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家、記憶、国家史の交差。アンドロ・ウェクアが語る「スイート・ホーム」

9月10日まで大阪の国立国際美術館で開催された、「ホーム」の意味を国内外の現代美術家が問いかける展覧会「ホーム・スイート・ホーム」。出展作家のひとりであり、ジョージア出身で現在はベルリンを拠点に活動しているアンドロ・ウェクアに、本展の展示作品やそこに込められた思いなどについて聞いた。

聞き手=山本浩貴 構成=王崇橋(ウェブ版「美術手帖」編集部)

アンドロ・ウェクア(タケニナガワにて) 撮影=編集部

「ホーム」は変化していく過程

──現在、国立国際美術館(大阪)で開催中(編集部注:本インタビューは2023年6月から7月にかけて実施)の「ホーム・スイート・ホーム」展(2023年6月24日~9月10日)で、あなたは計9点の作品を出展しています。それらの作品には、人物、家、風景、動物など、あなたがこれまで制作において用いてきた多様なモチーフが登場します。まるで、すべての作品が1つのインスタレーション、あるいはコラージュやアッサンブラージュを構成しているような印象を受けました。実際、かなり長い時間をかけて各作品の配置を決定していったと聞いています。どのような基準に基づいて、そしてどのような過程を経て、同展に出展する作品を選んだのでしょうか? そして、どのような意図でそれらの作品を配置したのでしょうか?

アンドロ・ウェクア(以下、ウェクア) 私にとって重要だったのは、作品が互いに関連しながらも、個々に機能するようにすることでした。スペースには入口と出口があり、鑑賞者がスペース内を移動することで、新しい作品や作品間の新しい対話が生まれるように作品を設置しました。これは同展のキュレーターである植松由佳さん(国立国際美術館 学芸課長)と一緒に考えました。壁のダークな色彩もまた、空間を引き締めています。すべては、この展示室と作品群の中心である、私の幼少期の家の彫刻から始まりました。その彫刻を出発点に、関連するほかの作品を選んでいきました。太陽と惑星のようにね。 

アンドロ・ウェクア(タケニナガワにて) 撮影=編集部

──また、同展のタイトルには「スイート」という言葉が使われていますが、「スイート」という言葉の響きに反して、展覧会全体を通じて、決してノスタルジックでポジティブなイメージだけではない「ホーム」の、多様で両義的なイメージが提示されていたように感じました。あなたの作品が展示されている空間も同様に、そこがあなたの家であるように感じられると同時に、どこか居心地の悪さというか、異化作用のようなものが働いていました。今回の展覧会に際して、あなたは「ホーム」という言葉をどのようにとらえましたか。また、いかにしてそのイメージを展示空間に反映させたのでしょうか? 

ウェクア 私にとって「ホーム」がどのような存在なのかは、わかりません。変化の途上にありますから。

──故郷ジョージアの歴史や文化は、あなたの作品や活動にどのような影響を与えたのでしょうか?

ウェクア 私は16歳までジョージアで育ち、1990年代に故郷を離れました。ジョージアから大きな影響を受けたのは、私が11〜12歳といった小さな頃でした。当時、私は一般的な学校教育が合わず、ドローイングで物事を視覚化して学ばなければなりませんでした。そこで父は、私に絵の描き方を習得させるため、画家である友人のアトリエに連れて行ってくれました。海の近くで、ルーフライトのあるロマンチックな家でした。

 それは私の日常生活とはかけ離れていて、とても気に入りました。週に1〜2回通っており、彼が絵を描いているのを私は隅っこで見ていました。その経験は、ビジュアル・アート・スクールで、絵画を学ぶというのちの選択に影響を与えたかもしれませんね。アーティストになりたかったわけではありませんが、その場所にとても魅了されたのです。

アンドロ・ウェクア「ホーム・スイート・ホーム」(国立国際美術館、2023)の展示風景より 撮影=福永一夫
© Andro Wekua, Courtesy of the artist, Gladstone Gallery, and Take Ninagawa

──とくに彼の画風から影響を受けたわけではないのですか?

ウェクア 正直なところ、彼の作品のイメージはまったく覚えていませんし、彼がどんな作品をつくっていたのかも覚えていません。ただ私の父と仲が良かっただけです。そして戦争が起こり、私たちは逃げなければならなくなってしまいました。彼はすでに亡くなってしまっているので、現在、確認できる彼の遺品はあまり残っていませんが、私にとっていちばん大切だったのは、作品そのものよりも経験だったのだと思います。

「バックパック」を背負って創造に旅立つ

──展覧会の話に戻ります。最初に空間に足を踏み入れたとき、家と窓(《タイトル未定(家)》(2012)と《窓》(2010))がほぼ同時に視界に入ってくるのが印象的でした。そして、あなたは展示空間のもっとも目立つ位置に意図的に「窓」を置いているように感じました。「窓」は「扉」と同様、「家」において内と外をつなぐ役割を果たしている部分ですね。

アンドロ・ウェクア「ホーム・スイート・ホーム」(国立国際美術館、2023)の展示風景より。中央は《タイトル未定(家)》(2012)、右は《窓》(2010) 撮影=福永一夫
© Andro Wekua, Courtesy of the artist, Gladstone Gallery, and Take Ninagawa

ウェクア その通りです。それこそが、私たちが展覧会で探求しようとしていたアプローチでした。それが成功したことに満足しています。

──家族や友人など親しい人をモチーフとしたコラージュ作品も展示されています。それらの作品は色彩が印象的で、暗さと明るさが共存しているようです。平面作品には、あなたの個人的な歴史が何かより大きな文脈、例えば、ひとつの国民国家の歴史と接続していることが表現されているように感じます。「ホーム・スイート・ホーム」展に出展したコラージュ作品は、どのような意図をもって制作されたものでしょうか。また、これらの作品と同展のテーマである「ホーム」の関連性について、あなたはどのように理解していますか?

