2021.1.29

コロナ禍でも止めない、美術館を拠点にしたコミュニティづくり。「とびらプロジェクト」の現在とこれから

2012年に東京都美術館と東京藝術大学の連携事業として始まった「とびらプロジェクト」。毎年一般市民から「アート・コミュニケーター(愛称:とびラー)」を40名ほど公募し、アートを介したコミュニティを形成するプロジェクトだ。いま、10期「とびラー」が募集されている。これまでの成果と展望、そしてコロナ禍でのオンラインの活用などについて、プロジェクトを率いる東京藝術大学美術学部の伊藤達矢特任准教授と、東京都美術館のアート・コミュニケーション係長を務める稲庭彩和子学芸員に話を聞いた。

文・写真=中島良平

左から、稲庭彩和子(東京都美術館・学芸員)、伊藤達矢(東京藝術大学・特任准教授)
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 2012年に東京都美術館と東京藝術大学の連携事業として始まった「とびらプロジェクト」。毎年40名ほどの市民を「アート・コミュニケーター(愛称:とびラー)」として公募し、美術館を拠点にアート・コミュニティを形成。任期を終えた「とびラー」は、様々な分野で活躍をしてきた。

 「とびらプロジェクト」をスタートするきっかけとなったのは、12年の東京都美術館のリニューアル・オープンだった。リニューアルにあたっては、「新生・東京都美術館は、『アートへの入口』となることを目指します」とその使命を明記し、あらゆる市民がアクセスできる美術館を目指すことが宣言された。その実現のためにどのような活動を行うべきか、東京都美術館が東京藝術大学で教授を務めるアーティストの日比野克彦に相談をしたことから、連携事業への道筋が生まれた。半年間の準備期間の末、一般から公募したアート・コミュニケータと、東京都美術館の学芸員、東京藝術大学の教員を中心とする専門家がチームとなり、美術館を拠点に「創造と共生の場=アート・コミュニティ」の形成を目指すプロジェクトがスタートした。

東京都美術館

 プロジェクトを率いる東京藝術大学美術学部の伊藤達矢特任准教授と、東京都美術館のアート・コミュニケーション係長を務める稲庭彩和子学芸員に、今年度の募集で10期を迎えるこのプロジェクトの成果と展望、そしてコロナ禍でのオンラインの活用などについて話を聞いた。

──「とびらプロジェクト」は美術館を拠点にして、展覧会事業などと連携しプログラムを展開しています。このプロジェクトのコンセプトをお聞かせください。

伊藤 美術館では作品などの美術品や文化財といった「もの」が主体となることが多かったのですが、東京都美術館では「アートへの入口」となることを目指すと明言しているように、「もの」と「人」が対等に扱われています。アートを介して人がどのように豊かに社会と接続していけるかを考えることを重視して、「創造と共生の場=アート・コミュニティ」のコンセプトが生まれました。ここでは伝える側と受け取る側、教える側と教わる側という単一方向の関わり方ではなく、アートの専門家もそうでない人も双方向的にコミュニケーションをとり、価値観を交換することで、アートのもつ力を社会に接続することを目指しています。

──美術館と社会をつなぐ役割を担うアート・コミュニケータは、どのように選ばれるのでしょうか。

伊藤 「とびらプロジェクト」のアート・コミュニケータには「とびラー」という愛称がついていて、一般公募により現在140名ほどの「とびラー」が活動しています。1年ごとに40名程度を募集し、3年間の任期で「とびラー」として様々な活動を起こしていきます。年齢は18歳以上、年代は70代まで幅広く、職業も会社員、教員、医師、フリーランサー、学生と様々で、多種多様な価値観を持つ人々が集まるような場となっています。

