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2022.3.17

渡辺志桜里とは何者か? 人の手を離れたエコシステムを構築するアーティスト

植物、魚、バクテリア、線形動物などが入った水槽やプランターをホースでつなぎ、水を循環させることで、人の手を離れたエコシステムを構築するアーティスト・渡辺志桜里。昨年、新宿の「WHITEHOUSE」で開催された初個展「べべ」で鮮烈な印象を鑑賞者に与えて以降も、その注目度は増すばかりだ。従来の「作品」の概念に揺さぶりをかける、その思考と制作の背景にあるものとは?

聞き手・文=杉原環樹 Photo by Jun Yamanobe

渡辺志桜里(WHITEHOUSEにて)
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自然の循環への関心と、「彫刻」への違和感

──渡辺さんは2019年のデビュー以来、21年の初個展「ベベ」まで、形を変えながら繰り返し《サンルーム》という作品を展示されてきました。これは、植物や魚、バクテリアなどの入った水槽やプランターを部屋に点在させ、それらに水を循環させることで、自律した生態系を生み出す作品です。大学時代は彫刻を学ばれた渡辺さんが、従来の「彫刻」の枠組みには収まらないこうした制作に向かわれた経緯について、聞かせてください。

 学生時代から、彫刻学科で言われる「作品」や「彫刻」のあり方に違和感がありました。例えば、素材を中心とした考え方、マッチョイズムで中央集権的な世界観、台座に作品を乗せること、作品化することによる固定化……などなど。それは、物事はすべて流動的であると考え、中心性のないものを求める自分の感覚とは合わないものでした。

 私がそうした感覚を強く持つようになったのは、大学在学中に始め、20代の頃によく行っていた狩猟の体験と、その前提となる、自分自身の育った環境が大きいと思います。

 私は実家が皇居のすぐそばにあり、いわゆる「自然」がほとんどない環境で育ちました。そんな私には、自分はあまり世界との接点がないという感覚がありました。例えば、普段食べている、スーパーに並ぶパッケージングされた食品には、その奥に自然の循環を感じられなかった。それらは「食べたら終わり」という、「点」の存在に感じられた。そうしたなかで私は、自分を超えた自然の循環や時間の感覚に関心を持つようになりました。

 そんなあるとき、友達に連れられて山梨県北杜市に鹿の解体に行きました。そこで感じたのは、変な話ですが、鹿って食べられるんだ、と。要するに、パッケージ化されていないものですよね。私は本当にそれまで、スーパーのものしか食べられないと思っていた。それ以外のものも食べられるというのは、自分にとっては大きな気づきだったんです。

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

──「点」に見えていた食べ物の、「奥」が見えた経験だったんですね。

 その後、またあるときには、ホタルイカを獲りに行った富山県で、猟師のおじさんと仲良くなり、彼が甲斐犬という狼に似た犬と一緒に山へ罠を仕掛けにいくのにたびたび同行するようになりました。秋はキノコを採ったり、春は山菜を採ったり、一週間くらいの単位で通いました。本当は猟銃の免許も取りたかったのですが、親に反対されました。

 そんなふうに山の経験は大きかったのですが、いっぽうでそこで自分が生活をして、循環のなかに入ることはとても想像ができなかった。やっぱり、自分は都市に育ったのであって、それを日常にすることはできない、と。ただ、山の経験を経て、周囲の東京の風景の見え方には変化がありました。例えば、都会にも、よく見るとその辺に茗荷が生えていたり。

──視界が変わったというか。

 そうですね。ハトも美味しそうだな、みたいな(笑)。それまでは、ただ食べて終わるという点的なあり方に違和感があった。「一方通行」というか。でも、山では「食べる-食べられる」という、一種の双方向的な世界との関係みたいなものを感じられたんです。

