はじめに
政府や自治体による「不急不要」の外出自粛要請や、そのような自粛を呼びかける報道等により、飲食店等のほか、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者らがイベント中止や規模を縮小しての開催等により大きな損失を受けている。このたび、2度目の緊急事態宣言が発出されたが、その損失はさらに大きなものとなるだろう。
イベント中止等の損失補償について、政府は、昨年(2020年)の緊急事態宣言前から現在まで一貫して憲法上の損失補償には消極的・否定的な態度を示しており、他方で、恩恵的な協力金等の給付であれば検討してもよいという姿勢を貫いている(*1)。日本学術会議の任命拒否問題では政府を強く批判する研究者も、この問題に関しては「憲法上は補償の必要はありません」とし(*2)、損失補償の問題については政府と同様の立場に立つ。
ミュージシャンの坂本龍一は、1回目の緊急事態宣言の際、政府が経済的な支援をせず公演を自粛するように求めていることは「ひきょうに感じる」「文化の大切さをどう思っているのかが問われる」と述べた(*3)。また、2回目の緊急事態宣言を前に、飲食店関係者からは「協力金では家賃の半分にもならない。8時閉店では客足も見込めず、どうやって生計を立てればいいのか」(新宿駅周辺で聞かれた中小飲食店(焼鳥店)の声 *4)などの切実な声が上がっている。
では、【1】このような自粛要請による損失は、法的に、すなわち憲法29条3項に基づき補償されることがないものなのか。あるいは、【2】損害賠償すなわち国家賠償(憲法17条・国家賠償法1条1項)を請求することは一切できないのか。
「自粛と補償」あるいは「自粛と給付」はセットか?という論点は、多くの文化芸術活動を行うアーティストや関係者、その他の事業者らにとって切実な問題であり、さらに、新型インフルエンザ等対策特別措置法(平成24年法律第31号、以下「新型インフル等特措法」または「法」という。)が改正されると、事業者に対する罰則付き(*5)の「規制」と補償・給付はセットか?ということも問題となる。
結論からいうと、場合によっては、【1】損失補償あるいは【2】国家賠償が認められる、すなわち、自粛要請、とくに緊急事態宣言下での自粛要請等と補償あるいは給付は、法的に「セット」といえる余地があるのではないか、と筆者は考えている(*6)。
主な理由を短く述べると、【1】損失補償については、自粛要請が事実上の強制的措置となる場合がありえるといえ、かつ、自粛要請が単なる消極目的規制ではなく、実質的には経済や五輪という政策的・政治的な観点からの積極目的規制の面があるとみるべきであるからであり、【2】国家賠償については、協力金等が不十分であると比例原則に違反することとなるからである。以下、詳細に解説する。
1. 損失補償請求の認否
(1)新型インフル等対策特措法には文化芸術に関する補償規定はない
新型インフル等特措法62条以下には、損失補償に関する規定(*7)がある。しかし、政府や自治体による「不急不要」の外出自粛要請によって、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者等がイベント中止等により受けた損失については、これを補償する旨の規定は存在しない(法62条、29条、49条、55条等参照 *8)。
これまで政府や自治体は、市民に対し、新型インフル等特措法24条9項に基づき施設休業やイベント自粛等の要請をし、あるいは、緊急事態宣言(法32条1項)発出後は、知事から同宣言を前提とする法45条に基づく感染防止のための協力要請を行ってきた。また、これらの新型インフル等特措法に基づく自粛要請のほかに、政府や自治体は、法律に基づかない要請(法24条9項に基づくものですらない要請)がなされてきている。
では、新型インフル等対策特措法のような法律に補償の規定がない場合、損失補償は一切認められないのだろうか。
(2)憲法29条3項に基づく直接請求が可能
新型インフル等特措法のような個別の法律に補償の規定がなくても、損失を受けた者は、直接憲法29条3項の規定に基づいて補償を請求できるとする見解(請求権発生説・直接請求権発生説)が現在の通説・判例(*9)だからである。
なお、政府や自治体による補償・給付措置がなされたとしても、その金額等が不十分な場合にも、同様に憲法に基づく直接請求が可能である(*10)。
(3)「強制なければ補償なし」は「不可欠の前提」なのか
