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パリ・オリンピックの文化プログラムを振り返る(後編) アクセス拡大を目指すパリ大会と五輪の今後

7月26日から8月11日までの17日間、フランスのパリで行われてるパリ・オリンピック。五輪はスポーツとともに、その文化プログラムも重要な要素だ。現地を訪れた文化政策の専門家が、パリ五輪の文化プログラムを前後編に分けてプレイバックする。

文・撮影=太下義之(同志社大学教授)

サクレ・クール寺院

前編はこちら

様々な施設が1つのテーマ、1つのロゴで行う文化プログラム

 パリ・オリンピックの最大の特徴のひとつは、パリ市内の様々な施設で文化プログラムが展開されていた点である。このような展開は、おそらくフランスという国でなければ実現しなかったのではないであろうか。

 国民議会(l’Assemblée nationale)

 1722年から1728年にかけて建設されたブルボン宮、すなわち国民議会では、2024 年パリ・オリンピックおよびパラリンピック競技大会の開催を祝して、国会によるアート・プロジェクト「美と身振り:La Beauté et le Geste」が開催されている(2024年4月2日~2024年9月22日)。ビジュアル・アーティストのローラン・ペルボス(Laurent Perbos)が広く知られている作品であるミロのヴィーナスを変身させて、ブルボン宮殿の記念碑的な列柱の前の階段に設置しているのである。具体的には、6人のミロのヴィーナスがテニス、サーフィン、パラ アーチェリー、バスケットボール、ボクシング、やり投げという 6 つのスポーツの身振りをして、アスリートを象徴している。カラフルな6つの色は、古代ギリシャの彫像は多色で描かれていたことへの現代的なオマージュであり、また、オリンピックの輪の色を想起させるものでもある(*1)。このような展示を見ると、東京オリンピックのときに、国会議事堂や永田町に現代美術を展開しようと考えた人はいたのであろうか、という疑問が思い浮かぶ。

国民議会の様子
国民議会の様子

パンテオン(Le Panthéon)

 パンテオンは、もともと1792年にサント=ジュヌヴィエーヴ教会として建設され竣工した。この建物は、ギリシャ建築の純粋性を表現した初期新古典主義建築の傑作とされる。建設中の1791年、フランス革命期の国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定された。以後、フランス共和国の価値観を擁護したことで国から公式に認められるに値するとされる偉大な男女が埋葬されている。具体的には、ジャン=ジャック・ルソー(思想家)、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(小説家)、アンドレ・マルロー(政治家)などである。

 このパンテオンでは、展覧会「パラリンピックの歴史: スポーツへの統合から社会的包摂へ(1948- 2024): Paralympic History: From Integration in Sport to Social Inclusion(1948- 2024)」がフランス文化省の主催により開催されれいる(2024年6月25日~9月29日)。この展覧会は、パラリンピックの歴史に特化したもので、パラリンピックに関するアーカイヴ、ポスター、写真、スポーツ用具、工芸品、視聴覚資料を組み合わせて展示されていた。なお、この展覧会は、パンテオンに埋葬されているルイ・ブライユ(Louis Braille, 1809~1852)からインスパイアされたプロジェクトである。ルイ・ブライユは自身も全盲であった盲学校教師で、アルファベットを6つの点の組み合わせで表現する点字(6点点字)を考案した。展覧会全体を通じて、触ることのできる展示作品が点在しており、点字と大きな文字によるキャプションが添えられている。また、展示テキストは、フランス手話(LSF)と国際手話(IS)のビデオに翻訳され、展示会場全体と特別スクリーン上のQRコードからアクセスできるようになっている(*2)

 興味深いのは、このパンテオンに、ドイツ生まれでパリ在住のアーティスト、アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)の大作6点が展示されていることである。また、天上からの音楽のように堂内に一定の間隔で叙情的に響いていたのは、フランスの作曲家パスカル・デュサパン(Pascal Dusapin)の作品である。『ル・モンド』誌によると、これは、2020年に作家のモーリス・ジュヌヴォワ(Maurice Genevoix)がパンテオンに移葬されたことを記念して、エマニュエル・マクロン大統領自身の選択を受けて委託されたとのことで、この二人に対しては、フランス文化省から計100万ユーロの制作資金が提供された(*3)。

 モーリス・ジュヌヴォワは、フランス国内では有名らしいテレビ映画『Vaincre à Olympie:オリンピアで勝つ』の原作と脚本も手がけている。この作品は、古代ギリシャを舞台として、オリンピックで優勝することを通じて真実の愛を発見した若いアスリートの物語であるらしい。その意味では、キーファーとデュパサンの作品についても、オリンピックのために前もって仕込まれた文化プログラムのひとつだと見ることもできる。