 この感覚は、私の彫刻に対する違和感ともつながりました。彫刻家には、素材をいかに自分のものにするか、そこに不変的な形を与えるのか、という感覚がいまも強くあります。そこには、私が食べ物に対して感じた「一方通行」の違和感と似たものがありました。だけど実際には、世の中のものは何も止まらず、回り続けている。彫刻に、どのようにしてそうした「動き」を与えられるのか。いろいろと試行錯誤をしてみようと思いました。

渡辺志桜里(WHITEHOUSEにて)

皇居の生態系を再現する

──山に通った経験は、その後、制作にどのように影響していったのでしょうか。

 それまで遠くに感じていた自然に触れることで、制作でも何か「循環」に関わることができないかと思うようになったのですが、ひとつ大きかったのは、身近な皇居という場所にそうした「循環」の完成された姿があると気づいたことでした。

 私にとって皇居は、もっとも身近な大自然でした。普段から、夜、遠目に見ると、何か暗くてザワザワしていて、そこからいろんな生命が生まれているような雰囲気があって。だけど中までは入ることができなくて。人が介さない、ちょっと遠い自然そのものだった。そこで、皇居の周りを歩き回ったりして、その生態系を再現しようと考え始めました。

──それは何年頃ですか。

 その試行錯誤を始めたのは、2017年です。皇居のお濠からポリタンクで水を汲み、魚や雑草も採取してきて、自分の作業スペースに小さなエコシステムをつくり始めました。

 このプロセスは本当にトライ&エラーでした。国立科学博物館の研究者による皇居の多様な生態系に関する図録があって、そうしたものも参考にしましたが、生き物が生きられる環境というのは論文で書かれているよりも複雑で、いろんなバランスで成り立っている。バクテリアが住むか住まないか、雑草が育つか育たないか。当初はそうした条件が複雑すぎて全然わからなかった。雑草のように枯れてしまったものもあれば、ミジンコのようにいまも水槽にいるものもあります。お濠で一番数のいるブルーギルも釣って、育てたり食べたりしましたが、上手くいかず、いまは主に第2位のモツゴを育てています。

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

──そうした行為は、発表を前提にしたものだったのですか。

 いえ、当時は発表するということまでは考えていませんでした。

──そうすると、本当に他者を意識しない、個人的な営みだったわけですね。そのことにたいへん驚かされます。

 「作品」だという意識も半々くらいでした。実際、この《サンルーム》という作品には、私の思惑というものはあまり関係がないんです。たしかに、これらの要素を組み合わせようとしたのは私ですが、要素の配置や必要な条件というのは、要素そのものやインストールされる建造物に応じて、ある種自動的に決まってくる。だから、これを自分がつくったという意識がさほどないんです。そして、このシステムは固定化されておらず、いつバランスを崩すかもわからないし、作品として成立しなくなるかもしれないものです。

 じつは、大学院修了時に制作した作品には、少しいまにつながる部分がありました。それは、6メートルほどある通路のような場所がすべてボールで埋まっていて、観客が楽しそうだからと中に入ると、それに応じて全体の形が変化し続けるという作品でした。ひとつのもののように見える物体も、実際には細かな要素が詰まっていることを示したかった。その感覚はいまも大切にしていて、ひとつの石も無数のものの集合体として扱っています。

 だから、そう考えて行くと、どこまで「作品」かという境界も自然に曖昧になっていく。人が生きて行くために「ここ」という線を引くことはあるけれど、本当はグラデーションがずっと続いてるだけで、ぜんぶ繋がっているんじゃないか。そうした感覚が、活動の土台になっています。

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

アップデートされるエコシステムと、外部への拡散

──その後、そうした個人的な試行錯誤は、どのように表に出るようになったのですか。

 2019年に、神泉にある取り壊しが決まっている廃ビルを使える機会があり、そこでテスト的に展示してみたのが、「作品」として扱った最初です(「#4 cases / #Human Trajectory / #Anthropoene」)。この展示に、キュレーターの髙木遊くんが遊びにきてくれて、コロナのせいでオープンが延期になっていた、彼が運営に関わる根津のスペース「The 5th Floor」での展示に誘ってくれました。

