【DIALOGUE for ART Vol.7】日常で感じた心の動きを見逃さない。「物語」に展開しそれぞれの表現へ

「OIL by 美術手帖」がお送りする、アーティスト対談企画。京都を拠点に活動する高瀬栞菜と天牛美矢子は、ともに京都市立芸術大学出身で世代が少しだけ違う。2人の共通項は「物語性」。「負」の感情から発するものを物語のちからによって独自のスタイルに昇華させた両者の世界が、対話を通して明らかになるだろう。

文=小吹隆文 撮影=麥生田兵吾

COHJU contemporary artにて。高瀬栞菜(左)と天牛美矢子(右)

共通する物語性

天牛美矢子(以下、天牛) 私と高瀬さんは京都市立芸術大学出身ですが、世代は少しだけ離れています。高瀬さんご本人と出会う前から、後輩で良い絵を描く子がいるなと思っていました。2年前、京都のギャラリー恵風で「壺 つぼ ツボ 展~つぼに魅せられて~」というグループ展が行われたときに、私と同じシェアアトリエ「punto」の子が参加していたので見に行ったら、高瀬さんも出展していましたね。

高瀬栞菜(以下、高瀬) puntoがオープンスタジオを開催したときに、私は初めて天牛さんとお話ししたように思います。普段puntoで制作を行っている松平莉奈さんが大学で非常勤講師をされていて、そのご縁で遊びにいかせていただきました。友人のアルバイト先の先輩として、学内にいたときから天牛さんのことは存じ上げておりましたが、卒業後のほうが展示会場でお会いして、お話しする機会が多くなりましたね。

高瀬栞菜

天牛 高瀬さんの作品の物語を想起させる部分や、情景を描いているところが気になっていました。どんな話なのか、このモチーフはなんなのかとか。以前、インタビュー記事で高瀬さんが、最初にストーリーを考えてそこから絵画に発展させると話されていて、ますます興味が募りました。

高瀬 天牛さんの作品が持っている物語性や、不穏な気配が漂っている部分は、自分と通じるところがあると思います。いっぽう、私が絵画なのに対し、天牛さんは手芸と絵画を組み合わせています。大学では染織専攻でしたよね。

天牛美矢子《Look What I've Got (2)》(2022)

天牛 受験生のときに京都市立芸術大学の学内展を見て、染織科の河野愛さんに感動したのがきっかけです。展示されていたのは《草の星》という作品で、ドールハウスの写真を大きく引き伸ばして布地にプリントし、家型に仕立てて吊っていました。その作品がとても印象に残っています。また、母も大学生のときに染織を専攻していたことや、幼い頃仲の良いお婆さんが色々針仕事を教えてくれたこと。大学の時にお世話になったひろいのぶこ先生がアーティストであると同時に世界各国の染織品を収集する研究者でもあったので、在学中様々なコレクションをお見せいただいたことには大変影響を受けました。思い返すと、小さい頃から地元の国立民族学博物館によく通っていて、アフリカンアートのお面や看板絵が大好きでしたね。

高瀬 作品はどういうところから生み出されるのですか。

天牛 きっかけは、現実社会の問題や歴史上の出来事が多いです。そこから自分のフィルタ−を通して、様々な要素を織り交ぜて出している感じです。自身が受け止め難いと感じた物事に、作品の持つ物語性を通してアプローチしたいという気持ちがあります。例えば自分の祖父母から聞いた戦争の話や、社会への憤り、それらに面した時の自分の感情。そこからいろんなナラティヴが生まれて要素を加えて作品ができあがります。

天牛美矢子

高瀬 私の場合はもっと身近で、自分の日常で出会ったやるせなさとか、消化しきれなかった感情、他人から聞いた出来事などからキーワードを探し、制作しています。そのきっかけは学生時代のエッセーを書く授業を受けたこと。それまでは言葉を使わず、頭のなかにあるイメージをそのまま描いていました。でも、それだと行き詰まることが多くて。そんなときにエッセーの授業があり、言葉で頭のなかを整理する機会を得たことで、制作の幅が広がりました。いまは、何かを感じたときにメモをとるようにしています。最近はとくに、人とのコミュニケーションのあいだで感じたことをテーマにすることが多くなりました。

天牛 ネガティブな感情を文字にするのはなぜですか。

高瀬 つくらないではいられない衝動にかられるような、心に引っ掛かりができるからだと思います。天牛さんはいかがですか。戦争がベースにあると言われましたが?

