立って見える。思った以上に多才で、様々なことをやっていた。まだまだ考えさせられる点が出てくる作家だ」。

展示風景より、《赤い液[再制作:大](複製)》(オリジナル1956 / 再制作2001 / 再制作作品の複製2019)

 加えて見逃せないのが資料の数々だ。展示の最後では、白髪がフット・ペインティングの際に掴まっていたロープや、スキージの前に使用していたスキー板など道具類をはじめ、自筆原稿や野外展制作見取り図など、白髪の制作背景を見てとれる資料が数多く並ぶ。

 いまなお色褪せることなく、むしろますます存在感を高めている白髪一雄という存在。この貴重な機会をぜひ目撃してほしい。

自筆原稿「精神の生理的な表現」(1957頃)
スキー板一式(スパイク、スキー板)

編集部

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