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モディリアーニの軌跡──《髪をほどいた横たわる裸婦》誕生まで

長く引き伸ばされた顔や首に、瞳のないアーモンド形の目。不気味さの中にも、独特の哀愁と優美さを感じさせ、一度見たら、忘れることはできない。そのような画風と、酒と麻薬に溺れた短い生涯から、「呪われた画家」「破滅型の天才」といったイメージで語られやすい画家アメデオ・モディリアーニ。しかし、その画家としての経歴を紐解いてみると、ままならぬ現実に葛藤し、苦悩しながらも、真摯に自分の「芸術」を追い求めていく、一人の男の姿である。今回は、大阪中之島美術館で開催中の開館記念特別展「モディリアーニ」に寄せ、彼の描いた裸婦像の最高作とも言うべき《髪をほどいた横たわる裸婦》誕生までをたどってみたい。

文=verde

アメデオ・モディリアーニ 髪をほどいた横たわる裸婦 1917 大阪中之島美術館

故国イタリアで育んだ芸術への思い

 アメデオ・モディリアーニは1884年、イタリアのリヴォルノに生まれた。もともと病弱で、11歳で胸膜炎を発症したのに始まり、健康上の問題に悩まされ続けながらも、ひとつの夢を持っていた。「絵画の道に進みたい」

 やがて、その思いを確かなものとした彼は、15歳で学業を放棄。フィレンツェやヴェネチアの美術学校に入り、基礎技術を学んでいく。17歳の頃には病気療養のため、イタリア各地をめぐっている。この時に各地の美術館や教会を訪れ、過去の巨匠たちの作品の数々を目にしたことは、彼にとって大きな宝になる。

 それは、制作における、イメージや構図の引き出しとなっただけではない。彫刻にも大いに関心を寄せるようになり、「彫刻家になる」という新たな目標が生まれた。更には1903年のヴェネチア・ビエンナーレで最新の美術の動向に触れたことで、彼の目はイタリアの外へと向かった。

 確かに、このイタリアは数百年前にルネサンスが始まった場所であり、オールドマスターたちの作品の宝庫でもある。だが、現在の美術の最前線は、何と言ってもフランスのパリだ。そこでは、世界中から集まった芸術家たちによって、日々新しい流れが生まれようとしている。おそらくは今この瞬間にも──。想像するだけで、胸が高鳴っただろう。パリに行きたい──そんな思いが、モディリアーニの中に生まれ、強まっていった。そして1906年1月、ついにそれは現実のものとなる。21歳のときだった。

パリ──彫刻への思いと挫折

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