「とびラー」の集合写真

稲庭 最初の1年は、新しいコミュニティづくりの基本を学ぶ「基礎講座」から始まり、毎年、「鑑賞実践講座」「アクセス実践講座」「建築実践講座」という、「とびらプロジェクト」での実践的な活動場面を想定して設けられた3つの学びの場のなかで、私たちの社会をとりまく課題について視野を広げながら、活動のイメージを膨らませていきます。そして「とびラー」たちが企画を提案し参加できる「とびラボ」は、1年目から3年目まですべての「とびラー」が参加する自発的な実践の場です。私たちは「この指とまれ式」と言っていますが、新しい活動のアイデアがひらめいたら仲間の「とびラー」に提案し、3人以上集まったらチームをつくって「とびラボ」はスタートします。「とびラー」の視点で美術館をもう一度とらえ直し、展覧会にちなんだワークショップや、勉強会など、様々な活動を立ち上げることができます。これまでには聴覚障害者と聞こえる人が、筆談で対話しながら作品を鑑賞するプログラムなども行われてきました。「とびラー」たちはこうした活動のなかで発見したアートの魅力や価値を様々な人々と共有していくことを大切にしています。

筆談で対話するプログラムの様子

伊藤 「とびラー」には多種多様な価値観を持つ人が集っています。なので「とびラボ」で企画を進める際にも、みんなが自分の前提を当たり前にしない、ゼロからの対話を心がけてきました。職場が同じであったり、育ってきた環境が近い人だったりすると、あまり説明しなくてもその場の前提を共有することができるかもしれません。しかし、本当に世代も職業も違う人々が集うコミュニティを構築しようと思ったら、前提の情報も価値観も違うわけですから、丁寧に対話しながら、共有できることを少しずつ増やしながら活動を進めなければコミュニティは構築できません。

講座の様子

──アートを介してそうしたコミュニティづくりをすることには、どのような可能性があるのでしょうか。

伊藤 「誰もが誰もを知っている大きくて強固なコミュニティ」と劇作家の平田オリザさんが著書のなかで表現していますが、まさに昭和30年代ごろのコミュニティはそのようなものだったと思います。ご近所や趣味のつながり、職場や学校などが、大きく絡み合っていて、いい意味では包摂的な、逆の意味ではしがらみがあるコミュニティでした。ではいまはといえば、価値観が多様化し、異なった価値観を尊重しようとするいっぽうで、他者への関心は薄れ、コミュニティは分断されつつあるように感じます。職場に行けば知り合いがいるけど、マンションの隣には誰が住んでいるのかわからないとか、趣味のコミュニティには属しているけど、プライベートとは切り離しているとか、そもそもどのコミュニティにも所属している実感がないなど、色々なかたちが生まれています。

 そこには現代社会の自由度の高さというポジティブな面もありますけど、同時に部屋で孤独死して、後に発見されるようなことが起こるなど、孤立という社会課題と隣り合わせの難しさもあります。そこで私たちは、旧来の地縁や血縁といったコミュニティに代わる現代の社会に合ったコミュニティのかたちのひとつとして、文化縁(アート・コミュニティ)というものを提案したいと考えています。異なる価値観をもつ人たちが美術館というプラットフォームに集まり、アートを介して対話や学びの場を生み出すことで、社会のなかに新しい共有知をつくっていこうというアイデアです。こうした活動は、貨幣価値には換算できない社会的財産をつくることにつながると考えています。

──「とびラー」が、3年間で経験したことを自分の生活圏に持ち帰り、新たに価値観を共有するコミュニティをつくることが「とびらプロジェクト」で目指す循環ということなんですね。

稲庭 3年経つとみなさんの理解も深まり、共有知が増え、それぞれの社会で活動していく段階になります。新しいとびらを開くという意味を込めて任期を満了することを「開扉(かいぴ)する」と表現しているのですが、そうした一定量の共有知を積み上げるために3年は必要だと考えています。ビジネスの世界から見ると3年は長いかもしれません。しかし、コミュニティをゼロからつくるとなると、ビジネスのような議論の速さではなく、ゆっくり、じっくりと対話を進めることで、初めて健やかなコミュニティが生まれると感じています。

