EXHIBITIONS
庄司朝美、山田周平「失望」
代々木のTOHで、庄司朝美と山田周平による2人展「失望」が開催される。2月4日~25日まで。
庄司は1988年福島県生まれ。多摩美術大学美術研究科絵画専攻版画領域を修了。2019年に「FACE2019」展でグランプリを、翌年には「五島記念文化賞」新人賞を受賞するなど、注目を集めている。
山田は1974年生まれ。2013年、アーモリーショーのキュレーション部門において唯一の日本人として選出され、様々なメディアで話題となった。2003年、写真新世紀優秀賞受賞。2017年、ISCPレジデンスプログラムニューヨーク)に参加。主なコレクションにタグチコレクション。
本展は、表現方法もコンセプトも何もかもが噛み合わない作家2人によって企画された。合意点や互いの理解を求めるのではなく、2人が別の個人であるということを前提とし、スレ違いや失望することを折り込むことでコラボレーションを成立させようとする試みだ。
自身の身体を通して探る世界を絵画空間に落とし込む庄司と、俯瞰的視点で社会を批評する山田との異色の組み合わせによる展示は、今世紀で最初で最後になるかもしれない。以下は2人が互いに宛てたテキスト。
庄司朝美から山田周平へ
笑うことしかできない。
涙の代わりの、もしくは枯れ果てた涙の後の笑い。
絶望ではなくて失望。は は は を通って失った望みを取り戻せるかもしれない。
は は は は に置き換わったものを想像する。
山田周平から庄司朝美へ
彼女はきっと私に失望しているに違いない。
私を見る時、彼女の瞳はイスタンブールの鴎のそれのように黒く、強く透き通っているが、喜びを持ち合わせてはいない。
その瞼を閉じると銀のカクテルフォークのような美しいカーブを描く睫毛が私を威嚇する。
私と話す時、彼女の声はニューメキシコの黄色い大地のように、実に堂々としているが、わずかに苛立っている。
長身の彼女は、河南省の竹林を思わせるしなやかさで、いつも待ち合わせの駅のホームで佇むが、決して私を肯定はしない。
アフリカのサバンナで獲物を探すチーターのような優雅さで歩行する彼女は、吉野家のカウンターにこびりつく生姜を見るように私を眺める。
彼女はきっと私に失望しているに違いない。
庄司は1988年福島県生まれ。多摩美術大学美術研究科絵画専攻版画領域を修了。2019年に「FACE2019」展でグランプリを、翌年には「五島記念文化賞」新人賞を受賞するなど、注目を集めている。
山田は1974年生まれ。2013年、アーモリーショーのキュレーション部門において唯一の日本人として選出され、様々なメディアで話題となった。2003年、写真新世紀優秀賞受賞。2017年、ISCPレジデンスプログラムニューヨーク)に参加。主なコレクションにタグチコレクション。
本展は、表現方法もコンセプトも何もかもが噛み合わない作家2人によって企画された。合意点や互いの理解を求めるのではなく、2人が別の個人であるということを前提とし、スレ違いや失望することを折り込むことでコラボレーションを成立させようとする試みだ。
自身の身体を通して探る世界を絵画空間に落とし込む庄司と、俯瞰的視点で社会を批評する山田との異色の組み合わせによる展示は、今世紀で最初で最後になるかもしれない。以下は2人が互いに宛てたテキスト。
庄司朝美から山田周平へ
笑うことしかできない。
涙の代わりの、もしくは枯れ果てた涙の後の笑い。
絶望ではなくて失望。は は は を通って失った望みを取り戻せるかもしれない。
は は は は に置き換わったものを想像する。
山田周平から庄司朝美へ
彼女はきっと私に失望しているに違いない。
私を見る時、彼女の瞳はイスタンブールの鴎のそれのように黒く、強く透き通っているが、喜びを持ち合わせてはいない。
その瞼を閉じると銀のカクテルフォークのような美しいカーブを描く睫毛が私を威嚇する。
私と話す時、彼女の声はニューメキシコの黄色い大地のように、実に堂々としているが、わずかに苛立っている。
長身の彼女は、河南省の竹林を思わせるしなやかさで、いつも待ち合わせの駅のホームで佇むが、決して私を肯定はしない。
アフリカのサバンナで獲物を探すチーターのような優雅さで歩行する彼女は、吉野家のカウンターにこびりつく生姜を見るように私を眺める。
彼女はきっと私に失望しているに違いない。