天牛 戦争にまつわる出来事や、祖父母の話から現代にも続いている問題は、あまりにも大きくて、自分がどうこうできるとは思ってはいません。ただ、自分を通して作品をつくることで、そこに近づきたい、わかろうとしたい。強迫観念みたいなものがあるのかもしれない。

高瀬 心にぐっと残るのがそういう感情なのですね。

天牛 執着もあるし、負のものに対して自分がどう対峙するかというところで作品をつくっていると思います。

高瀬 私の場合は普段、メモをとっていると単語や文章で同じような言葉が何度も出てくることがあります。いまの自分はこういうことを思っているんだという気付きから発し、それを絵にします。

天牛 私も気になるモチーフやものごと、話が漠然と頭のなかにあって、それを別のシンボルに置き換えたりしながら、頭のなかでパズルのように組み立てています。ある瞬間にそれがかたちになる。試行錯誤を続けながらつくっています。

高瀬 私はエスキースの時間を大事にしています。下描きを完成作と同じサイズで描いて、細部まで詰めてから「行くぞ!」という気持ちでキャンバスに向かいます。でもそこから心変わりして、失敗作になることがとても多い。

天牛 何度も描き直すと言ってましたよね。

高瀬 はい。描いている途中にサイズ感が違うと思ったらもう駄目で、もう一度下書きからやり直します。だから、なかなか作品が完成しません。例えば、横構図で完成した作品も最初は縦構図で、途中はスクエアでした。私にとってサイズ感はとても重要で、途中で「このサイズは違うな」と思ったらもう続けられない。途中までの同じような下描きがアトリエにいっぱいあります。

高瀬栞菜(左)と天牛美矢子(右)

制作の原動力は「負」の感情

天牛 高瀬さんの作品には、爪のある獣や犬といった定番のキャラクターがいますが、あれはどんなふうに出てきたのですか。ちょっと悲しそうな顔をしていることが多いけど、この子はこういう役目、というような設定はありますか。

高瀬 昔は人間を描いていたのですが、「誰がモデルなの」など、伝えたいこと以外の質問をされることが多かったんです。作品と自分を切り離して考えてほしくて、鑑賞している人の頭のなかで物語を想像していける絵にしたかった。それから人間の代わりに動物を描くようになりました。動物が登場するけど、じつは人間の話を描いています。動物は人と向き合ったときに、自分を守るために防御や攻撃の態度を取ることがあるでしょう。人間の世界も同様で、尖った爪や毛皮は人間にはないけど、その比喩としてモチーフに選び、描いています。

高瀬栞菜《からまれる手》(2022)

天牛 私は、キャラクターは昔の神話のモンスターを参考にすることが多いです。一時よく描いていたのは、頭が女性で体が鳥のセイレーン。浮かばれなかった魂の象徴とも言われ、地縛霊のようなものです。すごく悪い奴らで、人を死へと誘いますが、もとは悲しい存在でもある。そういった両義性のあるものが好きなんです。最近は悪魔も描きますが、ヨーロッパ中世の写本などを見ると、見た目がユーモラスじゃないですか。悪魔は邪悪な存在で、滅ぼすべきものとされていますが、もとはキリスト教によって邪教にされた別の宗教の神だったりする。二面性のあるものに惹かれますね。

高瀬 私の作品はネガティブな感情から出発しているけど、絵柄はポップでコミカル。ベースにあるのはネガティブな感情なので、不穏なところが奥から垣間見えるというギャップを持っています。描いているのはファンタジーではなく、現実的な、本当に自分の身近な話です。

高瀬栞菜《Arrow in the bed room》(2022)

 《Arrow in the bed room》は、枕に矢が刺さっていますが、その矢には手紙がついています。相手と対話していたときに、その人の言い方が攻撃的だったので、気持ちを受け止めきれずに逃げてしまった。話の内容は、おたがいの状態が良いときであれば向き合ってしっかり話し合えることだったりするのですが、できないときもある。この作品はそんな誰にでもある心情を表しています。

天牛 高瀬さんの作品は、個人的な話だけど普遍性がある。あくまで自分が体験した、やきもきした感情だとか、そういうものを描き切っているから、他の人にも伝わるのではないかと思います。私ももっと素直に感情を描きたいと思うこともあるのですが、いつも思考が寄り道します。表現したいテーマがあったときに、その作品の背景のストーリーを盛り込みがちです。架空の国のお祭りではこんな装束を着る、その世界の神様はこんな飾りで祀られる、というように。現実社会から受けた発想やモチーフに、何重もフィルターをかけている感じですね。

天牛美矢子《理想郷です》(2022)

 例えば《理想郷です》は、たくさんの目が放射状に連なっています。これは、誰かにとってのユートピアは、誰かにとってのディストピアかも知れない、とユートピアについて考えていたときに制作した作品です。モチーフの目は、小説の『1984』(1949)に出てくるようなディストピア的監視社会の象徴として使いましたが、目というモチーフはアラビア圏などでは厄除けのお守りに使われていることから、同じモチーフでも見る人の背景や文化によって別の意味を持つことがあるということを表しています。

 また、連続性は装飾に呪力を持たせるキーポイントです。目というシンボルを執拗に縫い繋げていくことは、まじないをかけているようでもありながら、祈りを捧げているみたいだと思いながら、パッチワークで曼荼羅のようにつくりました。

