アートアワードのあるべき姿とは? 「日産アートアワード」に見るその未来像

アーティストを顕彰し、賞金や展覧会の機会などを提供する「アートアワード」。日本には数々のアワードが存在するが、そのなかで国際的な存在感の高さを示すものはいまだ数少ない。そこで、世界のアワードと日本のアワードを比較し、その現状とあるべき姿を探る。

日産アートアワード2015の授賞式の様子 撮影=越間有紀子

 アートの世界で著名なアワード、といえばあなたは何を思いつくだろうか? 世界各国には数々のアワードが存在し、多くのアーティストの活動を顕彰・支援している。いっぽう、日本のアートアワードはこれまで国内に向けて発信することを主目的にしたものが多く、国際的な影響力を持つものはほとんどないに等しい状況だった。日本のアワードは世界のそれと何が違うのか? そして日本における新たなアートアワードのかたちとは? 世界のアワード事情と比較し、その未来像を探る。

|世界でもっとも権威あるアワード「ターナー賞」

今年のターナー賞展が行われるフェレンス美術館

 世界には数限りないアートアワードがあるが、そのなかで世界中のメディアが注目するほどのものとして、まずは「ターナー賞」の名前が挙げられるだろう。同賞は、50歳以下のイギリス人、あるいはイギリス在住のアーティストに対して贈られる賞で、その名はイギリスを代表する19世紀の画家、J.M.W.ターナーにちなんでいる。

 賞の創設は1984年。主催するのはイギリス国立の美術館・テートだ。毎年春に、顕著な活躍をしているアーティスト4人がノミネート。ノミネート作家の作品は「ターナー賞展」として、毎年晩秋から冬にかけて展覧会が行われ、会期中に受賞者が発表される。これまでの受賞者にはアニッシュ・カプーア、アントニー・ゴームリー、ヴォルフガング・ティルマンスなど、現在も世界の第一線で活動するアーティストが名を連ねており、ターナー賞をきっかけに飛躍を遂げたアーティストも少なくはない。BBCによる授賞式の放映など、メディア戦略にも長けた世界有数のアートアワードだと言える。

|フランスの権威、「マルセル・デュシャン賞」

 フランスで活動しているアーティストたちにとって忘れてはならないのが、2000年に創設された「マルセル・デュシャン賞」だ。この賞は、フランスのコレクター団体であるADIAF(フランス現代美術国際化推進会)がポンピドゥー・センターとともに創設し、フランス人、あるいはフランス在住のアーティストに賞金とポンピドゥー・センターでの個展の権利を与えている。その目的はフランスのアートシーンで革新的なアーティストを見出し、新しい表現を奨励すること。歴代受賞者にはトーマス・ヒルシュホルン、ドミニク・ゴンザレス=フォルステル、ジュリアン・プレヴュなどがいる。

ポンピドゥー・センター (C) Pixabay

|ファッション界が支援するアワード「ヒューゴ・ボス賞」

 アートアワードの世界ではファッション界の存在も無視できない。「ヒューゴ・ボス賞」は1996年に設立。年齢、性別、国籍、制作手法を問わず、現代の文化生産における革新的な制作活動を展開するアーティストに与えられる。主催者はドイツを本拠地とする国際的なファッション企業「ヒューゴ ボス」だ。

 ファイナリストたちによる展覧会を経て、受賞者が決定されるシステムを採用しており、第1回の受賞者はマシュー・バーニーだった。バーニーは94年に、のちに彼を代表するシリーズとなる「クレマスター」の第1弾を発表しており、そのわずか2年後に受賞したのがこのヒューゴ・ボス賞だ。同賞の先見性の高さには一目おくべきものがあるだろう。またバーニー以降も、ピエール・ユイグ、リクリット・ティラヴァーニャ、アニカ・イなどそうそうたる名前が並んでおり、「未来のスターアーティストを発掘する賞」と言っても過言ではないだろう。なお、ヒューゴ・ボス賞受賞者にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で個展を開催する権利と、賞金10万ドルが与えられる。

 また、2013年にはヒューゴ・ボスと上海外灘美術館が、中国、台湾、香港、マカオ出身の若手アーティストを対象にヒューゴ・ボス賞のアジア版とも言える「ヒューゴ・ボス・アジア・アート賞」を創設。賞は隔年で開催されており、現在第3回のファイナリストによる展覧会が上海外灘美術館で開催されている。

