EXHIBITIONS
加藤康司「空想紀行」
AI KOKO GALLERYでは、若手アーティスト・加藤康司の個展「空想紀行」を開催する。
加藤は1994年生まれ。2016年弘益大学校(韓国)交換留学。21年東京藝術大学大学院グローバルアートプラクティス(GAP)専攻修了。協働性や政治性に焦点を当てた作品を制作。近年、アジア各国での活動を中心に綿密なリサーチや協働性を活かした映像、立体、絵画など多様なメディアを用いた作品に取り組み、歴史化された権力構造からの逸脱、再解釈を試みている。
本展では、加藤がAI KOKO GALLERYの近隣にある江戸東京博物館を訪れて、アルノルデゥス・モンタヌス著『日本誌』(1669)を知ったことを発端とする、一連の作品群が発表される。
17世紀のヨーロッパでは、未知の国の文化や風俗が記された出版物は人気があり、当時鎖国下であった日本の風景を100点近い挿絵によって視覚的に記した『日本誌』はとりわけ多くの人々を魅了した。『日本誌』の作者であるモンタヌスはオランダ人の牧師であり、先生であり、職業作家という複数の肩書きを持つ人物だった。『日本誌』を執筆するにあたり、日本に派遣された使節などの報告書や記録といった断片的な資料を参考にし、一度も来日することなく、空想を交えて日本の歴史書を書き上げた。フィクションによってふんだんに加工されたこの物語は、まるでフェイクニュースのようにヨーロッパ各国で広く普及していった。
現代社会ではVRやARなど架空と現実が混在するようなツールが普及し始め、それらを分断して考えるのではなく、むしろ共存を前提とした想像や鑑賞をする感性が育まれている。情報メディアの領域においても、資本主義のダイナミズムも相まって、事実であるかどうかより面白いかどうかを重視するという、現実に依拠しない受容の在り方に拍車がかかっていると言えるだろう。
加藤はかつて偽りの物語が流行した17世紀のヨーロッパと、空想に溢れる現代社会を重ねてとらえつつ、他者を表現することで発生する表現者の倫理的課題に焦点を当てる。空想が現実を覆い尽くす社会において、世界を想像する責任とは何か、本展では、モンタヌスが頭のなかで描いたであろう風景に作者が飛び込み、妄想と欲望によってつくられたキャラクターと対話し、マッピングされゆく世界観を新作の3Dアニメーション映像で再現する。
加藤は1994年生まれ。2016年弘益大学校(韓国)交換留学。21年東京藝術大学大学院グローバルアートプラクティス(GAP)専攻修了。協働性や政治性に焦点を当てた作品を制作。近年、アジア各国での活動を中心に綿密なリサーチや協働性を活かした映像、立体、絵画など多様なメディアを用いた作品に取り組み、歴史化された権力構造からの逸脱、再解釈を試みている。
本展では、加藤がAI KOKO GALLERYの近隣にある江戸東京博物館を訪れて、アルノルデゥス・モンタヌス著『日本誌』(1669)を知ったことを発端とする、一連の作品群が発表される。
17世紀のヨーロッパでは、未知の国の文化や風俗が記された出版物は人気があり、当時鎖国下であった日本の風景を100点近い挿絵によって視覚的に記した『日本誌』はとりわけ多くの人々を魅了した。『日本誌』の作者であるモンタヌスはオランダ人の牧師であり、先生であり、職業作家という複数の肩書きを持つ人物だった。『日本誌』を執筆するにあたり、日本に派遣された使節などの報告書や記録といった断片的な資料を参考にし、一度も来日することなく、空想を交えて日本の歴史書を書き上げた。フィクションによってふんだんに加工されたこの物語は、まるでフェイクニュースのようにヨーロッパ各国で広く普及していった。
現代社会ではVRやARなど架空と現実が混在するようなツールが普及し始め、それらを分断して考えるのではなく、むしろ共存を前提とした想像や鑑賞をする感性が育まれている。情報メディアの領域においても、資本主義のダイナミズムも相まって、事実であるかどうかより面白いかどうかを重視するという、現実に依拠しない受容の在り方に拍車がかかっていると言えるだろう。
加藤はかつて偽りの物語が流行した17世紀のヨーロッパと、空想に溢れる現代社会を重ねてとらえつつ、他者を表現することで発生する表現者の倫理的課題に焦点を当てる。空想が現実を覆い尽くす社会において、世界を想像する責任とは何か、本展では、モンタヌスが頭のなかで描いたであろう風景に作者が飛び込み、妄想と欲望によってつくられたキャラクターと対話し、マッピングされゆく世界観を新作の3Dアニメーション映像で再現する。