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感覚そのものをとらえる。アピチャッポン・ウィーラセタクンインタビュー

タイの映像作家アピチャッポン・ウィーラセタクンの個展「Memoria」が、7月7日〜8月4日にSCAI THE BATHHOUSEで開催される。本インタビューは、映像研究の中村紀彦が、アピチャッポンに関する修士論文執筆の参考として取材したものである。収録は2016年12月だが、アピチャッポン作品に関する多角的なトピックが展開され、2016年のアピチャッポンの動向を総括したものでもあるため、ここに掲載する。

聞き手・文=中村紀彦 通訳=樅山智子

映画『光りの墓』より © Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

光からも、現実からも、目を背けることはできない

──2016年12月、東京都写真美術館で日本最大規模の個展「亡霊たち」が開催されました。本展は「これまであまり直接的に言及されてこなかった政治的、社会的側面」にフォーカスしているということですが、これまでもあなたは暗闇や影に埋もれた東北タイの歴史に光を当ててきたのではないかと思います。こうしたテーマは2014年に京都で行われた個展「PHOTOPHOBIA」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)との共通項として響き合っていると感じました。

 個展「PHOTOPHOBIA」のタイトルに使った「photophobia」は、「羞明(しゅうめい)、光恐怖」という意味です。肌があまりにも繊細すぎて光にふれると痛い、つまり光に対する恐怖を感じる症状なのです。現実を受け入れがたい、受け入れることのできない状況と重ね合わせています。現在の生活の快適さを享受し、実際に現実としてなにが起こってきたのかを忘れたり、無視したりする人がたくさんいると思います。教科書などで教わる歴史のプロパガンダをそのまま飲み込んでしまう。

 ですから本当の現実を見ることができない、見るのが怖いわけです。《ゴースト・ティーン》(2009)という写真作品に写る若者は仮面を付け、その上からサングラスをかけています。現実が「怖い」からまるで鎧のように身を守るためにこうしている。ですが、この若者は目を背けることができない、光からも、現実からも。

アピチャッポン・ウィーラセタクン ゴースト・ティーン 2009 ©Apichatpong Weerasethakul, Ghost Teen, 2013

 とりわけ過去2年間ほど、タイに住んでいるすべての人々が現在の政治的状況に影響を受けていると思います。私が焦点を当てているのは、何よりもまず日常の生活です。ですが、日々の生活にフォーカスすればするほど、そこに潜む政治的状況は避けがたいものになるのです。これは自然な流れだと思います。そして「亡霊」というとらえ方の変容から、タイの政治的な歴史を変容させることはできないかと考えたのです。とくに東北タイのイサーンの政治的な歴史を変容させてみたい。

 とはいえ、私はアクティビストでもないし、政治的な映像作家でもありません。東北タイでどういったことが起こったかについては多くの研究者が記述しているので、私は同じ方法を取らないだけです。私が試みているのは「感覚(feeling)」そのものをとらえることです。それは「個人的な」経験の感覚をどうにか記憶したいという気持ちがあるからなのです。とても「個人的な」試みですね。

──「ヴィデオ・ダイアリー」シリーズのように「個人的な」経験をすぐさま作品に還元する試みが特徴的です。ところで16年4月、福岡での「TAP 天神アピチャッポンプロジェクト」であなたはアニメーション作家と出会い、2分間のアニメーション作品をiPad Airで完成させましたね。それと関連して、横浜美術館でのグループ展「BODY/PLAY/POLITICS」に出品された《炎(扇風機)》(2016)は、とてもアニメーション的だと思いました。炎を纏う扇風機の「ギシギシ」と音を立てて崩れる様子が、苦しみ叫ぶ生物に見えたからです。また、燃える映像がいくつも重なり合い、多層的な運動が生まれていたからです。同時にそれは、炎という危険な「光」にも生命を吹き込む。最近の関心にアニメーションがあるのでしょうか。

 なるほど……。そういうふうに考えたことはなかったですね。ここ数年の自分はできるかぎりシンプルな実践を心がけており、光の要素そのものへのフォーカスは確かにあります。ですからそのように影も生まれるわけです。アニメーションへの関心に向かうことは意識的ではなく、シンプルな光の要素の詳細な部分の探求が偶然結びついたのでしょう。《炎(扇風機)》を発表するに至るまでいろんな物を燃やしましたよ……。最終的には扇風機になりましたが。そしておっしゃる通り、この作品の二重性は自分にとっても興味深いところです。扇風機はみずから風を起こす装置であって、私たちは涼しくなりたいから使うわけですよね。でもそれが熱い炎を生みだす原因になっている、その二重性です。そしてそれは永遠に続くループなのです。