アニカ・イ 不可抗力  2017 Photo by David Heald © Solomon R. Guggenheim Foundation

|アジアで存在感示す「プルデンシャル・アイ・アワード」「コリア・アーティスト・プライズ」

 アジア地域は欧米に比べると世界的知名度を持つアワードはまだまだ少ない。そんな状況のなか、上述の「ヒューゴ・ボス・アジア・アート賞」とともに注目されているのが、「プルデンシャル・アイ・アワード」だ。これは、2014年に「グローバル・アイ・プログラム」(プルデンシャル、パラレル・コンテンポラリーアート、サーチ・ギャラリー)によって、アジアにおける新進アーティストを顕彰するアワードとして設立されたもの。新参のアワードではあるが、各地域の専門家によって推薦された100名以上のアーティストの中から、「デジタル/ビデオ」「インスタレーション」「絵画」「写真」「彫刻」の5部門で3名ずつのアーティストを最終候補に選び、展覧会を開催するという規模の大きさには注目すべきものがある。

 2015年(第2回)には日本のアーティスト・コレクティブであるChim↑Pomが大賞である「Emerging Artist of the Year」を受賞し、大きな注目を集めたが、2017年には開催されておらず、その行方が気になるところだ。

「プルデンシャル・アイ・アワード」公式サイトより

 また、韓国にはSBS財団と韓国国立近現代美術館(MMCA)が共同で主宰するアワード「コリア・アーティスト・プライズ」がある。これは2012年に韓国国立現代美術館とSBS財団が設立したもので、韓国現代美術に多大な貢献をし、新しいヴィジョンや可能性を探求するアーティストを発掘、支援することを目的としている。

|目指すはドメスティックからの脱却。日本のアートアワード

 ここまで、世界の主たるアートアワードを見てきたが、これらにはある共通した特徴がある。根底にあるのは、自国や自エリアの才能あふれるアーティストを世界と繋げ、発展させようという強いヴィジョンにほかならない。そして、注目すべき仕組みは、自国の(あるいは自国を拠点にする)アーティストを顕彰する審査員には、国際色豊かなメンバーが名を連ねているということだ。たとえば今年の「ターナー賞」には『Frieze』誌の共編者ダン・フォックスや、クンストヴェルケ現代美術センター(ベルリン)アソシエイト・キュレーターのメイソン・リーバー=ヤップなどが、あるいは「ヒューゴ・ボス・アジア・アート賞」には南洋理工大学シンガポール現代アートセンターディレクターのユトゥ・メタ・バウアーや、東京都現代美術館参事の長谷川祐子などが審査員として参加している。

 同じ国内だけの審査員で構成された場合、ともすればドメスティックな視点ばかりが目立ってしまう。このような状況に陥るのを避けるとともに、多様な視点から審査することで、より国際的に通用するアーティストをピックアップしたいという考えが、この仕組みからはうかがえる。

 日本には、1994年から続く「平面」作品を対象とした「VOCA 現代美術の展望・新しい平面の作家たち(Vision Of Contemporary Art)」をはじめ、今年で46回目の開催を迎える老舗の「シェル美術賞」、年齢・所属を問わず新進作家を応募する「FACE」など、アートアワードの数自体は多く、古くからアーティストがその活動を発展・維持させるための仕組みは充実していた。しかし、その多くは国内の審査員によるものばかりではないだろうか。海外のアートシーンでは当たり前とも言える、国際的な目線で審査し、アーティストを世界に送り出すようなアワードはこれまで少なかったのが現状だ。日本における「ターナー賞」のような存在が、長年不在だったのだ。これは、日本の現代美術自体のプレゼンスが、世界のそれと比べて相対的に低いことも少なからず影響しているだろう。

 しかし、そんな状況も変わりつつあるのかもしれない。近年の日本では、メガコレクターとして世界的に注目されている前澤友作が立ち上げた現代芸術振興財団の「CAF賞」(2014年設立)、アート東京が主催する「Asian Art Award supported by Warehouse TERRADA」(2017年設立)など、国際的な視点を意識したアートアワードが次々と現れ始めている。その中でも、とくに強い存在感を示すものがある。それは2013年に始まり、今年で第3回を迎える「日産アートアワード」だ。

「日産アートアワード2017:ファイナリスト5名による新作展」 会場外観 撮影=木奥惠三

 「日産アートアワード」を主催するのは、日産自動車。同アワードは隔年で開催され、過去2年間の活躍が目覚ましかったアーティストを顕彰するもので、「才能ある日本人アーティストの海外のアートシーンでのプレゼンス向上」などを目的に掲げている。日本において、国際アートシーンを見据えたアワードの先駆け的存在だ。

 「日産アートアワード」は、日産自動車の企業文化でもある「多様性」を重要視しており、審査委員会や、推薦委員のラインナップも実に多彩である。これまで行われた全3回を通して見ても、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オセアニアからバランスよく多様な視点を持つ審査員が選ばれてきた。アジアからは、ユージン・タン(シンガポール国立美術館 館長)、ヨーロッパからは、ジェニー・ロマックス(カムデンアーツセンター 館長)オセアニアからは、ラーナ・デヴェンポート(オークランド美術館館長)などだ。