美術館展示室での特別鑑賞会の様子

──2020年はコロナ禍によって、多くの美術館が休館しました。「とびらプロジェクト」もやはり、活動が制限されたのでしょうか。

稲庭 その不安はありましたが、結果的には「とびラー」たちの活動の回数は倍増しました。今年度はZOOMを用いたオンラインでの活動が基本となりました。「とびラー」たちの活動に対するモチベーションが大きく下がるのではないかといった心配とは裏腹に様々なアイデアが出て、参加者も増え、今年度は11月の時点で例年の倍にもなる300回を超えるミーティングがオンライン上で行われている状況です。

ZOOMミーティングの様子

伊藤 物理的に美術館に集まることにこそ活動のモチベーションがあるのかと思っていましたが、それだけではなかったんですよね。私の感覚では、いまはオンラインだけど、状況によってはまた美術館にリアルに集まることができるという見通しのようなものが共有されているからこそ、熱量のある活動が続けられていると感じています。オンラインとリアルの両方の状況があるので、結びつきの安心感が生まれているのではないでしょうか。建築実践講座は1回だけリアルで行いましたが、「とびラボ」だけではなくその他の講座のほとんどはオンラインでの実施となりました。オンラインで活動することに当初は不安もありましたが、ふたを開けてみれば、「とびラー」の合計人数が140人のところ、プログラムを全部合わせると12月半ばの時点で「とびラー」の参加延べ人数は7400人にもなっていました。

──オンラインへの移行はスムーズに行なわれたのでしょうか。

稲庭 2020年度は7期、8期、9期の「とびラー」が参加していますが、今年度入った9期「とびラー」は年度初めの基礎講座からオンラインでの参加となりました。7期と8期でリアルにコミュニティができているところに9期が入ってきたので、リアルがあってのオンライン、という熱量や信頼関係に助けられている部分はあるかもしれません。

オンラインでの講座

 初めてZOOMを取り入れたのは、前年度の3月に6期の任期満了を祝う「開扉式」でした。なんとか6期を送り出し、オンラインでプログラムを行う経験値もないなかで、すぐに4月からもオンラインを活用してプロジェクトを進める準備をしなくてはならないとなったときに、7期と8期のメンバーが考えてくれた企画がその後のオンラインでの活動を定着させる大きなきっかけになりました。予定していた、対話しながら作品を鑑賞する一般の方向けのワークショップがコロナで開催できなくなってしまったので、せっかくなのでそのイベントを引き継いで、オンラインでの開講にチャレンジしてみようということになったのです。ZOOMのミーティングルームを20室同時に立ち上げて、20のワークショップが並列しているオンライン上でのフェスのような企画を実践し、それがとてもいい場になったんです。

伊藤 開催が5月の終わりごろでしたね。ワークショップの番組表みたいなものがオンライン上の掲示板にアップされて、そこでZOOMのURLを一覧できる仕組みです。オンラインを活かして活動するための準備を、すべて運営側の限られたスタッフだけで行っていたら、大変な時間がかかってしまったと思います。でもあの「とびラー」たちによる5月の企画以降、オンラインでの取り組みの試行錯誤はいっそう活発になり、コミュニケーションのとり方にも厚みが出てきましたね。

稲庭 「とびラー」には聴覚障害の方が2名いますが、UDトークという音声をテキストにして会話を見える化するアプリをみんなでマスターするなどもしました。また、スタッフがZOOMで新しい講座の開発をするのと並行して、「とびラー」たちが積極的に色々と提案してくれました。年配の方もいらっしゃるし、ITに明るい人ばかりではないので心配はありましたが、早い段階で共有知が増えましたね。

伊藤 ITの苦手な人も入ってきやすいように、事前に苦手な人をフォローアップする方法も編み出されていきました。また、ZOOMでただミーティングをするだけではなく、Padletという付箋のようにメモを貼り付けられるアプリを並行して使ったり、Googleのスプレッドシートでコメントを書き合う方法をとったり、物理的に会えない状況でどうやって密度の高いミーティングをするのか対話を重ね、発見や手応えを感じ、ワクワクを共有しながら一緒に考えることができたのはとても良いプロセスだったと思っています。