 この作品では、扇風機が燃えるいくつものレイヤーをつくり、個々のフレーム単位で操作しました。こうしてループする映像を生みだす過程そのものが、私にとっては瞑想のようなものでした。それこそいま自分が必要としていることです。純粋にシンプルな部分の詳細を極限まで掘り下げること、それはまさに瞑想なのです。

アピチャッポン・ウィーラセタクン 炎(扇風機) 2016 ©Apichatpong Weerasethakul, Fireworks (Fans) , 2016

──福岡では多くの若手映像作家と短編作品の共同制作をしましたね。あるいはまったく映像制作に関わってこなかった若者とも、あなたは共同制作をしています。後者の例だと、東北タイのナブア村を舞台に展開した「プリミティブ」プロジェクト(2009)がありますね。福岡でのワークショップと「プリミティブ」はコンセプトや場所こそ異なりますが、「若者たちとの共同制作」という観点でわたしは比較してしまいます。彼らとともに作品を構築していくことは、あなたにとっていかに重要なのでしょうか。

 私のそうした活動は、若者たちが自身の声を自分たちで見つけてもらうために行っています。若者たちと私は違う種類のアーティストなのです。「プリミティブ」の場合は、私にとってきわめて身体的な作品でした。自分がナブア村という環境に「居られる」ために必要な作業がとても多かったからです。若者たちはお米を育て、建物を築き、モノをつくる。私はアートをつくる。このプロジェクトを進めるために、わたしはある意味で不可視の存在になりました。そこから共同制作へと踏み切ったのです。同じ活動を共有することで目的を実現しようとしました。「プリミティブ」では彼らが彼ららしく過ごしている場所へわたしが入り込み、その様子をカメラでとらえるわけです。

アピチャッポン・ウィーラセタクン プリミティブ 2009 ©Apichatpong Weerasethakul, PRIMITIVE, 2009
installation view at Yokohama Triennial 2011
Courtesy of Organizing Committee for Yokohama Triennale, Photo: KIOKU Keizo

 その点が福岡でのワークショップと大きく異なるところです。福岡では若者たちと実際に映像を撮影し、編集し、議論しました。彼らにはアドバイスをし、大切に思っていることをそれぞれ引き出すように導きました。そのなかで彼らの共通点を探り、扱うテーマの異なる3つのグループをつくりました。彼らには事前に日常生活のひとコマを撮影してもらっており、それをワークショップの時間で組み立てていく(編集する)わけです。

 そこで3つのグループにはそれぞれ自身の撮ってきた素材ではない映像を必ず扱うように振り分けます。映像をつくるうえでの知的なレベルの活性化を促すのが目的でした。彼らにも日常生活のなかにある美しさを見つけてほしかった。いつも見逃してしまっているありふれたものや、「歩く」というシンプルな行為に美しさを見出してほしい。そう思って取り組みました。私の作品が若者たちの感性に受け入れられるのか……それも確認したかったですね。

ギャラリーと映画館、それぞれにおける作品発表

──「プリミティブ」のような共同作品は、ギャラリーで見る機会がほとんどです。そこで聞きたいのは、映画館で上映される作品とギャラリーでの展示作品の差異はどうお考えなのか。数年前、あなたがとある研究者と対談した際、私と同様の質問を受けています。そこであなたは「むしろ、その両者の形式をいかにひとつの作品のなかで結びつけるかを常に考えています」と答えました。ですが、両方の観客の差異については明確に述べていませんでした。観客への意識や領域横断的な活動への関心は、これまでと変わらぬままなのでしょうか。

 おっしゃるように、関心は変わらぬままですね。活動の方針も同様です。私は何よりもまず、観客の立ち位置から作品を考えます。劇場用の映画作品とギャラリーでの展示作品では、観客の立ち位置が異なるという点を意識しますね。映画館とギャラリーでは、周りの空間に観客がどうインタラクトすればいい/悪いかのルールも異なります。つまり、自由度が違うのです。ですがひとりの観客として、そしてひとりの作家として考えると、ギャラリーでの展示作品のほうが「個人的な」作業を伴うのです。長編映画ではすべての関係者の意見を汲み取ったうえで、私が全体のアイデアを提示してまとめていきます。