 また、毎回の開催で候補アーティストを選ぶ10人の候補者推薦委員は、キュレーターや研究者、アートスペース運営者、レジデンスプログラム従事者、NPOなどが国内外から選ばれる。日本人で日本を拠点にしている者もいれば、海外を拠点に活動する者もおり、アーティストを見つめる視点を、多方向からとらえようとする目的が見てとれる。

 実際に「コリア・アーティスト・プライズ」で審査員を務めた東京国立近代美術館企画課長の蔵屋美香は、多様な審査員の重要性についてこう語る。

私は昨年、コリア・アーティスト・プライズ2016(以下KAP)の審査員を務めましたが、キャロリン・クリストフ=バガルギエフ(カステロ・ディ・リヴォリ館長)、バルトロメウ・マイ・リバス(韓国国立近・現代美術館長)といった審査員の目でチェックすることで、韓国国内ではなんとなくよいと思われていた作家が容赦なく落とされていくのを見ました。もちろん私も率直に『NO』を言いました。評価の基準に絶対はなく、欧米美術界の大物の目が常に正しいわけではありませんが、少なくとも内々の価値観に安住していられない状況にアーティストを投げ込むこと、これが賞システム全体を通じて重要なことだと思います。ここを経てはじめて受賞後の海外での活動も意味あるものになるのではないでしょうか。ちなみにKAPでは、アーティストの資格は国籍、活動地を問わずKorean Ancestryを持つ(韓国にルーツを持つ)者、と幅を持たせています。チャンスを求めての海外移住が多いお国柄ゆえでしょうが、参加資格からすでに世界視点であるところはよいと思います。また、日産アートアワードとKAPの違いを一つあげれば、前者が企業によって主催されていること、後者は国立美術館でノミネート展を開催するなど国家プロジェクトの意味合いが強いことです。これは一長一短かも知れませんが、日産アートアワードには、ぜひ国の価値観にしばられない自由な賞運営をしてほしいと願っています。

 今年創設された上述の「Asian Art Award supported by Warehouse TERRADA」にもユー・ヤン(ユーレンス現代美術センター副館長)やジョイス・トー(シンガポール美術館 キュラトリアルチーム共同代表)などが審査員として参加しており、日産アートアワードだけでなく、国際的な目線を審査の場に持ち込もうという流れが今後は続いていくことが予想される。

審査会の様子。写真はローレンス・リンダー

|日産アートアワードがアーティストにもたらしたもの

 「日産アートアワード」に関わったアーティストを見てみよう。第1回にグランプリを受賞したのは、ナフタリンを使った作品で知られる宮永愛子。歴史的記憶や儚さを、ナフタリンでつくられた鍵やスーツケースで表現し、時間の経過とともに自然に分解され昇華していく作品《手紙》でグランプリに輝いた。受賞後はイギリス・リバプール図書館での個展や、「OpenArt Biennale 2017」(スウェーデン)、への参加など、国内外で精力的に活動を続けている。

 続く第2回では、日用品とテクノロジーを融合させた作品を手がける毛利悠子が受賞。マルセル・デュシャンの《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも》を参照しながら、駅構内の水漏れに駅員が対処した現場を発見・採集するフィールドワークシリーズ「モレモレ東京」を発展させた大型のインスタレーション《モレモレ:与えられた落水 #1–3》がグランプリを射止めた。

毛利悠子 モレモレ:与えられた落水 #1–3(「日産アートアワード2015」展示風景) 撮影=木奥惠三

 「日産アートワード」で第1回グランプリに贈られたのは賞金とトロフィーのみだったが、第2回以来、海外のレジデンス施設での数ヶ月間にわたる滞在制作権が加わっている(第2回はロンドンのカムデン・アーツ・センター、第3回はニューヨークのISCP)。

 「日産アートアワード」のほかにも、「CAF賞」では海外渡航費を、「Asian Art Award supported by warehouse TERRADA」では海外での個展の権利を賞に加えており、日本人アーティストが海外のアートシーンに接続できるチャンスが増えている。

 ともすれば賞を与えてそれで終わり、という一過性になりがちな「アワード」という仕組みのなかで、繋がりを持ち続けることを可能にするこのような流れは、アーティストにとって非常に大きな意味を持つと言える。

カムデン・アーツ・センター

 「日産アートアワード」でグランプリを受賞後に、カムデン・アーツ・センターで滞在制作を行った毛利は以降、六本木クロッシング(森美術館、2016)、コチ・ビエンナーレ(コチ、同)、札幌国際芸術祭2017などに参加。台北、ニューヨーク、ロンドンでも個展を開催するなど、その活躍は目覚ましい。

