2. 国家賠償請求の認否
(1)国家賠償請求を検討する必要性
このように、政府や自治体に損失補償請求をする場合には、「特別の犠牲」等のハードルを越える必要があり、損失補償が認められる(裁判で請求が認容される)ことは簡単なことではなかろう(*57)。
そこで、次に、市民・事業者側が、損失補償を求めていくだけではなく、政府や自治体による情報提供ないし政府広報、公表行為等によって損害を被ったとして、併せて国家賠償法に基づく賠償請求をすることについて検討する(憲法17条、国家賠償法1条1項)。
(2)とくに問題となる要件(違法性)と裁判例の判断基準
国家賠償については、憲法17条が「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定し、これを受けて、国家賠償法が制定された。
国家賠償法1条1項は「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と規定している。
このうち、自粛要請に際しての政府や自治体の情報提供行為・公表行為との関係で問題となる特に要件は、「違法」性の要件である(*58)。
行政法学における公表には、①情報提供としての公表、②制裁としての公表、③実効性確保のための公表の3種類のものがあるといえる(*59)。自粛要請に際しての政府や自治体の情報の公表も、①情報提供としての公表に当たるものといえる(ただし、法45条4項に定める「公表」は②制裁としての公表(制裁的公表)とみる余地があろう)。
そして、①の公表行為の違法性(国家賠償法1条1項)等が問題となった裁判例として、大阪O-157集団食中毒損害賠償事件(*60)を挙げることができる。本件は、大腸菌O-157による集団食中毒の原因食材として、特定の業者から出荷されたカイワレ大根の可能性が否定できないという公表(*61)についての国家賠償法上の違法性が問われたケースである。
本判決は、主権国家が生命や身体の安全に対する侵害及びその危険から国民を守ることも国民に負託された任務の一つであることなどに照らし、公表行為の意義を認めつつも、次のとおり述べ、違法(国賠法1条1項)となる場合についての基準を示した。
「本件各報告の公表は、なんらの制限を受けないものでもなく、〔①〕目的、〔②〕方法、〔③〕生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、これにより生じた不利益につき、注意義務に違反するところがあれば、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じることは、避けられない。」(太字強調・①~③は引用者)
このように、本判決は、公表の違法性の判断基準(一般論)として、公表行為の①目的、②方法、③生じた結果から、国家賠償法1条1項の違法性が認められる場合があると判示した。
本判決については、「結果責任を認めるものではないかとの疑問もある」との指摘ないし批判もある(*62)が、本判決の判断基準につき、宇賀克也東京大学名誉教授(現在、最高裁判事)は、次のように積極的あるいは好意的に評価している。
「『生じた結果の諸点』という表現からは、結果の重大性を念頭に置いているとも読みうる。かつては、行政機関による公表についても、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件をそのまま当てはめようとする裁判例が主流であったが、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件は、表現の自由と名誉権の調整を図るものであるのに対し、行政主体は表現の自由の享有主体ではなく、また、国民(住民)に対する説明責任を負う主体であるから、私人間の名誉毀損に係る不法行為の成立要件とは異なる基準で違法性が判断されるべきことは、かねてより少なからぬ学説の指摘するところであった。本件判決において,この学説の立場が支持されたとみることができると思われる。」(下線及び太字による強調は引用者)(*63)
そして、本判決は、このような判断基準に照らし、公表行為の違法性を認め(逆に一審は否定)、国の賠償責任を肯定したのである。
(3)具体的検討
