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INSIGHT - 2017.11.14

仏に肉体を与えた仏師・運慶。
史上最大の「運慶展」で見る
その生涯

現在、東京国立博物館で開催中の「運慶展」。現存する運慶の作品のうち、約8割に当たる22体が全国から集まる過去最大の展覧会だ。「日本のミケランジェロ」とも言われる力強く写実的な作風はいかにして確立されたのか? 本展で見ることのできる重要作を通して、その秘密に迫る。

文=verde
運慶作 国宝 毘沙門天立像 鎌倉時代・文治2年(1186) 静岡・願成就院蔵 写真:六田知弘

「日本のミケランジェロ」運慶!
その原点と魅力を探る

 現在、東京国立博物館で「運慶展」が開催されている。多くの人がこの名から連想するのは、東大寺南大門の金剛力士像(仁王像)ではないだろうか。9メートル以上におよぶその大きさ、力強く写実的な肉体や衣の表現、そして圧倒的な存在感は、見る者に忘れがたい印象を残す。彼はまさに「日本のミケランジェロ」と呼んでも過言ではあるまい。

 「運慶展」には、現存する運慶作またはその可能性が高いと言われている約30体のうちから22体もの作品が一堂に会する。他にも、父・康慶や息子・湛慶らを含む慶派の作品も集められており、運慶の作風をかたちづくった源流から、彼のデビュー作、そして晩年の作品と次世代への継承までの流れを見渡すことができる。本稿では、出品作品から数点を選び、その見どころについて、運慶の生涯や時代背景とも絡めながら紹介していこう。

1. 源流―円成寺《大日如来像》

 1150年頃、運慶は慶派の仏師・康慶を父として奈良に生まれた。当時の仏像は、平安中期の仏師・定朝作の平等院鳳凰堂の《阿弥陀如来像》に見られるような、温和で優美な像(いわゆる定朝様)が主流で、慶派もそれを受け継いだグループのひとつだった。同じく定朝の流れを汲み、摂関家や宮廷から注文を受けていた円派や院派ら京の仏師たちに比べると、奈良・興福寺を拠点とする慶派は劣勢で、仕事も仏像の修理が主だった。

定朝作 国宝 木造阿弥陀如来坐像 (参考図版)

 しかし、見方を変えればこれはチャンスでもあっただろう。京の仏師たちが貴族の好みに合わせ、似たような像をつくり続けていたのに対し、慶派の仏師たちは修理を通じて、定朝以前の作品、興福寺の《阿修羅像》のような天平時代の多くの作品に触れ、研究し、自らの糧とすることができたのである。

 運慶もまた、父・康慶を通じて、代々積み重ねられてきたその研究成果を自分のものとして吸収していった。そして1176年、彼はデビュー作《大日如来像》を制作する。

運慶作 国宝 大日如来坐像 平安時代・安元2年(1176) 奈良・円成寺蔵 写真:飛鳥園

 凛と伸ばした背筋。胸の前でゆったりと自然に印を結ぶ両手。頬や肩、腕は指で押せば押し返されそうな弾力を持ち、青年のように若々しい。宝冠の下からのぞく、櫛で梳いたような髪の毛の細かい彫りも印象的で、向かい合っていると像が静かに呼吸をしているようにすら感じられる。そして、深く彫られた、流れるような写実的な衣文や肉付きの良い体つき、そして凸レンズ状の水晶に瞳を描いて裏からはめ込む新技法「玉眼」が使われていることは、定朝様にはない、慶派ならではの特徴である。

 この像を手掛けた当時、運慶は20代後半。しかも、1年近い年月をかけて1人で彫ったと推測されている。また、この仏像の台座の裏には「大仏師康慶実弟子運慶」と墨書銘がなされており、これは日本美術史上で最初になされた作者の署名である。

 「仏師・運慶、ここにあり!」―若い仏師の意気込みが伝わってくるかのようである。

2. 時代の祈り―浄楽寺《阿弥陀如来像》

 運慶が生まれた平安時代末期は、政権が貴族から武士へと移っていく激動の最中、「末法の世」とも呼ばれていた。「末法の世」とは、仏教で釈迦の死後1500年経ち、仏の教えはあるものの正しい悟りや行いが無くなっていくとされる時代を指す。実際に、人々は戦や飢え、病など死と隣り合わせの中で暮らしていた。運慶自身の周囲でも、1180年平家による南都焼き討ちで、東大寺や興福寺など多くの寺が焼かれた。