──2020年の3月で7期目の「とびラー」が開扉(卒業)するわけですが、6期までの「とびラー」たちのその後の活動についてお聞かせください。

伊藤 たとえば「六本木アートナイト」の対話による鑑賞プログラムの運営に携わる会社は、元「とびラー」が立ち上げたと聞いています。また、「knock-knock(ノックノック)」という活動を続けているメンバーたちもいます。児童養護施設と連携して、子供たちを美術館に招いて対話をしながら作品を一緒に鑑賞する場をつくる活動を行っています。後は「Apperciate Approach Association」という法人を立ち上げた元「とびラー」たちは、東京都美術館で開催された「BENTO おべんとう展」で、会期中に会場内のファシリテータのチームの運営を受託するなど、みなさんアート・コミュニケータとしての経験を活かした活動をしています。

「BENTO おべんとう展」の展示風景 撮影=平野太呂

──2020年7月にウェブ版「美術手帖」で取材した取手の「たいけん美じゅつ場 VIVA」でもアート・コミュニケータの方々が活動しています。アート・コミュニケーションの取り組みが各地に広がっていますね。

伊藤 アート・コミュニケータが活動する地域が、東京の「とびらプロジェクト」と取手の「体験美じゅつ場 VIVA」を含めて全国に6ヶ所あります。「札幌文化芸術交流センターSCARTS」、長野県信濃美術館、岐阜県美術館、あと山口県宇部市です。また、これからオープンする八戸市新美術館でも準備が進められています。元「とびラー」の方々が各地で活動していることと合わせて、アート・コミュニケータの活動に関心をもってくださる方々が視察にも来てくださいますし、活動が広がっている実感はあります。

稲庭 各地のアート・コミュニケータと「とびラー」も交流していて、「アート・コミュニケータとは何か」という定義を議論する必要性を強く感じています。また、こうした進展を見ていると、従来の文化施設と市民の関わり方とは異なる動きが全国に広がっているとも感じます。

──美術館を拠点にアート・コミュニティを形成する「とびらプロジェクト」を9年間続けられてきて、アートに対して新たな発見などがありましたらお聞かせください。

伊藤 アートってなんだろうって考えれば考えるほど、アートって広くて深いな、と思います。時代によってどんどん変わり、膨張し、色々な物を包んでいく。現在まで各地で色々なアートプロジェクトがあって、市民参加できる機会はあったと思いますが、地域おこしなど、どこかで経済的な成長を背景に求めたものが多かったように見えます。しかし、「経済成長なのか?」という疑問符がついたこれからの社会においては、アートと人々の関わり方をもう一度とらえ直さなくてはなりません。多様化が進むなかで、様々な人々が社会に参加できるためには、どういうコミュニケーションの回路が必要か、どんなコミュニティを育くめばいいのかと考えると、そこではアートが大きな役割を果たすと感じています。

稲庭 アートは風景を共有できるものですよね。たとえば東大寺の大仏がつくられたのは、みんなが眺める行為を通して世の中の安寧をいっしょに願えるからですが、そのような人々がつながれる土台を獲得できるという機能が、アートには連綿と続いています。展覧会の作品をともに鑑賞することで、「とびラー」たちから色々な考えが出てきて、議論が重ねられ、それぞれの理解が深まっていくことを経験することが何度もありました。美術館に作品が展示される前から、「とびラー」たちは作品を調べ「とびラボ」の準備を始めたりもしますが、実際に作品を見るとプログラムのイメージが一気に広がることがあります。それは作品をともに見ることで起きる理解の共有であり、そこにある価値の増幅なのだと考えます。それがアートの持つ力、ビジョンを引き出す力だと思います。昨今の文化政策のなかでは持続可能な世界を実現するためのSDGsに言及されるようになりましたが、自分たちにとってのウェルビーイング(Wellbeing/幸福)な状況をどのように構想し、多様性のある共生社会をつくっていけるか。アートは人々の創造性をつなぐ役割を持ち、健やかな社会づくりに必須なものだと思います。