「ずっと日本に魅せられてきた」。ケリス・ウィン・エヴァンス インタビュー

文学、映画、美術、天文、物理など幅広い分野における先人達の先駆的な試みに関心を寄せ、ネオンを用いた作品を制作することで知られるケリス・ウィン・エヴァンス。その個展「L>espace)(...」が、東京・表参道のエスパス ルイ·ヴィトン東京で開催中だ。これを機に、エヴァンスと親交のあるキュレーター・三木あき子がメールインタビューを敢行。その制作について聞いた。 ※本展「L>espace)(...」のespaceには取り消し線が入る

聞き手=三木あき子 All Photo © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

エスパス ルイ・ヴィトン東京での「L>espace)(…」(2023)展示風景より

──私は1990年代頃からケリスさんの作品を、欧州での展示を中心に拝見しているのですが、数年前には弘前れんが倉庫美術館のためのコミッションワークについて議論をさせていただき、そこでの作品から概念を発展させて、二部構成の展覧会を企画しました。かなり実験的な試みだったのですが、コロナ禍に突入し、ケリスさんも技術者も日本に来られないなかで連絡を取り合いながらフラジャイルな新作を含めた複数の作品を館内各所に設置するという特殊な経験をすることになったので、今回再びいろいろお話をうかがえてうれしいです。まずは、アーティスト活動を始めた経緯やきっかけをお聞きしたいのですが、ウェールズ地方のご出身で、お父様は写真家ですよね。やはり、ご家族や周囲の影響というのはあったのでしょうか?

 振り返れば──我ながら早熟だったと思いますが──子供のころにはすでにアーティストになる、と決めていました。私が恵まれていたのは、この決心を応援してくれる家族とひとりの優れた指導者がいたことです。家にはピアノと写真現像用の暗室がありました。この道に進むことができたのは、何よりも父のお陰だと感謝しています。 

「L>espace)(…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)の展示風景より、手前は《“LETTRE À HERMANN SCHERCHEN” FROM ‘GRAVESANER BLÄTTER 6’FROM IANNIS XENAKIS TO HERMANN SCHERCHEN (1956)》(2006)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris

──1970年代後半から80年代初頭にかけて、英国・ロンドンのセント・マーチンズ・スクール・オブ・アートで彫刻を学ぶとともに、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートのフィルム & テレビジョン専攻で修士号を取得されています。学校には、ジョン・ガリアーノらも通っていたんですよね? また、そのころに、デレク・ジャーマンやティルダ・スウィントンらファッション、音楽、映画、アートが融合したアンダーグラウンドのポップやクィア・カルチャーを牽引する人々とも親交があったと聞いています。以前お会いした際には、このころに寺山修司率いる天井桟敷のロンドン公演等もご覧になっていたと聞いて驚いた記憶があります。このように、ロンドンのパンクカルチャーやアンダーグラウンドカルチャーの熱い時代の中心にいらっしゃった経験が、ご自身の作品制作につながっている部分はあるのでしょうか?

 故郷ウェールズを離れてロンドンに出たことで、私はとても解放されました。そこでの生活は意識を高揚させる体験であり、有益であるのと同時に非日常とすら言えるほどの数々の発見や出会いがありました。スマートフォンやパソコンのスクリーンが私達の生活を支配する前のことで、いまとなっては嘘のようですが。昔は良かった、という懐古趣味にはなりたくないですね。

──いっぽうで作品には、マルセル・デュシャンや文字を使用するマルセル・ブロータースらの影響が見受けられ、実際、1975年にロンドンのICAで開催されたブロータースの展覧会を観に行ったことが大きな転機点と伺ったことがあるのですが、ブロータースのどこにそれほど惹かれたのでしょうか?