パンテオンの展示風景より
パンテオンの展示風景より

パリ市庁舎

 パリ市庁舎(1873年から1892年までの19年間をかけて再建された建物)では、パリ 2024 オリンピックに向けて、その名もズバリ、「パリ!:PARIS!」と題した展示会が開催されている(2024年5月25日~11月16日)。会場では、クイズ、デジタル展示、イラスト付き地図などのインタラクティブな設計により、老若男女を問わずパリを再発見できるように企画されている。そして、例えば、パリジャンの4人に1人が海外生まれであること、パリ15区では人間よりも多くの猫がいること、また10年前から毎年、ルイーズとガブリエルがつねにもっとも多く付けられるファーストネームであること、などパリに関する知識と魅力を紹介している(*4)。もし、東京オリンピックでコロナ禍がなかったとして、東京都庁でこんな洒落た展覧会が開催されたであろうか。

パリ市庁舎の展示風景より

サクレ・クール寺院(Basilique du Sacré-Cœur)

 パリで一番高いモンマルトルの丘の頂上に建設されたサクレ・クール寺院では、パリで開催される世界的イベントであるオリンピックにおいて、同寺院を訪れる多くの観光客を歓迎するため、パリ市街を見渡すことができる観光名所でもある大階段に、オリンピック・パラリンピック競技大会をデザインした大きなフレスコ画がオリンピック開幕の100日前(4月17日)に描いている。また、オリンピックの期間中、大聖堂では多言語ミサが提供され、五大陸のロザリオが用意されている。そのほか、礼拝堂は平和とアスリートのための祈りに捧げられている(*5)。

サクレ・クール寺院

ラ・ヴィレット公園(La Villettee)

 スイスの建築家ベルナール・チュミが総合プロジェクトマネージャーとなって1987年に落成したラ・ヴィレット公園では、展覧会「アーキフォリーズ 2024 スポーツと建築のユニークな出会い:ARCHI-FOLIES 2024 La rencontre inédite du sport et de l’architecture」が開催されている(2024年6月14日~7月7日、8月28日~9月3日)。この展示は、フランスの建築学校 20 校がそれぞれ20のスポーツ連盟と協力して、20のパビリオンを設計・建設するというものである。2024 年パリ オリンピックおよびパラリンピック競技大会の開催前の6月14日から7月7日まで無料で一般公開された後、オリンピック期間中はスポーツ連盟20団体のパビリオンとなり、その後8月28日から9月3日まで再公開される。なお、一部のパビリオンは、ラ・ヴィレット公園に恒久的に設置される予定である(*6)。

ラ・ヴィレット公園の展示風景より
ラ・ヴィレット公園の展示風景より

 これらの施設のほとんどが入場無料である(上述の事例のうち、パンテオンとポルト・ドレ宮は有料)。文化プログラム全体では、約80パーセントは無料で鑑賞できる。文化プログラムのディレクターであるドミニク・エルヴュー(Dominique Hervieu)氏によると、ディレクター就任直後に、「市民を動員する能力(流動キャパシティー)を高め、新たな観客に入場料を無料にすることで、イベントをダイナミックなものにするように」とフランス議会から要請された、とのことである。

 また、オリンピック自体についても、誰もが参加できる五輪実現を目指しアクセスの拡大が指向されている。COJOPは、4月から、2024年パリ五輪・パラリンピックのチケット約100万枚が地元の若者、アマチュアアスリート、障害者などに無料配布され、五輪へのアクセスを広げる取り組みがスタートしたとのことである。これは、一般向けに販売されたチケットがほとんどの人の予算を超えているとの批判を受けてのことだ(*7)

 そして、これらの文化プログラムは、「スポーツ」というシンプルなテーマと同様に、1つのロゴのもとで実施されている。文化プロクラムが1つのロゴのもとで実施されるのは当たり前のことと思う人もいるかもしれないが、じつはそうではない。

ロンドン大会以降のロゴ

 2012年のロンドン大会においては、公式な文化プログラムのロゴとは別に、「Inspire」プログラムのロゴが使用された。この「Inspire」は、(非営利)産業、教育、スポーツ、持続可能性、ボランティア、そして文化という6つの分野における非営利のプロジェクトが対象となった。そのロゴはロンドン・オリンピック/パラリンピックのロゴから五輪マークを外したものであったが、文化プログラムに関する独自のロゴが、五輪大会のメインのロゴとは別に導入・実施されたのは、2012年のロンドン大会が初めてのことであった。五輪のマークは使用しないが、文化プログラムのロゴであるという戦略は、オフィシャルパートナーの利害と対立することなく、様々な組織がロンドン・オリンピック/パラリンピックとの関連性を表明することができた、と評価されている。そして、最終的に2,713件のプロジェクトが実施され、1000万人以上が参加し、過去の大会よりも多岐にわたる文化組織の参加促進や認知向上につながったと評価されている(太下2015:160-162)。