以上の判断基準を自粛要請に際しての情報の公表との関係で検討すると、公表行為の①目的は新型コロナウイルスの感染拡大に防止し、市民(住民)の生命及び健康(憲法13条後段参照)を保護・維持するなどの点にあると考えられる(*64)ため、公表目的の適切性はある(新型インフルエンザ等対策特措法の法律の目的(同法1条)と整合する)(*65)といえる。
しかし、公表行為の②方法については、問題がある。公表行為の方法は、公表行為の必要性・緊急性、合理性、公表の態様により判定すべきものと考えられる(*66)。
まず、必要・緊急性であるが、緊急事態宣言(法32条1項)が出る前と後とでは、同宣言が出た後の方が、必要性・緊急性は高いといえる。
次に合理性の点であるが、例えば、2020年3月30日の時点でバーやナイトクラブなど接客を伴う飲食店で感染したと疑われる者が東京都内で38人確認されたということ(*67)につき、同日時点における東京都の残りの感染者約400人(*68)がそのような者と確認されているわけではなく、別の感染ルート(例えば混雑した電車内やオフィス、換気の悪い店舗等でマスクをしていない人が話したりくしゃみをしたりするなどして近くの人が感染した可能性等)も疑われることから、バーやナイトクラブなどだけを取り上げ、これらの店に行くことだけを特に強調して「自粛」を呼びかけるのは、合理性を欠く疑いがあるものといえる。
さらに、公表の態様であるが、広く広報をする必要や、政府・自治体の意図をある程度明確に伝えることは適当ではある。しかし、例えば、知事が、緊急事態宣言がまだ発出されていない、あるいは解除後の時点(同宣言を前提とする法45条に基づく感染防止のための協力要請をすることはできないとき)において、あえて、法45条に基づく協力要請と殆ど同程度の効果を有するような緊急会見を度々開き、事業者の利益に十分に配慮したとはいえないような(例えば、現段階では、あくまで新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づかない要請である旨のコメントを付言することなどの配慮を行わないような)態様での公表行為を行った場合には、問題があるだろう。
最後に、③生じた結果については、前記1-(5)-ウでも述べたとおり、すでに著しい被害・損失が生じているという結果が生じている。公表行為は、今日のICT社会においては情報が瞬時に拡散されること(*69)にも照らし、様々な利益・公益に鑑み行う必要があるものというべきであろう。ちなみに、一定の事業者にとってネガティブな感染拡大等に係る政府広報が連日のようになされた場合等には、そのことに関連する報道がやはり連日のように大量に繰り返しなされ(*70)、それが事業者の被害をさらに大きなものにするという結果も見逃せない。
以上より、国家賠償法上の違法性が認められる余地はあるだろう。なお、2021年1月7日の政令改正により、法45条2項の要請(法45条3項の指示)の対象施設に居酒屋を含む飲食店が追加された(法施行令(平成25年政令122号)11条1項14号)。営業時間短縮等の要請がなされるとともに、今後、知事が記者会見で、飲食を伴う外出を控えてほしいなどという機会が増えるだろうが、呼びかけの対象が「夜の街」から変わった(あるいは加わった)ということである。
3. 新型インフル等特措法改正案(休業命令等の導入)に関する検討
法定外の自粛要請、法定の要請(法24条9項、45条2項)、指示(法45条3項)については、以上に述べたとおりであるが、最後に、新型インフル等特措法が改正された場合の改正案の内容について若干の検討を試みたい。すなわち、法改正により、場合によっては、要請・指示に加え、罰則(過料)(*71)付きの休業命令(行政処分)が出すことができることとする規定を設けた場合、その規定や行政処分が違憲・違法となるか、国賠法上の違法(同法1条1項)についてである(法改正案と損失補償の要否については、前記1-(3)で検討したとおりである)。
この点については、例えば、協力金や調整金等が支払われない(または少額・不十分な金額しか支払われない場合(*72))には、改正法の関係規定あるいはそれに基づく休業命令が比例原則に違反し、違憲(財産権や営業の自由の侵害、憲法29条2項違反・22条1項違反))・違法(法45条や新設規定の条項等に係る違法事由あり)となるように思われる(*73)。
