2007年、「六本木クロッシング」(森美術館)への出品をきっかけに一躍注目を集めながら、13年に逝去した画家・吉村芳生。その画業を振り返る中国・四国地方以外では初となる美術館個展が、東京ステーションギャラリーで開幕した。
1950年に山口県で生まれた吉村は、山口芸術短期大学を卒業後、周南市の広告代理店でデザイナーとして勤務。76年に退職し、創形美術学校などで版画を学んだ後、作家としてデビューした。
この「版を使う」ということは吉村の地盤になっていると本展を監修した東京ステーションギャラリー館長・冨田章は話す。「対象を見て描くのではなく、なにかを介在させるのが吉村の特徴です。モチーフそのものに意味を求めず、物語性を排除し、表面的なもののみを写していく」。これを念頭に、会場を見ていこう。
本展は「ありふれた風景」「百花繚乱」「自画像の森」の3章で構成されている。
「ありふれた風景」の冒頭を飾るのは、吉村が365日、毎日自身のポートレートを撮影し、それを克明に描写した《365日の肖像》(1981-90)だ。9年もの歳月をかけて制作されたこの作品について冨田は「作品の終わりに行けば行くほど緻密になっていく様子が見て取れる」と語る。
この《365日の肖像》の対面にあるのが、全長17メートルにわたる金網を描いた作品、《ドローイング 金網》(1977)。これは、実際の金網をケント紙と一緒に重ねて銅版画のプレス機にかけ、紙に写った金網の跡を鉛筆でなぞるという過程で生み出されたもの。制作日数70日という本品には、じつに1万8545もの網が描かれており、それらは一切ぶれることなく、機械のように単調に描かれている。
この執念さこそが吉村最大の特徴だ。「ありふれた風景」ではこのほか、写真を模写したと一言で簡単に表現するにはあまりに複雑な過程を経て制作され《ジーンズ》など、日常生活の中に存在する対象を描いた作品が並ぶ。一つひとつ、じっくりと時間をかけて見てほしい。
次に待ち構えているのは第2章「百花繚乱」の世界。文字通り、そこには展示室が花畑になったかのような風景が広がっている。描かれているのは、藤、バラ、菜の花、コスモスなど。ここにある作品は、東京ではなく、85年に山口県徳地に移住して以降に描かれたものだ。
休耕田に咲いているコスモスの花畑を見たことがきっかけで生まれたこの花のシリーズは、ファーバーカステルの120色の色鉛筆で描かれており、販売用の作品としても高い人気を博していたという。
写真を撮り、マス目を1コマずつ塗りつぶしていく手法で描かれたこれらの作品群には、絶品となった《コスモス》(2013)も含まれている。描写が止まった部分は真っ白で、マス目が描かれているのみ。完成された部分と、そうでない部分が同時に存在する本作からは、吉村の制作過程を見ることができる。
また横7メートルにおよぶ《無数の輝く生命に捧ぐ》(2011-13)にも注目したい。それまで、撮影した対象をそのまま写し取っていた吉村だが、この作品では藤の花の同じ部分を複数枚プリントし、貼り合わせて構成するという、それまでは見られなかった恣意的な意図が見られる。東日本大震災の犠牲者を花にたとえ、ひとつの花をひとりの命として描いた本作。背景も白のまま塗り残されており、震災という出来事が吉村に与えた衝撃の大きさを垣間見ることができる。
ここからが、吉村をもっとも象徴する作品が並ぶ「自画像の森」だ。冒頭の「ありふれた風景」で展示されている《365日の自画像》からもわかるとおり、吉村は膨大な数の自画像を描いている。ここでは、2000年代の自画像シリーズが壁面を埋め尽くす。
まず、新聞に自画像を重ねた「新聞と自画像」シリーズだ。一見すると新聞の上に自画像を描いたように見えるが、近寄ると文字が微妙に揺らいでいることがわかる。このシリーズで吉村は新聞そのものも描いているのだ。鉛筆だけでなく、色鉛筆やボールペン、フェルトペンなど様々な道具を用いて制作されたこれらの作品。吉村は、新聞は社会の肖像であり、自画像と同じだと語っていたという。
そして圧倒なのが、40メートルにわたって展示された《新聞と自画像 2009年》だ。これは「新聞と自画像」とは異なり、実際の新聞紙の上に自画像を描いたもの。吉村は2009年1月1日から1年間(新聞休刊日の1月2日を除く)、毎日新聞購入し、そこにその日の自分の顔を載せた。それまでの無表情な自画像とは異なり、本作では新聞を読み、それに反応した自分の感情を率直に表現している。吉村の遊び心も感じられる作品だ。
このほか、東日本大震災の発生を受け、3月12日から約1ヶ月の新聞に、「見」「吁」「光」「阿」「吽」「失」「共」「叫」の8種類の自画像をシルクスクリーンで刷り込んだ「『3.11から』新聞と自画像」シリーズや、2011年12月から1年間パリに滞在し描き続けた1000枚の新聞シリーズ《Self-portraits 1000 in Paris(パリの新聞と自画像)》(2011-12)など、一言で自画像と言っても様々なバリエーションを見ることができる。
冨田は本展を振り返り、「量も質も含めて、これだけの作品をつくったアーティストはいないのではないか。時代を重ねるごとに重要性が増すと思う」と話す。
試行錯誤を繰り返し、モノを写すということを徹底的に追求した吉村芳生。その極限の世界を存分に堪能したい。