 東京大会はロンドン大会の成功を参考にしたが、文化プログラムのロゴに関しては混迷を極めた。まず、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下、組織委員会)では、自らが主催する文化プログラムを「東京2020Nipponフェスティバル」と名付け、独自のロゴを作成。また、組織委員会はそれとは別に、「公認プログラム」及び「応援プログラム」というロゴを作成した。これらの2つのロゴの違いは、オリンピックの正式なロゴ、パラリンピックの正式なロゴがつくかつかないか、である。「公認プログラム」というのはその名の通り、厳密な意味で正式なオリンピックの文化プログラムであるが、この「公認プログラム」のロゴを付けることができる主体は政府、開催都市、オリンピック組織委員会、オフィシャルポンサーのみと極めて限定される。つまり、ほとんどの組織はこのロゴを使うことはできず、オリンピックの文化プログラムの広がりはまったく期待できない。

 政府(内閣府・文化庁)は、この「応援プログラムのロゴが広がらない」という課題に対して、第三のロゴ「beyond2020」をつくった。この「beyond2020」のロゴを使うには政府の認証を受ける必要がある。ただし、基本的にこのロゴはオリンピックとは関係ないという建前であるので、各プロジェクトの広報において「オリンピック」「パラリンピック」の文言は使えない。また、ロゴをつけたところで、政府が資金を提供するわけではない。では、何のためにつけているのかいう話になる。当然と言えば当然であるが、この「beyond2020」のロゴもまったく普及しなかった。

 こうした状況のなかで開催都市の東京都は、まったく独自の動きをとった。「TokyoTokyoフェスティバル」という名称とロゴで、一連の文化プログラムを展開したのである。ただし、東京都はやはりオリンピックを想定した芸術祭として、「東京芸術祭」を2017年から開催してるのであるが、この芸術祭を英語では「Tokyo Festival」と称していた。さらに東京都は2009年から2020年まで13回にわたって、国際舞台芸術祭「フェスティバル / トーキョー(F/T)」を開催していた。すなわち、オリンピックの文化プログラムとして、「TokyoTokyo FESTIVAL」「Tokyo Festival」「Festival Tokyo」の3つの事業が併存したのである。これはいかにもややこしい事態である。

 そして、政府はさらに「日本博」というプロジェクトを開始した。この「日本博」はもともとオリンピックを前提に始めたものではなく、「ジャパンエキスポ」の取り組みを発展させたものである。日本の文化を伝統から未来までを含めて紹介するという「ジャパンエキスポ」がパリで2000年以降毎年開催されており、2013年からは日本政府も支援している。この「ジャパンエキスポ」と同じような文化イベントを日本国内で実施して、海外から来訪する外国人に対して、日本文化を紹介する場とすることを目的として、大型の補助金として設置された。名称が「日本博」と、まるで博覧会のような名称になっているが、別に博覧会をやるわけではない。なお、この「日本博」にも独自のロゴが作成された。もっとも、訪日外国人に日本の文化を見せるプロジェクトであるにもかかわらず、当初のロゴは日本語の表記となっていた。

 さて、以上を整理すると、東京大会においては、組織委員会では「東京2020Nipponフェスティバル」「公認プログラム」「応援プログラム」の3種類のロゴ、東京都でも「TokyoTokyo FESTIVAL」「Tokyo Festival」「Festival Tokyo」の3種類のロゴ、政府は「beyond」と「日本博」の2種類のロゴ、と合計8種類のロゴが文化プログラムに関連して使用されていたことになる。

 端的に言って、ロゴが乱立していて、しかもほとんどのロゴが普及していないという困った状況となった。オリンピック史上、こんな事態は初めてであるし、おそらく今後もあり得ないであろう。いずれ、経営学やマーケティングの教科書では、やってはいけないロゴの乱立ケースとして取り上げられるのではないかと筆者は考えている。このようなシュールな事態となってしまった原因としては、オリンピックに関わるステークホルダー、すなわち、組織委員会、政府、そして開催都市である東京都の3者の連携がほとんど機能していなかったという点を指摘できる。