 まず「いっぽうで」とのことですが、何に対するもういっぽうなのでしょうか? 私が前に話したこととのあいだにパラドックスあるいは矛盾が存在するに聞こえますが(パラドックスや矛盾は、複数の異なる文脈が存在することを前提としています)、私のなかで文脈はいつも1つです。このことは私にとってとても重要です。それは未知の、理解しがたい経験へ自分自身を誘うということです。ほかの文脈をつくり出す視点は与えられないのです。

 ICAで開催されたブロータースの「Décor: A Conquest XIXth and XXth Century」展は、偶然の美...…そして歴史、政治、構成されたものとしての世界に私の目を開いてくれました。主体と客体の対立の緊張を和らげ、自然と文化を無理に結びつけることのない「詩」に開眼したのです。

──文学、映画、美術、天文、物理、現象学など幅広い分野における先人たちの先駆的な試への関心が、あなたの作品作りの大きな源になっているということでしょうか。

 アーティストを目指す過程において、様々な領域の知識を受信し、それをなんらかのかたちで作品に昇華し発信するなかで、私は自身の作品の特徴となる曲線と流れを見つけました。大抵の場合、自分でも理由のわからない何かへの情動から始まるのですが、学習を通してそれと親友になることで、《Mantra》《Oculist Witnesses》《a drift》などの作品が生まれます。

「What made a mirror flout its flat convention, and what was the sensation when stars alone like bees crawled numbly over it?(なぜ、鏡は自分の平らな因習を軽蔑するようになったのだろうか、そして、自分の上を星々だけが蜜蜂のように麻痺した様子でうごめいたときに、どのようなセンセーションを覚えたのだろうか?)」(ジェイムズ・メリル『The Changing Light at Sandover』より)

──とくに能や生け花、モダン建築といった日本文化に関連する作品も多いですね。1990年代以降、もう何十回目の来日になるのでしょうか? シャンデリアの作品やネオンの作品を制作するきっかけになったのも日本や能だったと聞きましたが、日本文化・芸術のどのようなところに興味を持たれているのでしょうか? 意味の不在や不理解を受け入れたときに一定の自由度が与えられる文化だと以前おっしゃっていたかと思いますが。

 記憶が及ぶ限り、ずっと私は日本に魅せられてきました。子供のころは、写真や浮世絵の複製、生け花に関する小振りな本を収集していました。外国語で書かれた本は、何を「意味している」のかを推測する機会の宝庫でした。理解不能なものに接したときに感じるちょっとしたストレスはやがて、大胆なコンポジションや異国のなじみのない仕草を楽しむ気持ちへと変わりました。そのうち、ラフカディオ・ハーンをはじめフェリックス・ガタリなど一連の親日家たちの著作と親しむようになりました......。細江英公の横溢する熱気、具体美術協会の前衛作家たちのグラマラスな大胆さ、もの派の「ものと対峙する」輝かしい姿勢、壮大な道元の『正法眼蔵』に加えて、『源氏物語』、松尾芭蕉、そして世阿弥、グラビア印刷のベルベットブラック、文楽、東福寺、土門拳の静けさ、Merzbow(秋田昌美)の唸り、そして、何よりも能があります。

「L>espace)(…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)の展示風景より、《STILL LIFE (IN COURSE OF ARRANGEMENT…) II》(2023)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris

 満を持して、1998年9月1日に私は初めての訪日を果たしました(なぜ、これほど遅くなったのか...…)。このときは、CCA北九州を運営していた三宅暁子氏と中村信夫氏に招待していただいたのですが、以降、今もこうして訪れています。

 初来日から25年が経ちましたが、数えてみるとあれから33回も足を運んでいます。春に数ヶ月滞日することが多いですね。私が好奇心を満たす手助けをしてくれるすばらしい友人やギャラリー、作品発表や出版、展示の機会に恵まれています。日本はひとつの「場所」というよりもひとつのメソッドとして、あらゆる面で、私の人生を育み、豊かにしてくれました。

──文化が異なる土地では言語が異なることもありますが、あなたの作品では、とくに「翻訳」が大きなテーマになっていますね。松尾芭蕉の俳句を英訳した作品や、マルセル・プルースト作品の日本語訳とか。子供のことから、ウェールズ語と英語が共存する多言語環境で育ったことで、異なる言語間の関係を意識するようになった部分もあると思いますが、あなたにとって翻訳は、どのような可能性を持つものなのでしょうか? 

