2021.10.8

ガラス越しに見た世界を絵画に表現する。小川万莉子、和田直祐インタビュー

ギャラリー麟で二人展を開催中の小川万莉子と和田直祐。画材の特性を見極めながら、画面にレイヤーを生み出して絵画表現の可能性を追求するふたりに取材した。

文・写真=中島良平

小川万莉子と和田直祐
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 展覧会タイトル「full-size room」はふたりで話し合って決めた。カメラのセンサーのサイズを表す「フルサイズ」から引用し、コンパクトサイズのセンサーに比べて広い範囲を捉えられる「フルサイズ」による画面をそれぞれの手法で実現する趣旨だという。技法も作品の印象も異なるが、それぞれにペインティングのスタイルがどのように生まれたのか、自身の作品と展示タイトルがどのように結びついているのか、それぞれから話を聞いた。

「full-size room」展展示風景より、左から小川万莉子《重ねの庭016》(2021)、和田直祐《Towards the pillar #2》(2021)、《Towards the pillar #1》(2021)、小川万莉子《重ねの庭015》(2021)

頭の中に具象的な景色が投影されるような抽象絵画。和田直祐

「full-size room」展展示風景より、和田直祐《Towards the pillar #1》(部分)(2021)

 美大に進学した最初の2年は、漠然と絵を描いていたという和田。3年目に新しいことに挑戦しようと抽象絵画を始め、絵の制作プロセスの探求に深く入り込んでいった。

 「色の重なりや交わり、そこから生まれるハレーションなどを考える要素として画材に興味を持ち始めました。画材と相談する過程でいろいろな表現が見つかりますし、無限にできることがあるように思えてハマっていきました。そして大学院の頃に試した画材が、カシューという洋漆です。特殊な画材で、ツルツルで暗くて黒い車のボディみたいな色なので、それを使って自分が反射して映るぐらいの表現をしてみたかったんですね」。

和田直祐
「full-size room」展展示風景より、和田直祐《A chip #3》(2021)

 ツルツルの黒い車のボディのような作品の表面には鑑賞者が映り込み、また鑑賞者は、作品の表面のみではなくその奥行きにある色の揺らぎに目を凝らすことになる。そうした視覚効果を生み出すために、塗って削る作業をひたすら繰り返すのだという。

 「レイヤーをかなり薄く敷き、重ねて削ってという作業を繰り返して一番上の層に結構厚く透明の漆を乗せてみたら、黒が奥のほうで乱反射するみたいなことが起こるんです。そこから透明と黒の関係を試したり、透明の漆に別の色を加えたりしながら、レイヤー表現をいろいろと試すようになりました。何層もレイヤーを重ねているので、どの位置に焦点が合うかで見え方が結構変わるんです。人間の目のバグじゃないですけど、そういうものを引き出せるような作品を考えています」。

 大学院時代には、薄く絵具を塗り重ねていく古典絵画のグレーズという技法と、漆の工業的な制作方法を引き合わせ、現在の表現の土台となる技法を獲得した。そして、描かれる画面は抽象的でありながら、奥行きや色の配置などによって目を画面の色々な場所へと誘導すると同時に、何かしら具体的なイメージの連想も引き起こす。

「full-size room」展展示風景より、和田直祐《A chip #4》(2021)

 「例えば、通勤するときにいつも通る道があるとするじゃないですか。いつも見えるビルがあって、朝だと青っぽく見えるけど帰りはオレンジ色に見えたり、もしくは黒かったり。天気や時間帯で別の色に見えて、実際の色とはかけ離れたものだったりする。周りの暗さや光の影響で見え方が変わって、自分の頭のなかで色やかたちが形成されていくような感覚です。僕の作品も、実際に見たあと頭のなかにそうやってイメージが投影されるような媒体にしたいんです」。

 カメラのフルサイズという単語を最初に和田が提案し、小川と互いの作品の共通点について話す段階で、ファインダーを覗いて世界を見るような「ガラス越し」というキーワードも出てきたという。透明なレイヤーを重ねることで光と色の屈折を生み、

 「フルサイズという言葉は、目的や機能のために何かを制限する前の状態だと考えています。アトリエの光の影響も受け、塗って削ってという作業を繰り返しながら生まれる偶発性も取り込み、コンパクトにまとめるのとは違う方向で制作した作品ということでも、今回の作品は展覧会タイトルと合っているのではないかと思っています」。