ウェクア コラージュは私の制作過程において重要な位置を占めています。通常、コラージュはより大きな作品の出発点となりますが、なぜそうなるのかは自分でもよくわかりませんが。 

──あなたは具象画と抽象画の両方を描いていると思いますが、この2種類の作品制作をどのように区別していますか?

ウェクア 抽象画はよりオープンだと思います。具象画と抽象画を行ったり来たりするのが好きなのですが、そうすることによってスペースが広がりますし、ひとつの場所に集まって離れ、また集まっては離れるような感覚を得ることができます。 

アンドロ・ウェクア「ホーム・スイート・ホーム」(国立国際美術館、2023)の展示風景より 撮影=福永一夫
© Andro Wekua, Courtesy of the artist, Gladstone Gallery, and Take Ninagawa

──言葉で表現するのは難しいかもしれませんが、絵画制作を通して一貫して探求してきた目的やトピックはありますか?

ウェクア 作品を制作する過程で何かが起こりますが、それは説明できるものではありません。私はただ作品を完成させ、手放すだけですが、注意深く耳を傾けてみると、小さな火花のようなものが起こることがあり、それはとても興味深いものです。

──美術評論家ボリス・グロイスとの対談のなかで、あなたは「バックパック」を自身の創作における霊感を表す比喩として使っていましたね。「バックパック」を背負って創造の旅を始める、そんな感じでしょうか。 

ウェクア この「バックパック」は私の考えた比喩ではありません。(ウラジーミル・)ナボコフが言っていたと思いますが、あるとき誰かに「祖国ロシアに帰りたいか?」と聞かれて、「いや、ロシアで必要なものはすべて手元にある」と答えたようです。

 この感覚が、私にとってのバックパックです。ある場所から切り離されていても、そことのつながりはなくなりませんし、どこの街に行っても、私の手元には必要なものがそろっているのです。

──それはとても興味深いですね。同じように比喩を用いて伺いますが、創作の旅の途中で何かを拾ってバックパックに入れることもあるのでしょうか

ウェクア (バックパックの中身は)すでにたくさんあると思いますし、つねに入れ変わってもいます。1つしかないわけではありません。

アンドロ・ウェクア(タケニナガワにて) 撮影=編集部

自身を投影することのできる時間と空間から生まれた抽象的な人物

──「ホーム・スイート・ホーム」展の展示空間の中央部には、狼と少女を模った彫刻作品《無題》(2017)が置かれています。少女はつま先で立っており、彼女がジャンプしようとしているのを狼が邪魔しているようにも見えました。日本には、ヴァジャ・プシャヴェラの『蛇を食う者』などのジョージア近代文学に登場する動物の表象をポストコロニアリズムや環境批評の視点から読み解く著作があります(五月女颯『ジョージア近代文学のポストコロニアル・環境批評』成文社、2023)。そのような視点から見て、しばしば狼が記憶と深く関わる生き物とされ、ときに記憶を食べるという寓意を持つことは示唆的です。その意味で、個人的には、この作品にある意味でペシミスティックな歴史観が示されているようにも感じました。どのような意図で、この作品を展示空間の真ん中に置いたのでしょうか?

アンドロ・ウェクア「ホーム・スイート・ホーム」(国立国際美術館、2023)の展示風景より、中央は狼と少女を模った彫刻作品《無題》(2017) 撮影=福永一夫
© Andro Wekua, Courtesy of the artist, Gladstone Gallery, and Take Ninagawa

ウェクア 作品のとらえ方については、その通りだと思います。ヴァジャ・プシャヴェラは私の好きなジョージアの作家です。しかし、この彫刻は、今回の私の作品のなかでもっとも無意識的なもののひとつ。狼は、鑑賞者にいつもくっついている不気味な影のように機能します。それは個人的なものであったり、社会的なものであったり、歴史的なものであったりします。この人物は、少女というよりは思春期の若者であり、背中の影にくっつかれたり、抱きしめられたり、追いかけられたりしているように見えます。不気味ではありますが、まだ定義されておらず、曖昧なものです。この作品をつくった当時、私の娘はおもちゃや動物の絵に夢中でした。たぶん、私はそこからヒントを得たのでしょう。

──この彫刻作品に関連して、もうひとつ聞かせてください。あなたの作品にはマネキンのようなモデルが頻繁に登場しますが、あなたにとってどのような意味があるのでしょうか?

ウェクア コラージュ作品のように、すでにそこにあるものを、かたちを変えたり、つくり直したりすることがよくあります。これらの人物は、特定の誰かではなく、私を投影することのできる時間と場所が生み出した抽象的な人物のようなものです。

──「ホーム・スイート・ホーム」展では、《E.の肖像 コラージュ》(2018)だけが展示空間の最後の通路の奥、他の作品とは離れた位置に展示されていたことが不思議と印象に残っています。そのことが気になってキュレーターの植松さんに伺ったところ、この作品の配置がギリギリで変わったと聞きました。最後に、その意図について聞かせていただけますか?

ウェクア 最初に吊るす予定だった場所よりも、展示室の流れのなかでこの場所に置いたほうがずっと効果的だと思っただけです。

アンドロ・ウェクア「ホーム・スイート・ホーム」(国立国際美術館、2023)の展示風景より、《E.の肖像 コラージュ》(2018) 撮影=福永一夫
© Andro Wekua, Courtesy of the artist, Gladstone Gallery, and Take Ninagawa

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