次に、国家賠償法1条1項の「違法」性は、普通は、立法行為あるいは個々の行政処分につき、職務上の法的義務違背まで認められなければならないことから(職務行為基準説)(*74)、国賠法上の違法が肯定される場合はかなり限られるだろうが、認められる余地がないとまではいえないだろう。
むすびにかえて──「ゆるふわ職業差別」の容認・助長を防ぐためにできることは何か
これまで述べたとおり、損失補償は不要だが、協力金・調整金等がなければ国家賠償は認められる場合があるという立場があるが、このような立場の問題点は、国家による実質的な職業差別につながることにあるように思われる。
損失補償は「実損」の補償である(*75)のに対し、協力金・調整金は実損に満たないものである。そのため、自粛要請の対象者や内容、緊急事態宣言等の時期・タイミング(例えば、五輪等の政治的政策的事情や経済(GoToトラベル等)優先という政策的判断に照らし緊急事態宣言発出が遅くなり、その結果、飲食店や居酒屋の事業者等々が回復しがたい被害を受けるなど)、協力金・調整金等の対象者や内容等によって、政府が救済しようとする職業(業界)と殆ど救済されない職業(業界)とが出てくることになる(実際もすでにそうなっているかもしれない)。
そうすると、政府(自治体を含む)による規制行政と合わさった給付行政に係るさじ加減(裁量判断の内容)次第では、特定の職業(業界)が差別されることになる危険が生じる。政府は、持続化給付金や家賃支援給付金を特定の事業者には(適法に事業を行い納税している事業にも)には支払われないこととしたが、これも同種の職業差別(憲法14条1項違反、行政契約の締結に関する裁量権の逸脱濫用)といえよう(*76)。給付措置を介するものであるため、一見差別されていることが分かりにくく、「ゆるふわ差別」あるいは「ゆるふわ職業差別」とでも称するべきだろう(*77)(事業者を倒産等に追い込むことにもつながるものであるため、「ゆるふわ」は不適当かもしれないが)。
文化芸術活動を行うアーティストや関係者、事業者らも、特に1回目の緊急事態宣言の際(前後)には、度重なる自粛要請によるイベント中止等により、多くの損失を被った。十分な補償がなければ、私たちの国の文化芸術の灯はやがて消えてしまうだろう。
憲法上の損失補償を不要としつつ、「最後のセーフティーネットは生活保護」だと割り切ること(*78)は事実上、「ゆるふわ職業差別」を放置・容認・助長しかねない考え方であるようにも思われる。職業は、「個人の人格的価値」と「不可分の関連を有するもの」(*79)のはずであるが、「ゆるふわ職業差別」が蔓延する国家では、「人が自己への職業への誇りを持つ」(*80)ことは難しいだろう(*81)。
では、文化芸術の灯を消さないようにするために、「ゆるふわ職業差別」に抗するために、私たちにできることは何か。
ひとつは、実際に声を上げることである。「萎縮」することなく、表現の自由(憲法21条1項)や請願権(憲法16条 *82)を行使することであり、それはもちろんウェブやSNSであってもよい(*83)。カタストロフ的な状況ともいえる今こそ、基本的人権を自覚的に行使するという「現在」(憲法11条後段)の個々人の「不断の努力」(憲法12条前段)が、基本的人権とその価値を「将来」(憲法11条後段)の市民に引き継いでいくための極めて重要な立憲主義的営為であるものと強く認識されるべき時だといわなければならないだろう。
もうひとつは、慎重に検討をしたうえで、上記のような損失補償や国家損害等を求める訴訟を起こし(*85)、司法の場でも問題を提起することである(*86)。政府や自治体に理不尽を強いられたと考える場合等には、「裁判を受ける権利」(憲法32条)を行使し、政府等の対応を訴訟等によって争うことが必要となる。
国家権力による十分な補償なき自粛要請等から(*87)文化芸術表現の自由や事業者の職業の自由等を守り、自由を将来の世代に引き継ぐとともに、表現の「萎縮」が「ウイルス」のように「連鎖」し「蔓延」することを止めるためには、芸術家や市民、事業者らが私たちの人権・憲法上の自由を現実に行使し、かつ、裁判によって人権を守り抜こうとすることが不可欠なのである(*88)。