東京都心を見わたす雑居ビルの上層に、まるで世俗から膜一枚を隔てるかのように張り詰めた空気を保つアトリエがあった。谷﨑一心──このアトリエの主であり、画家である。美術の専門教育を受けず、独学で12年前から絵を描き始めた。
制作するにあたり、最初に行う作業は、モチーフとなる深い山や森に分け入って歩き、その画題となる場面を探し歩くことであるという。1点を描くのに1年を費やすこともあるというその絵画は、なるほど、一歩一歩地面の感触を確かめながら歩くがごとく、一筆一筆キャンバスの感触を確かめるように描かれている。その痕跡を追っているうちに、私たちの視点はブラシ・ストロークの森をさまよい始め、画家が「描くこと」に対して1年もの歳月をかけて求め続けた「確からしさ」を知らず知らずのうちに追い掛けていってしまう。
オール・オーバーであることと写実的であること── 私が谷﨑のアトリエで作品を前にしていたときに受けた印象だ。時として上下左右もわからなくなってしまいそうなその画面は、徹底して写実的でありながらも抽象的に感じられる。あるいは、樹々を見ているようでそうでもないとも言えるだろうか。この感覚を生じさせているのが、画面いっぱいを覆い尽くす緑一面のモノクロームである。
画家に制作の意図について聞いてみたところで、返ってくる言葉は決して多くはない。というのも、彼はただ「自分のやりたいこと」をやっているだけだと言うのみだったからだ。それを証明するかのように、この12年ものあいだ、谷㟢が作品を発表した機会は唯一、2011年に出版した作品集のみである。
もちろん、たったひとりでそれほど長く絵に向き合い続けるということは容易な作業ではない。
しかし、私が谷﨑のアトリエを訪れることになった理由は、このたびそんな沈黙が破られることになったからだった。そう、谷﨑が自身初の個展を開催することになったのである。会場は銀座にある北欧アンティーク店・ルカスカンジナビア。あえてホワイトキューブではない場所を選んだ理由を尋ねると、できるだけリラックスした空間で長い時間をかけて作品に向き合ってほしいからだと話してくれた。
様々な商材と同じように、多くの作品が次から次へと生産されては消費されていく現代のアートにおいて、もはや希少となりつつある「確からしさ」を希求する谷﨑の絵画を、ぜひ体感してほしい。
(『美術手帖』2018年8月号より)