──渡邊慎二郎さんとの二人展「Dyadic Stem」(2020年)ですね。

 The 5th Floorは団地のワンフロアを使ったスペースですが、この二人展では、私が複数の部屋とバルコニーに《サンルーム》を展開して、ときにそれに介在するように、周囲に慎二郎の作品が置かれました。例えば金魚の入った水槽にマイクを落として音を拾ったり、私のスタジオに生える棕櫚の木をThe 5th Floorまで運ぶ映像を撮ったり、クワズイモの葉が落とす雫で絵を描いたり。

 いっぽう、その後のTAVギャラリーでのグループ展「ノンヒューマン・コントロール」(2020年)では、金魚、植物、溶岩などをつなげ、《サンルーム》というシステムの「最小単位」を展示しようとしました。「WHITEHOUSE」に発表したのは、そうした個人的な実験やいくつかの展示を引き継ぎ、アップデートされた《サンルーム》です。

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

──「WHITEHOUSE」は吹き抜けのある2階建ての建物ですが、浴室や2階の奥の倉庫のような空間まで、ときにホースが壁を貫通しながら、建物全体に要素が点在して水が循環していました。あらためて、空間にある要素の関係性を説明していただけますか。

 まず、屋外の雨どいに穴を空け、設置したタンクに水を溜めています。《サンルーム》ではもともとお濠の水を使っていましたが、どうしても蒸発や蒸散をしてしまう。そこで、水位が下がるとタンクから室内へと水が補われる仕組みになっています。

 そのうえで、一階と二階に大きく分けてふたつの循環の系統があります。一階では固定種の野菜と、浴槽で飼育されている外来種のブルーギル、そして溶岩がつながれています。ブルーギルには動物性の餌が必要のため、一階と二階の中間の壁にあるイトメという糸状の動物の入った水槽から、浴室に向かって一方通行で排泄物を流しています。

 二階の循環の起点も、このイトメです。二階ではイトメ、溶岩、バクテリア、イネなどがつながれています。まず、イトメの排泄物が溶岩に送られると、その餌を求めて多孔質の溶岩にバクテリアが集まってきて、住み着き、イトメの排泄物のアンモニアを食べます。そこからさらに、いくつかのバクテリアの排泄物とその摂取を経由して、硝酸塩、亜硝酸塩とつながり、植物の栄養素となる窒素リン酸カリが生まれて、イネに送られます。こうした循環というのは、私という存在がいなくても、ある意味で続いていくものです。

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)
「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

──いっぽうで、この「システム」には、その外側に拡散していく要素も含まれています。例えば渡辺さんは、ここで育てられた野菜を食べるそうですね。

 野菜はもともと、皇居の雑草が上手く育たなかったことから育て始めましたが、自分の体内に取り入れられる、食べるために育てたようなところもあります(笑)。

──「WHITEHOUSE」は実験的に会員制を導入したスペースですが、野菜を食べたあとのご自身の排泄物でナガミヒナゲシという植物を育て、その種子を会員向けに郵送することもされました。また、会場には、アルコール除菌風のスプレーに《サンルーム》の水が入れられ、鑑賞者が知らぬ間に展示の一部を外部に連れ出す仕掛けもあった。「エコシステム」というと閉じた印象を受けますが、実際は外に無限に開けた展示ですね。

 完結しているように見える「エコシステム」もじつは完結していない、もしくは、完結すると思うとバラしたくなる、そういう感覚があります。バラバラに分散させたい。集権的なものを避けたい。他人に何かを付与したい。そうすることで、中心性がどんどんなくなることに安心するというか。責任がなくなるっていうのにも近いかもしれないですね。

 実際、人間の体内にも無数の微生物がいるわけです。では、その個人の責任とはどのようなことなんだろうか? 作品の主体を分散させ、流動的なものにしていきたい。作品に固定化される部分があると感じたら、すぐにそれを崩したくなるということがあるんです。「ベベ」という展覧会の名前も、そうした思いで付けました。