伝統的な行政法学説においては、(公法上の)損失補償とは、「適法な公権力の行使によって加えられた財産上の特別の犠牲(besonderes Opfer)」に対し、全体的な公平負担の見地からこれを調整するためにする財産的補償をいう」と説明されてきた(*11)。この定義は、今日においても、基本的には広く受け入れられているといえよう(*12)。
この定義によると、国や公共団体などによる公共目的での財産権取得であっても、いわゆる「任意買収」のように、民法上の契約締結による場合の対価は、上記の損失補償ではないと理解されている(*13)。このようなことから、「不可欠の前提として、営業中止命令のように法的拘束力(強制の要素)がなければ、損失補償の問題にはならない」「営業自粛の要請が行政指導にとどまる限りは、あくまでも従うか否かは事業者の任意であって、事業者が自由意志により要請に従ったという体裁をとる以上は、損失補償の問題にはなりようがない」とする見解がある(*14)。
しかし、収用権を背景とした用地取得契約のように、形式的には任意買収であっても、実質的には必ずしもそうとはいえないようなケースについては、損失補償に含めて考えることが多いこと(*15)や、国家賠償と損失補償の区別のメルクマールが「適法性」の要件であり(*16)、国や公共団体が行う情報管理行為(情報の公表行為等)や教示・指導も「公権力の行使」(国家賠償法1条1項)ととらえられていること(*17)、さらに、行政機関の「要請」(行政指導)に基づき行政計画を信頼してその政策実現に協力し投資活動等をした者に対し、その信頼利益を金銭的に償うべきとした判例(宜野座村工場誘致事件 *18 等)に関し「損失補償」と構成する見解もあること(*19)、公権力性の要素は必ずしも損失補償概念の常素ではなく、勧告のような行政指導による損失についても損失補償を認めるべきという見解(*20)も有力とされていること(*21)などからすると、前述した「営業自粛の要請が行政指導にとどまる限りは(中略)損失補償の問題にはなりようがない」ということを「不可欠の前提」であると断じることには疑問があるといわなければならない。
ただし、後述するように(下記(4))、筆者自身は、コロナ関連の自粛要請も、「強制的」な財産権の制限といえ、ゆえに、「営業中止命令」ではないが「強制の要素」を読み取ることができると考えている(*22)。
政府は、新型インフル等対策特措法を改正し、正当な理由なく休業要請に応じない者に対し、休業「命令」という禁止措置(行政処分)を講じることができるとし、同命令に違反した場合には30万円以下の(緊急事態宣言したでは50万円以下)の「過料」を科すこととするなどの規定を新設するようである(*23)が、筆者としては、このような明白な営業禁止の行政処分が出されていなくても(あるいは、改正法下において同処分が出される前であっても)、すでに営業自粛要請によって「強制的」な財産権の制限がなされる場合があるといえ、ゆえに損失補償が問題となりうると考えている(*24)。
そこで、次に、憲法29条3項の要件を満たすかについて検討する。
(4)「公共のために用いる」といえるか
憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と規定しており、まず「公共のために用いる」の要件を満たすかを検討する。
「公共のため」とは、公共事業のためだけではなく、広く社会公共の利益(公益)のためであればよく(*25)、また、「用いる」とは、土地収用の場合など強制的に財産権を収用(すべて剝奪)される場合だけではなく財産権が制限される場合も含むものと解されている(*26)(「強制なければ補償なし」が「不可欠の前提」とまではいえないのではないかという考えについては、前記(3)のとおりである)。
このたびの自粛要請は、新型コロナウイルスの感染拡大防止(ただし、後述するように、このような消極目的だけが問題となるのではない)という公益のためであるから「公共のため」に当たることは明らかといえる。
次に「用いる」の方であるが、「財産権が制限」される場合にもあたるかについては、土地所有権が制限されたケースではないが、事実上仕事ができなくなり営業の機会が奪われたことにより収入が減ったなどの経済的損失を被った場合であっても、所有権制限の場合と同程度の制限を受けていることから、「財産権が制限」される場合にあたると考えるべきだろう(*27)。
