故国イタリアで育んだ芸術への思い
アメデオ・モディリアーニは1884年、イタリアのリヴォルノに生まれた。もともと病弱で、11歳で胸膜炎を発症したのに始まり、健康上の問題に悩まされ続けながらも、ひとつの夢を持っていた。「絵画の道に進みたい」
やがて、その思いを確かなものとした彼は、15歳で学業を放棄。フィレンツェやヴェネチアの美術学校に入り、基礎技術を学んでいく。17歳の頃には病気療養のため、イタリア各地をめぐっている。この時に各地の美術館や教会を訪れ、過去の巨匠たちの作品の数々を目にしたことは、彼にとって大きな宝になる。
それは、制作における、イメージや構図の引き出しとなっただけではない。彫刻にも大いに関心を寄せるようになり、「彫刻家になる」という新たな目標が生まれた。更には1903年のヴェネチア・ビエンナーレで最新の美術の動向に触れたことで、彼の目はイタリアの外へと向かった。
確かに、このイタリアは数百年前にルネサンスが始まった場所であり、オールドマスターたちの作品の宝庫でもある。だが、現在の美術の最前線は、何と言ってもフランスのパリだ。そこでは、世界中から集まった芸術家たちによって、日々新しい流れが生まれようとしている。おそらくは今この瞬間にも──。想像するだけで、胸が高鳴っただろう。パリに行きたい──そんな思いが、モディリアーニの中に生まれ、強まっていった。そして1906年1月、ついにそれは現実のものとなる。21歳のときだった。