「べべ」展示風景より、エントランスに置かれたスプレー

──「ベベ」というのは、ご自宅の近所に住んでいる野良猫の名前だそうですね。

 餌を求めて徘徊している猫で、私は「ベベ」と呼びますが、近所の人たちは「マメ」と呼んでいるようです。私がその猫を「べべ」と名付けることは、一種の固定化ですよね。だけど、私がべべについて知っているのはそのほんの一部で、私が知らないところでもベベは活動をしている。そのあり方は、体内に入った野菜や、観客の手に付けられた《サンルーム》の水が、展覧会場の外でさまざまに活動を広げることにも重なっています。

東京の「空虚な中心」をめぐって

──2階の部屋には、《サンルーム》とはまたべつに、中身が黒く塗りつぶされた円形の装飾的な縁取りが描かれた作品も展示されました。これは?

「べべ」展示風景より、《サンルーム》(部分)

 これは、明治期に日本で初めて発行された肖像画付き紙幣の「神功皇后札」の、肖像画の部分をトリミングし、中身を塗りつぶした作品です。神功皇后というのは面白い人で、第15代天皇の応神天皇の母親ですが、臨月なのに朝鮮に攻め入ったという逸話があったり、卑弥呼と同一視されることもある人です。

 なぜ、日本で初めてお札に印刷されたのは女性なのか。明治政府の見解では、お金は穢れているからだ、と。私も、一応、女性ということになっていて、生理もあるので、自分にも穢れがあるのかと思ったり。そうした関心から作りました。肖像を塗りつぶすことで、そこに皇居を思わせる「円環」が現れ、さらにクールベの《世界の起源》の女性器にも重なるようなビジュアルが生まれます。

 《サンルーム》にも、ホースで要素をつないでサーキュレーション(循環)、円環構造をつくりたいという考えがありました。円環部分だけが立ち上がり、中心はないという構造は自分の多くの作品に共通していると思います。東京という街の中心には空虚(=皇居)があるとした、ロラン・バルトの「空虚な中心」の話も念頭にありました。

──バルトの『表徴の帝国』に出てくる指摘ですね。

 誰からも見られない中心の周りを、人が回っている、と。いまも皇居の周りは、ランナーがぐるぐると回り続けていますよね。盆踊りなどもそうですが、回り続けることは人をトランス状態にもする。そして、中心だけが孤立していく。

 個人的な話ですが、私は母や弟が引きこもりがちな人で、基本的に家にいたんです。円環構造と同時に、そうした閉じられた場所でつくられる、閉じた関係の気持ち悪さみたいなものに対する、不思議な愛着のようなものがあります。《サンルーム》では固定種の野菜を要素のひとつとして使っていますが、アブラナ科などは同じ科の植物だけがひとつの場所に集められていると、どんどん交配が行われていく。いわば近親相姦であり、純血性の問題でもありますが、閉じられた環境と結びつくそうしたトピックには関心があります。

「水の波紋2021」展での《サンルーム》(部分)

──皇居との関係で言えば、二階に展示されたイネも、新嘗祭などがあるように、天皇家や日本人と関わりの深い植物です。

 イネは初めて導入したのですが2021年の春に皇居で田植えが行われたという報道を見て、直感的に「これだ」と思ったんです。ブルーギルなど外来種もいるシステムに、皇居で育てられている象徴的な植物を混ぜることによって、何か物語がつながったらいいなという、ちょっとしたいたずらです。他方で、そもそもはイネも外来種なのですが……。

 あと、五円玉って真ん中に穴が空いていますよね。その周りに稲がある。そういうイメージもあります。五円玉がつくられた最初の頃は、戦争に使われる鉄砲や大砲の弾が使用されていたそうですが、その中心を空け、稲を施したという経緯も面白いと思っています。

「水の波紋2021」展での《サンルーム》(部分)