 一見すると寒色系のグラデーションで構成された美しい画面。じっと見つめ、自分の目が作品のどのレイヤーを捉えているのかを探るうちに、目がどんどんと引き込まれていくような効果が和田の作品に生まれていることに気づかされるはずだ。

自然の中で得た体験を絵画で追体験する。小川万莉子

 「画材の質感で見せたいというのが、私の表現において一貫しています」と語るのは、小川万莉子。蜜蝋やパラフィンワックスなど、独特な素材づかいでペインティングを手がける小川だが、和田がレイヤーと奥行きによって視覚効果を生み出す材料として漆を用いるのとは対照的に、素材の質感そのものによって効果を生み出すことを目指している。

 「木炭で線を引いて空間を削っていくような表現を初期の頃から続けているのですが、それを2メートル四方ぐらいの大きな作品で行うと、自分が画面のなかに切り込んで入っていくような感覚を得られるんですね。しかし、それを小さなサイズでやろうと思っても木炭だけではその感覚までを表現しきれなくて、そのときに蜜蝋のような、半透明な素材で質感によって補えると思ったんです。実感を伴った表現によって線で表現しきれない部分を補おうという発想から、身体感覚に基づいた表現を試みるようになりました」。

小川万莉子
小川万莉子《シキの作庭020》(2021)

 そして作品のモチーフもやはり、身体感覚と強く結びついたものだ。

 「自然のなかを実際に歩き、光や音、風などを体で感じるときって、自分と周りの境界線が薄くなるような感覚があるんです。自然と一体化するような感覚です。その感じを絵で表現したいというのがまずあります。あのとき、あの場所で感じた感覚をモチーフにするような。追体験するために描き進めます。そして、ここに線が入ったほうが画面が締まると思ったら1本の線を加えて、『あのときの感覚に近づいた』という実感を得ながら完成に近づいていきます」。

 「画面の中に光を集めるような表現をしている点が、和田さんと私の作品には共通していると思います。そこからフルサイズというカメラにまつわる用語が出てきて、『ガラス越しの』という表現も出てきたので、私は画面に窓枠のようなものをつくる画面構成を考えました。室内に座って窓越しに風景を見るようなイメージで、絵の中に窓をつくったんです。窓のこっち側の室内と向こうの景色があって、その境界としてガラスがあるような作品はそのように生まれました」。

 「カメラ」はそもそもラテン語で「部屋」を意味する単語だ。一点の穴から部屋に光を取り込み、それを平面に投影して像を浮かび上がらせることが写真撮影の原理であり、小川の作品はまさに、カメラから像を獲得するプロセスを表現したものだともいうことができる。その画面に視覚化されるのが実際の景色の再現ではなく、ある環境における体験の追体験だというのが作家としての独自性を形成する。

「full-size room」展展示風景より、小川万莉子《重ねの庭015》(2021)
「full-size room」展展示風景より、小川万莉子《重ねの庭016》(2021)

 「大学生の頃に椅子のある風景を描いていたことがあって、人のいる気配であったり、人を描かずに生活の気配を描けないかと考えるようになったんですね。そこから発展して、人だけではなくて、もっと周りの空気全体を取り入れたらどうなるのかと、そんなところから始まりました。

  そのような過程を経て、自然での体験をモチーフに絵を描くようになったのですが、制作に携わっていて好きな瞬間がふたつあります。ひとつは、絵を描き始める前の話です。自然のなかにいて、この風景が好きとかこの波の感じが好きとか、そういうのをたくさんインプットしながら絵に昇華できそうだなというアイデアが出てくる瞬間があるんです。それがひとつで、もうひとつは、絵を描いていて自分でも想像していなかったものが出てくる瞬間があるんです。それも自然との出会いのように、自分の絵のなかで嬉しい出会いが生まれる感覚があって描いていて感動しますね」。

「full-size room」展展示風景より、左から小川万莉子《重ねの庭014》》(2021)、小川万莉子《重ねの庭017》(2021)

 抽象絵画の可能性をふたりの対比によって感じさせる「フルサイズルーム」展。異なるスタイルでのレイヤーの構成を見比べることで、作品の表面ではなくその背後や奥のほうに見える景色を読み解きたくなるふたりの、これからの表現も見続けていきたい。

「full-size room」展展示風景より、左から小川万莉子《シキの作庭018》(2021)、和田直祐《A chip #3》(2021)、小川万莉子《シキの作庭019》(2021)