 ですが、ギャラリーでのビデオ・インスタレーション作品などは、自分のなかの「内的な」対話が重要です。《炎(扇風機)》や「さいたまトリエンナーレ2016」で発表したヴィデオ・インスタレーション作品《インヴィジビリティ》(2016)でも、先ほど「瞑想」という言葉を使ったように、自分自身をどう「編集」するかが問題となっています。なので、映画とヴィデオ・インスタレーションはやはり異なる種類だといえます。ご存知のように、こうしたことは2000年ごろからずっとやってきたことです。ですが、もし私が近年ギャラリーでの展示が活発だと受け止めてくれているならば、それは「亡霊たち」展のキュレーターでもある田坂博子さんをはじめとしたスタッフの推薦のおかげです(笑)。

 ところで、映画作品もヴィデオ・インスタレーションも、じつは同じチームで作業しています。音楽や美術デザイン、そして使用する小道具まで担当者は同じです。でも映画制作は、私がまず全体の青写真を提示し、チームの反応をうかがいます。他方でヴィデオ・インスタレーションになると、個々の作品のテーマは自身で絞っています。ですから彼らは「ここはアピチャッポンの遊び場みたいなものだ」と思って尊重してくれますね。あまり口出しをしないのです(笑)。 映画制作のように皆で意見を言い合うことはあまりないですね。

アピチャッポン・ウィーラセタクン インヴィジビリティ 2016 ©Apichatpong Weerasethakul, Invisibility, 2016

映像の「実験」は科学的なアプローチを必要とする

──あなたはフィルムとデジタルというメディウムの差異につねに注目していますよね。長編映画作品はフィルム撮影にこだわり、ギャラリーでの展示作品は1999年の『窓』でデジタル撮影を早くも試みています。あなたの劇場上映作品とギャラリーでの展示作品のあいだで、イメージの「肌理」が異なっているように思えます。やはり、両者のイメージの差異を戦略的に図っているのでしょうか。

 おっしゃるとおり、意識的に差異をもたらしています。私はなんでも試してみたいのです。低画質なデジタルカメラを使うこと(2003年制作の『ハタナカ・マサトと撮るノキア』は世界初の携帯電話の動画撮影機能を使用した)と、ものすごくハイスペックなカメラを使うことではまったく違う試みが可能ですよね。そういう意味で、現在は映像作家にとってもきわめてエキサイティングな時期だと思います。つまり、フィルムとデジタルの歴史がちょうど交差するような時期ですね。サイレントからトーキーへ、白黒からカラーへという移行期に直面した先人達たちと同様に、私たちがこのデジタルを扱う「言語」を見つけていかねばならない。

 ヴァーチャルリアリティー(VR)や拡張現実(AR)がデジタルメディアで可能になったわけで、フィルムの歴史を崩しかねない状況でもあると言えます。ですがその状況に私はとても興奮しています。というのも、デジタルは自分の研究活動に集中させてくれるメディアだと思うのですね。たとえば私は映像日記として毎日いろいろなものを撮りためています。それはフィルムを扱うチームが必要ではなく、「個人的」に行えるのです。

──VRやARを支えているのは、脳科学や認知心理学などの科学的なアプローチです。これは映像制作やアート制作にも影響を与えています。長編映画作品『光りの墓』(2015)では、眠り病の兵士を治癒する装置が出てきました。これも科学的なアプローチの延長線上にあるのではないか。また、終盤に登場するゾウリムシはまるでカメラが顕微鏡になって、青い空と微生物とを同時に覗き見てしまう奇妙な感覚をもたらします。こうした科学的アプローチは、あなたの今後の作品でも引き続き決定的な場面を構築するのでしょうか。

 どんどん科学的なアプローチに取り組んでいきたいですね。私たちが何かを認識するということは生物学的にどういうことなのかを、映像制作を通じて知りたいのです。脳科学は自身にとってきわめて重要なものです。私は、もともと実験映画からのスタートでした。そこで私たちがどのように世界を認識するかを実験したくて、これまで映画を続けてきたのです。当時の実験映画では光がどのように動き、いかに映るかを考えてきました。ですが、脳そのものや生物学まで踏み込んではいなかった。現在の実験映画は、科学を追及するのではなく、もうすでに「そうあるものだ」と認識された光の動きの実験をおこなう制度化されたものであり、本当の意味での「実験」ができていない気がします。私が「実験」という意味を考えるならば、映像が科学に寄り添う必要があると思っています。