自分の「この範囲」を超えるための、弱い種蒔き

──あらためてですが、《サンルーム》では、「作品」というものの枠組みがどんどん不明瞭になる感覚があります。さきほどの、スプレーの水の鑑賞者の手への付着や、空気中のバクテリアの取り込み、排泄物で育てた植物の種の郵送のほかにも、WHITEHOUSEの会員向けのチャットには、会期中、説明文がなく意図がわからない渡辺さんの日常的なスナップがたびたび送られてきました。もしかしたら、その日常も「作品」に作用しているかもしれない。そこには非会員の鑑賞者には知り得ない部分もありますが、「作品」の範囲がじつにあやふやで、拡散的です。

 「作品」という言葉の意味するものが何であるのかは、私もいまだにわからないです。そもそも私自身にあまり作者の自覚がなく、だけど匿名でもない。《サンルーム》に使われている植物や魚、微生物などの要素は、いまは私がコントロールしてしまっていますが、本当はそれ自体として伸び伸びしているのが一番だと思います。

 よく、「人間が滅びてもこのエコシステムは続いていくのか」と質問されます。それはあり得ることで、そのときにこれらの要素がどうなるのかという興味はありますが、このシステムが継続していてほしいとは思わないです。どうなっていてもいい。

 私はある意味で、すべてのものは仮の形式だと思うんです。たしかに、展示のような機会には、この要素たちは私という作家の名前を通して見られてしまう。だけど本当は、とりあえずこの形式を取っているだけ、私がそれらを「ベベ」と呼んでいるだけでもある。これはほかのことも同じことで、いま社会でとりあえず「りんご」と呼んでいるものは、じつは違うものかもしれない。アートもそうした流動的なものだと思っています。

渡辺志桜里(WHITEHOUSEにて)

──手についたスプレーの水や郵送された種子が、その後、どのような経緯をたどり、どんな物事の起点になるのかは、把握しきれません。もちろん、あらゆる芸術体験がそうだとも言えるのですが、渡辺さんはかなり意識的に、それこそ「種を蒔く」ような行為を行なっているように思います。そうした行為に、何を賭けているのかが気になるのですが。

 何も賭けていないです。

──でも、実際に渡辺さんは、何かの起点になるかもしれず、ならないかもしれない出来事の種を蒔き続けていますよね。では、なぜそれをアート行為として行うのでしょうか。

 なんか、人生を生きていたら、そこで蒔いていた何かがつながるときがあるかもしれない、それに私が出会うかもしれない、そのくらいの気持ちなんです。出会わないかもしれないけれど、偶然に出会ったら超面白いよね、みたいなところはある気がしますね。

──ゴールありきで投げているわけじゃない。

 そうそう。それは予定調和じゃないですか。だから、意図なんかなく蒔く方が面白い。今日も面白いことがあって、展示に来た2人組の男性がいて、長いこと話していたら、じつは4年前くらいに出会っていたらしい。それがすごく楽しい。自分で起こそうと思ったら起こせない。でも、種は蒔くことはできるかな? みたいな。そういう感じですね。

──お話を聞いて、そもそも芸術体験ってそういうものだなと思いました。たとえ深刻な主題や背景がある絵画でも、ある鑑賞者はそのなかのひとつの色彩に心が奪われることがある。そういう可能性に開かれているのが作品であって、ステートメントを読み、「この作品はこういう問題を提起している」と、作品とメッセージを一対一でとらえる方が不自然だ、と。

 まさしく、それが作品化することによる固定化で、私が違和感を持つ完結性なんです。言語化できるのであれば、言語で表現すればいい。だけど、不確定な要素も含めて、どうなるかわからないけどやってみる。その一連が面白いんです。

 蒔いた種の先のことはわからなくて、私にわかるかたちで表出すれば「作品」に関連する物事だけど、表出しなかったら「作品」にはならない。表出して、それが自分の行為と結びついたら、自分が一番驚くじゃないですか。私だけかもしれないですけど、結構、みんな自分の「この範囲」で生きている。そうじゃないところに行くためには、種を蒔くしかないと思うんです。それを私は、すごく「弱いやり方」でやっているのだと思います。