  最初にウェールズ語、そのすぐあとに英語を覚えたことで、私は2つの言語を行き来する能力を身に付けました。そもそもどちらの言語も屈折と変化の可能性に満ちあふれています。それぞれが他方を通って屈折するため、一言語の束縛から解放されることは明らかです。

「L>espace)(…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)の展示風景より、手前は《…IN WHICH SOMETHING HAPPENS ALL OVER AGAIN FOR THE VERY FIRST TIME》(2006)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris

 翻訳は、何かを見るときに目が焦点を合わせる行為に似ています。異言語の文字や文章に対峙したとき、禅の修行において何度も繰り返される公案のように、それがなんなのか検討もつかない形状に私はピントを合わせます。

 とくにカリグラフィーは理解するのに時間がかかります。私たちが先人から継承した、花飾りのように記述される手書き文字には判読が困難な歪みがあります。それに対して、無数にある訳の選択肢のなかから何を選ぶのか。ああでもないこうでもないと思考を繰り返し、飽和状態に陥った私たちは、どのような意味を持たせるのかを決定する必要に迫られるのです。

 日本語を英語に翻訳することの難しさに関するもっともエレガントで歯切れの良い文章は、菅木志雄をどのように翻訳するかについての理論を展開しているアンドリュー・マークルの最近のエッセー、『Wor(l)d in Brackets』に収められています。

──あなたの創作の特徴は、情報伝達の手段を、「テキストや記号、光、音などを運ぶ器」ととらえ、別の器に移し替える=「トランスポジション」することで、元の器には見られなかった美しさを現出させ、作品の背後にあるコンセプトを重層化させることだと言われますが、ご自身ではどのようにとらえていますか?

 ある観点からとらえるならば、ご質問は私の見解そのものです。「器」が替われば周期的に振動するパルス/コードも変化し続けるでしょう。万物がそうであるように、そして無色透明の気体が突然発光するネオンのように。

「L>espace)(…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)の展示風景より、手前は《A=F=L=O=A=T》(2014)
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris

──また、あなたのインスタレーションには、どこか舞台装置のように感じさせる部分があります。「間」のようなものがあり、音や光の動きが、その空間内にフォルムをつくり出すような。個々の立体は、それらを身体的に感じさせるための装置のようでもあります。これらは、先ほどの「トランスポジション」という態度と、時間や流動性にも関係していると思いますが、その点についてお聞かせください。

 作者がいれば、当然そこには舞台がしつらえられます。つまり、空間が二重の意味を持つのです。

 イヴ・コゾフスキー・セジウィックは晩年に、効果的な瞑想の方法とは「あなたには頭がない、と想像すること」である、と提唱しました。

──今回の展示に出品されている作品について聞かせてください。確か、2000年代に、私も見せていただいたパリ市立近代美術館の個展に出品され、そのタイトルが展覧会の副題にもなったネオン作品や、「思考は直線的ではない」という考えが強調されたシャンデリア作品、「絶えず変化する静物画」としてターンテーブルの上の置かれた松の作品など、複数の作品が組み合わさることで、より複雑な概念と思考が視覚化されるような気がします。

 フォンダシオン ルイ・ヴィトンのコレクションから選ばれた、今回展示されているコンサートのような作品群は、壁の存在を前提としていません(Hors-les-murs)。後期資本主義の巨大企業の隆盛は、多くの人々の欲を満たし、生活に華やかさをもたらし、また私の作品を世界のあらゆる場所で展示することを可能にしました。

「L>espace)(…」(エスパス ルイ・ヴィトン東京)の展示風景より
Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris

──昼間は自然光がたっぷりと入る空間で、あえて光を遮ることなくネオンを使った作品を見せる意図はなんでしょうか?

 エスパス ルイ・ヴィトン東京は、これらの作品を“コンサート”として展示するためのほぼ理想的な条件を満たしています。主張の強いネオンの人工光がまとう無機的な峻厳さを和らげるためには、昼間の太陽光が必要です。反射に反射が重なる光学的な逆行と、投影現象によって瞬くガラス皮膜は、外部を内部へと迎え入れるとともに、内部をまるで外部に対する舞台のように仕立てます。屋内と屋外を結ぶ、エントロピーの幾何学的トンネル。硬質で磨き上げられた表面は、音の反響にも影響します。外の景色は変化を続け、太陽は時を刻みます。多くの方々が写真を撮ってくださることから、皆さんが作品に内在する何かしらの「身ぶり・しぐさ」を感じてくれていることは明らかです。

編集部

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