 このような状況の中、救いというものはあるのか。そもそも、仏はいるのか。同じような思いを、新たな政権の担い手となった武士たちもまた抱えていた。宿命的に殺生をする立場にある彼らにとって、救済は期待できるものではない。それでも、いやそれ故にこそ、心の安らぎを強く願っただろう。

 浄楽寺の《阿弥陀如来像》は、時代の祈りに応えるべく運慶がつくった仏像の一例と言うべきだろう。厚い胸や衣からのぞく太く逞しい腕。側面から見ると、体の厚みに驚かされる。幾重にも走る衣文も、その下に存在する肉体のボリュームを感じさせてくれ、現実感をいや増している。頼れば守ってくれる、強い仏。

運慶作 重要文化財 阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 鎌倉時代・文治5年(1189) 神奈川・浄楽寺蔵 写真:鎌倉国宝館(井上久美子)

 そして直接木地を彫って描かれた眼(彫眼)は、静かに祈る者を見つめ返す。「仏は実在する」―人々が求めたのは、心からそのように信じる事ができる仏像であり、運慶は写実的で力強い造形でもって、それに応えた。仏は確かにここにいる。自分の抱える不安も救いへの願いもしっかりと受け止めてくれる。そして穏やかに見つめ返してくれる。死と隣り合わせに生きる人々にとって、それは心にどれほどの安らぎをもたらしてくれたことだろう。

 この《阿弥陀如来像》の注文主は鎌倉幕府の御家人・和田義盛であるが、運慶は、彼の他にも、北条時政をはじめとする重鎮や幕府本体からも注文を受け、多くの仏像を手掛けている。

3. 晩年、そして次の世代へ―興福寺北円堂《無著菩薩立像》《世親菩薩立像》

 1212年、復興された興福寺北円堂のため、運慶は弟子たちとともに9体の像を手掛ける。そのうち当時のまま残っているのは、本尊である《弥勒如来像》、そしてその脇侍として配された《無著菩薩立像》《世親菩薩立像》の3体のみとなる。

 無著と世親は、4~5世紀頃の北インドに実在した兄弟の僧であり、弥勒の説いた教えを体系化し、法相宗の教理として確立させた。法相宗に属する興福寺にとっては、重要人物である。

運慶作 国宝 無著菩薩立像 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘

 像の大きさはどちらも約2メートルであり、近くで見るとまずその大きさに圧倒される。包みを掲げ、穏やかな表情でやや俯き加減にこちらを見つめる年かさの無著。 対して、弟の世親は眉間にしわを寄せ、思いつめたような表情で何事か語りかけようとしている。こちらは兄に比べて肉付きがよく、体つきもがっしりしている。水晶をはめ込む玉眼の技法が使われている目は生き生きとした光を湛え、像がいまにも口を開きこちらに歩みだそうとしているようにも見える。これら2つはまさに肖像彫刻の傑作であり、運慶にとっても晩年の代表作と言っていい。

運慶作 国宝 世親菩薩立像 鎌倉時代・建暦2年(1212)頃 奈良・興福寺蔵 写真:六田知弘

 しかし、実は運慶はこの2つを含め北円堂の造仏の仕事においては、大仏師として総監督を務め、実際の制作は、息子や弟子たちが分担して行っていた。それでも、運慶のプロデュース力、そして彼の培ってきた技術が確実に次の世代へと受け継がれているということが伺える。

 通常、仏像が置かれている寺院では、正面など一方向からしか見ることがかなわないが、今回の展覧会においては360度から見ることが可能になっている。彫刻作品の面白さは、あらゆる方向から眺めることにある。正面、背面、側面、そして斜め。方向ごとに作品は違ったかたちに見え、ときに新たな発見をもたらす。

 もし会場において、気になる像があったら、是非その周囲を一度ゆっくりと歩いてみることをお勧めしたい。ポーズや表情、そして全体の体つきなど、一歩ごとに小さな気づきが得られるだろう。そして、また元の位置に戻って来たとき、最初に見たときとはまた違った感想を抱くかもしれない。

 イタリアでミケランジェロが《ダヴィデ》を制作するよりも約300年前に、日本には、こんなにも力強く写実的な像をつくる彫刻家がいた。展覧会を通して見たとき、その事実に改めて驚かされよう。

information

興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」

会期:2017年9月26日〜11月26日
会場:東京国立博物館 平成館
住所:東京都台東区上野公園13-9
電話番号:03-5777-8600
開館時間:9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
※金曜・土曜および11月2日は21:00まで開館
休館日:月(10月9日は開館)
料金:一般 1600円 / 大学生 1200円 / 高校生 900円 / 中学生以下無料

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