さらに、財産権の制限が「強制的」なものか、であるが、確かに、この認定は容易ではない。形式的には市民らが外出を自粛する要請をされただけであり、文化芸術関係者や事業者らが事業・営業等の停止処分を受けるという意味での権力的・強制的な行政処分がなされたわけではないからである(*28)。しかし、例えば、休業等の自粛要請に際してなされる情報(*29)の公表が事業者の行為を事実上強く制限する効果・結果をもたらすようなとき(*30)で、事業者が事業・営業できない状態に追い込まれてしまうような場合には、「強制的」な財産権の制限といえると考えるべきであろう。このような場合には、自粛要請に従わない場合には、事実上、廃業に追い込まれることとなり、要請を事実上強制している面があると考えられるからである(*31)。
以上より、「公共のために用いる」の要件を満たす場合があるといえるだろう。
(5)特別の犠牲といえるか
ア 損失補償と「特別の犠牲」
一般的に、損失補償は国家の適法な侵害に対して、公平負担の理念からその損失を補填する制度であるから、その損失が公平に反する場合であることを要する。また、他人の権利への侵害を防止するための公共の福祉のための財産権制約の場合(憲法29条2項)には補償は必要ではないと考えられてきた。
そのため、損失補償(憲法29条3項)が必要とされるのは、公共の福祉のための財産権制約に当たる場合ではなく、損失が公平に反する場合、すなわち「特別の犠牲」を一部の国民に負わせる場合に限られるというのが一般的な理解である(*32)。
裁判例(瀬戸内海国立公園不許可補償請求事件)(*33)も、次のように述べ、損失補償が必要なのは「特別の犠牲」といえる場合である旨述べている。
「公共の福祉のため財産権に対し法律上規制が加えられ、これによりその権利主体が不利益を受けることがあるとしても、それが財産権に内在する社会的制約と認められる程度の制限であれば、これを受忍すべきものであり、補償を求めることは許されないというべきである。したがつて、憲法29条3項により補償を請求できるのは、公共のためにする財産権の制限が社会生活上一般に受忍すべきものとされる限度を超え、特定の人に対し特別の財産上の犠牲を強いるものである場合に限られると解される」。
イ 特別の犠牲の判断基準
このように損失補償の要否については特別の犠牲といえることが必要と解されているが、特別の犠牲といえるかどうかについて、判例・学説上、確固たる判断基準が定立されているというわけではないが(*34)、①侵害行為の特殊性、②侵害行為の強度、③侵害行為の目的、等を総合的に判断して決めるという立場が有力といえよう(*35)。そして、基本的には、②・③が中心となり、①は副次的な基準にとどまり、また、従来の立法・判例をみると、③が重視されているものが少なくない。
ウ 具体的検討
①~③を自粛要請の件との関係で検討すると、①確かに規制対象の範囲が広いようにもみえるが、美術・演劇・音楽等、文化芸術活動を行うアーティストや関係者ら、バーやクラブ等の事業者等、特定のカテゴリーに属する者(*37)がとくに重大な損失を被っているとみることもできるだろう。2回目の緊急事態宣言が決定した前日の2021年1月6日に帝国データバンクが発表した2020年の飲食店倒産(負債1千万円以上、法的整理)は、過去最多の780件となった(*38)。このような事実等に照らしてみても、社会全体が等しく制約を被っているわけではなく、侵害行為の特殊性があるものといえよう。
また、②先に述べたとおり、営業停止処分等がなされていない場合であっても、自粛要請に際してなされる情報の公表が事業者の行為を事実上強く制限する効果・結果をもたらすような場合には、侵害行為の強度は強いものと考えられる。例えば、関西のライブハウスと契約をして音響を担当するフリーランスの男性(38)は、大阪のライブハウスでの集団感染で自分の契約しているところのライブがキャンセルになったと報道されている(*39)。このようなことから、収入が激減し、生活が成り立たなくなる者も出てくる可能性がある(あるいはそのような方がすでに出ている)(*40)。このような場合には侵害行為の強度はかなり強いといえるだろう。また、後述するように、コロナ禍に伴う自粛要請が要因となり、店主が焼身自殺をした可能性が高い飲食店の事案もみられるほどであり、経済的損失だけではなく、精神的な苦痛の大きさの点(*41)も無視すべきではなかろう。さらに、自粛要請に際して、いわゆる「自粛警察」と称される人々の行動がみられ(誹謗中傷等もなされている)、法制度が私人の同調圧力に依存する面があるといえること(*42)や、コロナ対策がウイルス等に関する科学的知見の不十分さから想定地を超えた事態の発生を想定して予防原則(予防アプローチ)の見地からなされる(場合がある)ものといえること(*43)にも照らすと、休業禁止命令(2回目の緊急事態宣言後の法改正で新設される予定の行政処分)ではなく自粛要請にとどまる措置であっても、特に事業者名等が「公表」(法45条4項)されたときには、侵害行為の強度は相当強いといえる場合があるだろう(*44)。