 たとえば『光りの墓』における青い空に浮かぶゾウリムシ。あの場面は、人がどのように夢を見るのかを自分なりに観察した結果なのです。「なんでもあり」という夢の状況の論理、それは現実の論理とはまったく異なるわけですね。けれども、夢での私たちは、奇天烈な論理を受け入れる認識状態になっている。その状態を映画の中で生み出せないか、その「実験」としてやってみたわけです。あの中で観客も役者も、夢のような体験をしてもらいたい。青空にゾウリムシなんてありえない、という状況を受け入れてもらえるかどうか。でも実際にはそれを受け入れてくれる観客もいます。実験ってそういうものだと思いますよ。

映画『光りの墓』より © Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)

「あなたが見ているものは幻想でしかない」 ——静止画像と時間について

──あなたの映画作品は、重要な場面でいつも静止画像が使われています。この特徴はあなたのヴィデオ・アート作品(2012年制作の《Ashes》も静止画像の連鎖である)にも共通しているのではないでしょうか。例えば『トロピカル・マラディ』(Tropical Malady, 2004)のように、映画の中盤で物語を停止させ、新たに物語を始動させる契機にもなっています。映画作品の中で静止画像を使うことには、どのような狙いがあるのでしょうか。

 まさに「中断」させるものとして静止画像を使っています。つまりそれは目の前にあるマテリアルそのものに注意を向けてもらいたいからです。「あなたが見ているものは幻想でしかない」ということを観客に突きつけたいのですね。映画作品に入り込んでしまうと、世界がそれになってしまう。でもふと観客とその周囲に広がる空間に意識を向けてほしい。目の前にあるのはフラットなスクリーンに投影されたイメージなのだと感じてもらいたいからです。同時に、映画の起源は写真であるという事実を強調したいという意図もあります。

 じつはこうした意味で「実験」を行っているのが上映パフォーマンス作品《フィーバー・ルーム》(2015)です。観客一人ひとりとその周囲に広がる空間との関係性についての実験です。目の前に現れる映像があくまで人工的なものである、それに気付くことで空間へ意識を向けることができる。

アピチャッポン・ウィーラセタクン トロピカル・マラディ 2004 ©Apichatpong Weerasethakul, Tropical Malady, 2004

──静止画像は観客に「映画を見ている」という意識を促し、映画の線的な時間から観客を解き放つ。こうして観客は映画の時間だけでなく、自分の持続する時間を反省的にとらえます。あなたの作品はスロー・シネマの要素を含んでいるのではないか。この動向は、物語的な因果関係を重視せず、過剰な長回しやゆるやかなカメラの移動などが特徴です。あなたの作品は戦略的にゆったりとした時間感覚を作品内に持ち込んでいますか。

 じつは自分の作品を「遅い」と思ったことがないんですよ(笑)。 戦略的にゆったりとさせているわけでもないですし、自分の中の意識や活動が遅いから、私の作品も「遅い」というわけもないのです。私はせわしないですよ、サルみたいなものです(笑) 。ものすごい速さでいろいろなことを考え、あらゆることを敏感に受け取ってしまう。常に私は動いているつもりなのです。ですが、見聞きし感受したことを表現するためには「時間」が必要です。

 例えば音の大きさやパワーを表すためには「沈黙」が必要ですね。あるいは『トロピカル・マラディ』だと、きわめて明るい要素ときわめて暗い要素がある。つまり、明るさを知らなければ暗さを知ることはできない。自分の中で走り回っている意識を映画で示すためには、対照的に「遅さ」が生じなければならないのかもしれない。そういう意味では自分の作品が自然なリズムであって、けっして遅くはないと思っています。もし私が撮影した映像を見て「遅いな」と感じたら、それはどんどんカットするでしょうね(笑)。

 ただ、現代ハリウッド映画を観たときは「速さ」を感じます。映像がもともとなんだったのかを考えてみると、リュミエール兄弟たちが実験していたなかで『ラ・シオタ駅の列車の到着』がありますね。列車が向かってくる様子をカメラで「観察」する。私たちが世界をどのように見ているのかを「観察」する歴史を原点から考えれば、私の思うことも自然なものかもしれません。

編集部

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