 いっぽう今回のパリ大会では、文化プログラムのロゴは「OLYMPIADE CULTURELLE(オリンピック文化プログラム)」1つのみである。このロゴには「OLYMPIADE」という単語が使用されている。五輪のマークは含まれていないので、IOCにとっての公式なロゴではないという位置づけである。すなわち、過去のロンドンまたは東京において、公式と非公式というロゴがつくられたが、バリではそもそも「非公式」のロゴ1種類だけである。これはある意味で英断であると評価できる。ただし、アンブッシュ・マーケティングに対する配慮から、文化プログラムのタイトルまたはサブタイトルに「オリンピック」という単語は使用禁止である。また、「パリ2024文化オリンピアードの参加プログラム」に対しては、文化的多様性、環境保全、教育等への配慮が求められる。なお、「パリ2024文化オリンピアードの参加プログラム」に関しては、パリ市が窓口となってロゴを付与している。

オリンピックの改革案「Olympic Agenda 2020+5」

 そもそも2024年夏季オリンピックについては、ハンブルク(ドイツ)、ローマ(イタリア)、ブダペスト(ハンガリー)、ボストン(アメリカ)が立候補していたが、いずれも撤退したため、パリとロサンゼルスの2都市のみが最終候補地として残った。そして、「もし規則に則って、二〇二八年の開催都市の投票を二〇二一年まで待っていた場合、恥ずかしいほど立候補都市が少ないという状況の再現が懸念された」ため、IOCは2024年をパリ、2028年をロサンゼルスと、2017年の総会で同時に指定した(レンスキー2021:53-54)。

 さらに、2021年7月、2032年夏季五輪・パラリンピックの開催地にオーストラリア東部のブリスベンをIOCは正式決定した。この決定によって、東京オリンピックの開会式(2021年7月23日)の直前までに、東京以後の12年に渡る、3大会の開催都市が前倒しで決定されことになる。もちろん、このような事態はオリンピック史上初めてのことである。

 それにしても、なぜIOCはまるで慌てふためいたかのように、前倒しで開催都市を決定したのであろうか。東京オリンピックの開催までは、大会の7年前のIOC総会で開催都市が決定されるという規則が順守されてきたというのに。

 その理由は、東京オリンピックに対する「失敗」という認識と、それに対するIOCの焦りがあると考えられる。そして、上述の通り、IOCは今後の立候補都市が「恥ずかしいほど少ない」あるいは「立候補都市が一つもない」という事態を懸念したのだと推測される。そんな事態にならないように、立候補する都市があるうちに、できるだけ未来の開催までも確定させておこうとIOCは考えたのであろう。換言すると、IOC自身がもはやオリンピックの未来を信じていないということである。

 じつは、上記のような3大会の開催都市の前倒し決定に先立って、IOCはオリンピックの改革案「Olympic Agenda 2020+5」を総会の満場一致で承認している。同アジェンダの提言2においては、「オリンピック競技大会の開催前と開催後に開催地のコミュニティに持続的な利益をもたらすための取り組みを促進する」(IOC 2021:6)と記載されている。これは逆に言えば、現状では「オリンピックの開催都市においては、開催前も開催後も、(スポーツ、教育、文化等の側面で)持続的な利益がもたらされていない」あるいは「明確化されていない」ことへの反省の表現であるととらえることができる。また、提言12においては、「オリンピック・コミュニティを超えてつながりを広げるプログラムを活用して、文化と教育を通じた対話を促進する(例えば、視覚芸術や舞台芸術のアーティスト、文学者、建築家、デザイナー、教育者)」(IOC 2021:28)と記載されている。これは、オリンピックの改革において、文化が重視されていることの証左であろう。そして、このアジェンダに基づいて最初に開催される大会が、バリ・オリンピックなのである。

 ところで、パリでの筆者によるヒアリング調査の際に、東京オリンピックの文化プログラムについての評価、また、それらのプログラムを参考にしたかどうかを尋ねてみた。政府関係者及びディレクターの回答は、いずれも「東京オリンピックの文化プログラムからはインスピレーションを受けていない」というものであった。ただし、筆者はパリ・オリンピックの関係者が東京オリンピックを、ある意味で「反面教師」として研究したように感じられた。それは、東京オリンピックに本来は期待されていながら、それが果たせなかった命題である。具体的に言えば、成熟都市においてオリンピックを複数回も開催する意義がはたしてあるのであろうか、ということに対する回答を出すという点である。このことに成功すれば、パリはより成熟した都市として魅力を向上させることができるであろうし、また、オリンピック自体の起死回生にも貢献するのかもしれない。

 オリンピックをあと何回、私たちは見ることができるのか。その答えは、重責がかかるパリの成果次第である。バリ、そしてIOCの思惑は、はたして成功するのか、パリの文化プログラムの実施と、その後の評価をいましばらくは見守っていきたい。

編集部

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