最後に、③侵害行為の目的についてであるが、この点については、国民の生命、健康への危害を防止し、公共の安全を維持する警察目的(消極目的)の規制は、財産権に内在する制約として受忍すべきであるが、公益を増進するための積極目的の規制は、内在的制約とはいえず、特別の犠牲として補償を要するとの考え方が有力であり(*45)、この考え方と整合する判例も少なくない(*46)。また、消極目的の規制であっても、例えば、手当金を交付する規定(家畜伝染病予防法58条)がある(*47)が、これは政策上の補償であって、憲法上要請されているものではない(*48)ものと解されていることから、このような法令の規定やその関連判例を根拠に損失補償を要するものと解することもできないと考えられる。これらのことからすると、規制目的の点は補償を請求する側にとっては不利な判断要素となるものとみられ、主にこの点を捉えて、少なくない憲法学者及び行政法学者が、自粛要請(あるいは休業命令の場合であっても)には損失補償は不要である旨論じているのである(*49)。
しかし、冒頭で指摘したとおり、③侵害行為の目的を消極目的のみとみるのは、非常に表面的な見方であり、規制がなされた「点」だけをみるものであるともいえよう。ここで想起されなければならないのは、2020年4月30日、東京都練馬区のとんかつ屋で店主の男性(54)が全身やけどで亡くなった事例である(焼身自殺の可能性が高いといえよう)。東京オリンピック2020の聖火ランナーにも選ばれていたその男性は、コロナ禍・新型コロナウイルス感染拡大の影響で、店が営業縮小に追い込まれ、先行きを悲観する言葉を周囲に漏らしていたという。
この店だけではなく、多くの事業者が政府や自治体の「自粛」要請等により損失を受けているといえるが、この事例は、上記の②侵害行為の強度が強いものであることを裏付ける出来事のひとつというにとどまるものではない。この事例は、③侵害行為の目的について、今回のコロナ禍に伴う権利制限の目的が、消極(警察)目的だけではないことを世間に広く知らしめたものともいえよう。すでに中国でのコロナ感染拡大が大々的に報じられている時期に、日本の総理大臣が「多くの中国の皆さまが訪日されることを楽しみにしています」などと2020年1月下旬まで情報発信をして春節旅行を呼びかけ、さらに日本国内でウイルスの感染が拡大しウィルスが蔓延するなか、五輪開催延期の決断が同年3月24日という遅い時期になったことは、「国民経済」(新型インフル等対策特措法1条、45条)への影響を考慮するという目的もあったからにほかならない。
つまり、消極目的だけではなく、国民経済への影響への配慮や五輪開催への可能性の考慮という政策的・政治的判断から1回目及び2回目の緊急事態宣言等の対処が遅れ(遅らせるという裁量判断をし)(*50)、「後手後手」の対応となった結果、国内のウイルス対策に失敗して感染が拡大し(あるいは感染者数が減少する時期が遅くなり)、その結果、一部の事業者に負担がのしかかった(現時点でもそれが続いている)面があるのである(*51)。このようなことも考慮すれば、消極目的のみならず積極目的も併存する権利制限ともいえるだろう(このように考えると、より「特別の犠牲」に当たりやすくなるといえよう)。消極目的(消極的目的)による財産権制限の具体例として、汚染された食品の廃棄、火災家屋の破壊消防、消防法上の危険物規制、建築基準法による建築規制などが挙げられ、積極目的(積極的目的)による財産権制限の具体例としては、産業・交通その他公益事業の進展などが挙げられる(*52)が、五輪や経済に配慮した緊急事態宣言等に係る裁量判断に関連する自粛要請等には、産業・その他公益事業の進展のための制限という面もあり、汚染された食品の廃棄、ため池の堤とうの耕作禁止の事案(*53)のような典型的な消極目的規制とは事案類型(*54)が異なるというべきである。
以上より、③の消極目的規制の点をとくに重視すると、特別の犠牲に当たるとはいえないという考え方もあるだろうが(*55)、③の積極目的の面も考慮すると、損失が著しいといえる場合(②)等には、特別の犠牲に当たると考える余地もあるだろう(*56)。