 毛利はこの滞在制作がもたらした効果についてこう話す。

カムデン・アーツ・センターは2016年で設立50周年という長い伝統があり、壁に羅列されたこれまでのプロジェクト表からは、マーティン・クリード氏やウォルフガング・ティルマンス氏といった名だたるアーティストたちが過去にレジデンスをし、制作に勤しんでいたことが伝わってきます。初めてのロンドンでのレジデンスでしたが、館長であり当時日産アートアワードの審査員だったジェニー・ロマックス氏をはじめ、全スタッフが暖かく迎え入れてくれました。コーディネーターのニーシャ・マシューさんは、私のプレゼンテーションから、ロンドンで会うべきアーティスト、批評家、キュレーターのスタジオ・ヴィジットをアレンジしてくれて、リチャード・ウェントワースさんをはじめ素晴らしい方々に巡り逢うことができた。作品発表の義務があったわけではないのですが、せっかくの機会なのでオープンスタジオの際に実験的なインスタレーションをひとつ展示し、さまざまなフィードバックを受けることもできました。やはり、作品を介することでコミュニケーションは格段に深まります。カムデン・アーツ・センターとは来年以降もなにかできないか、と話し合っているところです。

 また、今年のヴェネチア・ビエンナーレで日本館代表作家として参加した岩崎貴宏は、前回のファイナリストとして選出されている。ファイナリストとして選ばれ、新作を発表することで、普段であればダイレクトにつながりを持つことは難しい国際的に名の知れた美術館の館長クラスの審査員に、直接作品をプレゼンテーションすることができる。

 審査の過程で彼らに深く表現を知ってもらえることは、グランプリアーティストにとってだけではなく、ファイナリスト全てにとって非常に大きなメリットだといえよう。現に、日産アートアワードを機にアートシーンでよく知られることとなったアーティストは少なくない。

 そこで気になるのは、今年開催される第3回の行方だ。今回のファイナリストに選ばれたのは題府基之、藤井光、石川竜一、田村友一郎、横山奈美の5名。9月16日より開催されているBankART Studio NYK(横浜)での展覧会へ向けて新作を制作・展示しており、27日の最終選考でグランプリが決まる。

 自身の身のまわりの事柄を主題とし、日常と非日常を行き来するような俯瞰的写真イメージをつくり出す題府は、《STILL LIFE》シリーズの未発表作品を含む作品群と、荒木経惟の初期作品を引用した新作を展示。

題府基之 「日産アートアワード2017」展示風景 撮影=木奥惠三

 映像メディアを中心に、アーカイブ資料などを取り上げ、歴史や記憶を再解釈する作品で知られる藤井は、国籍や見る事・見られる事をテーマに、観客が作品に介入できるプロジェクト《日本人を演じる》に取り組む。

藤井光 「日産アートアワード2017」展示風景 《日本人を演じる》(2017) 撮影=木奥惠三)

 また、生まれ育った沖縄の風景や人々を写真で撮り続ける石川は、自身が暮らす部屋の様子や、窓から見える光景を撮影した新作《home work》を発表。

石川竜一 「日産アートアワード2017」展示風景《home work》(2017) 撮影=木奥惠三

 すでにあるイメージを独自の関係性で再構築し、新たな風景や物語を立ち上げる田村友一郎は、栄光と終焉(終演)をテーマにした新作《栄光と終焉、もしくはその終演/End Game》を制作した。

田村友一郎 「日産アートアワード2017」展示風景 《栄光と終焉、もしくはその終演》(2017) 撮影=木奥惠三

 生活の中に潜む些細な物をモチーフに静物画を描いてきた横山は、近年取り組んでいる超写実主義の絵画シリーズの新作を展開している。

横山奈美 「日産アートアワード2017」展示風景 撮影=木奥惠三

 審査員の一人、ジャン・ド・ロワジーは今回のファイナリストたちについてこうコメントを寄せている。「選考過程で、いまの日本における創造の現場で何が起こっているかを発見することができた。抗うことに貪欲で、賢明、あるい 極めて詩的、物語性に富んだファイナリストの多様な内面世界が、現代日本の新たな表現や深淵を見せてくれるだろう」。

 いまもっとも注目すべきアーティストたちが集うアワードに成長しつつある日産アートアワード。2年に1度のこの展覧会は、今年も日本現代美術の現在を鮮烈に切り取ってくれることは間違いない。

 2000年以降に現れたこの日本のアートアワードにおける新しい流れには、継続することの難しさや、多数のアワードが増えることで個々のインパクトが薄まる、などという課題も見え隠れする。あるべき姿というのは、ひとつではないだろう。この動きを通じて生み出されるうねりが、日本のアートシーンをどう変えていくのか、引き続き注目したい。

編集部

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