取材中、言葉を慎重に選び丁寧に解説をする姿が印象的だった高瀬
《Demon / Cait Sith》(2022)を持ち、愛嬌たっぷりに撮影に応じてくれた天牛

ルーツは西洋美術と古書店

高瀬 私が影響を受けたのは西洋絵画で、ボナールやマティス、ティントレット、ウッチェッロなど。構図と色に特徴があり、独自の表現に昇華している作家が好きです。じつは幼稚園から小学校4年生までフランスに住んでいたので、西洋美術に触れる機会が日常的に多かったんです。ルーヴル美術館にもよく通っていて、小さいながらも宗教画をたくさん見ていました。いま思うとすごく贅沢ですね。

天牛 バックグラウンドを聞くと高瀬さんの作品に説得力が増しますね。高瀬さんの作品にひそむ宗教画っぽさは、アトリビュートなど、モチーフに意味を込めている感じがまさに宗教画の影響を感じます。私もルネサンス以前の宗教画が大好きです。あの絵画の技巧として完成しきっていないところが良いですよね。ほかには中世の写本や、本の挿絵、作家でいうと19世紀に絵本が花開いた頃のウォルター・クレインやグリーナウェイ、ジョルジュ・バルビエ、とくにグランヴィルなどはブラックユーモアが効いていて好きです。

高瀬 天牛さんのご実家は古書店を経営されています。その影響はやはり大きいですか。

天牛 とても影響しています。小さい頃からたくさんの珍しい稀覯本に囲まれて育ち、本を読むことも、文章を書くことも自然と好きになりました。 いまも作品制作と並行して『MOTEL』というZINEを数人の仲間とつくっています。また、昨年の個展からテキストも作品として展示するようになりました。同じアトリエの山西杏奈と森山佐紀で開催した2人展「朝と夜、森にて」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、2020)では、最初私はキュレーションのみの予定だったんです。しかし私の詩やテキストを以前から見ていたふたりが「詩を展示してみたら」と提案してくれて、「詩と構成」で参加することになりました。そのときに初めて自分の詩を展示したのですが、反応が良かったんですよね。詩を展示するのは楽しかったけれど、自分の内臓を見せるような恥ずかしさもありました。でも実際に展示したら、それを見たほかの作家から「じつは僕も短歌を少々」と言われたことがあって。詩や文章をこっそり書いている作家は、意外と多いのかもしれません。

高瀬 私も読書は好きです。文章を書くことに憧れがあるのですが、文章ではうまく表現できないので絵を描いているところがあります。

天牛 学生時代、エッセーの授業はしんどかっただろうけど、高瀬さんがいまでも文字を書き留め続けているのはもともと好きだったからでしょう。高瀬さんの文章を読んでみたいので、ぜひ絵と文章を一緒に展示してほしいです。

共通の友人も多く、積もる話に花を咲かせるふたり

シェアアトリエでの制作とこれから

天牛 私は「punto」という共同アトリエで制作しています。puntoは同期の友人たちが立ち上げました。私は大学院で一浪したので、彼女たちが共同アトリエをつくったあと、ひとり分のスペースがあったので入れてもらいました。おたがいのスペースが壁やドアで仕切られておらず、活発に対話しやすいのが長所です。

高瀬 私も「ハイデンバン」という共同アトリエで制作しています。もともとの知り合いはおらず、場所で決めました。別の大学の出身者が多く、メンバー10人のうち7人が男性です。ひとりだとちょっと怖かったので、同期の子に一緒に入ろうと誘いました。

天牛 ひとりで制作するのと、シェアアトリエで制作するのは、違う良さがありますね。私たちはみんなで研修旅行に行くくらい仲が良いですが、ただの仲良しこよしというわけではなく、おたがいにすごく真面目な部分やあっさりしているところがあって居心地が良いです。何か問題が起こったら早めにみんなで話し合いますし、一緒にやっていくことに意識的でないと共同アトリエは続かない。

高瀬 ハイデンバンはpuntoと違ってひとりずつ個室を持っているので、作品を見せ合うことはたまにある程度です。立ち上げからメンバーの入れ替わりも頻繁で、それぞれが自由にやっているという雰囲気があります。

天牛 私たちはメンバーが展覧会を開催するときにおたがい搬入を手伝うこともあります。私も去年の個展では、メンバーのなかに作品の距離感を見るのがすごく上手いなと思っている子がいて、その子に設置のアドバイスをしてもらいました。

高瀬 羨ましい。そういう人がいてくれたら心強いですね。シェアアトリエも良いですが、私は最近レジデンスにも興味があります。最初は国内から、将来は海外のレジデンスにも行ってみたいと思っています。ずっと関西にいて、展示も京都が多いので、もっと活動範囲を広げたいです。いまはSNSを通して多くの人に私の作品を観ていただけているようなのですが、画像では伝わらないことも多いので、実物を見ていただく機会を増やしたいです。

天牛 おたがい京都以外の場所での展示も続いていきますが、前から話していたように来年、ぜひ2人展しましょう。

高瀬 はい、ぜひお願いします。

天牛美矢子(左)と高瀬栞菜(右)

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※それぞれの作家の作品は、数ヶ月以内に他作品の追加出品を予定しております。

編集部

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