EXHIBITIONS
篠原有司男 個展「吾輩のパンチがオーロラに炸裂!」
ANOMALYでは、日本を代表するアーティストのひとり、篠原有司男の個展「吾輩のパンチがオーロラに炸裂!」を開催する。
篠原は1932年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部油絵学科にて林武に師事し、在学中より読売アンデパンダン展に出品。日本の前衛芸術の一時代を築く。同大学を中退後は吉村益信らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を1960年に結成。短期間の活動ながら破天荒で過激なパフォーマンスで日本の美術界に大きな衝撃を与えた。1969年、ロックフェラー三世奨学金により渡米。以降、ニューヨークを活動拠点とし、原色を大胆に使った大型の絵画や、「ボクシング・ペインティング」をはじめとするエネルギッシュな作品で国内外から高い評価を受けている。
4年ぶりの帰国展となる本展は、篠原の軌跡がたどれるような展覧会。代表作のひとつである「ボクシング・ペインティング」や、近年シノハラ・スタジオで発見された、主にニューヨークの大衆文化を描いた1970〜80年制作の極彩色ペインティング、さらに巨大な「花魁シリーズ」を公開する。
篠原のボクシング・ペインティングは、1959〜61年頃に実験と実践が繰り返された。当初は屋外に広げた布に、墨汁を染み込ませ丸めた布を落とし跡をつけることから始まり、グローブの代わりにボロ布を拳に巻きつけ、古い布や模造紙をキャンバス代わりに右から左へ墨汁を何度もパンチするアクションとして実践された。のちに篠原は「いい絵を描こうと思って本当にいい絵を描けるわけがない。だから思考が追いつく前に素早く打つんだ」と語っている。「早く、美しく、そしてリズミカルであれ」を標榜するこのボクシング・ペインティングは、1991年に国立国際美術館で開催された「芸術と日常 反芸術/汎芸術」展のオープニング・パフォーマンスで、1961年以降初の復活を遂げた。
現在90歳を目前とした篠原は、ダンボールを素材にしたモーターバイクの作品や、原色を大胆に使い大衆文化を描いた絵画、そして若き頃と変わらずキャンバスにヒットするボクシング・ペインティングと、エネルギーに満ちあふれた作品を精力的に制作し続けている。
篠原は1932年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部油絵学科にて林武に師事し、在学中より読売アンデパンダン展に出品。日本の前衛芸術の一時代を築く。同大学を中退後は吉村益信らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を1960年に結成。短期間の活動ながら破天荒で過激なパフォーマンスで日本の美術界に大きな衝撃を与えた。1969年、ロックフェラー三世奨学金により渡米。以降、ニューヨークを活動拠点とし、原色を大胆に使った大型の絵画や、「ボクシング・ペインティング」をはじめとするエネルギッシュな作品で国内外から高い評価を受けている。
4年ぶりの帰国展となる本展は、篠原の軌跡がたどれるような展覧会。代表作のひとつである「ボクシング・ペインティング」や、近年シノハラ・スタジオで発見された、主にニューヨークの大衆文化を描いた1970〜80年制作の極彩色ペインティング、さらに巨大な「花魁シリーズ」を公開する。
篠原のボクシング・ペインティングは、1959〜61年頃に実験と実践が繰り返された。当初は屋外に広げた布に、墨汁を染み込ませ丸めた布を落とし跡をつけることから始まり、グローブの代わりにボロ布を拳に巻きつけ、古い布や模造紙をキャンバス代わりに右から左へ墨汁を何度もパンチするアクションとして実践された。のちに篠原は「いい絵を描こうと思って本当にいい絵を描けるわけがない。だから思考が追いつく前に素早く打つんだ」と語っている。「早く、美しく、そしてリズミカルであれ」を標榜するこのボクシング・ペインティングは、1991年に国立国際美術館で開催された「芸術と日常 反芸術/汎芸術」展のオープニング・パフォーマンスで、1961年以降初の復活を遂げた。
現在90歳を目前とした篠原は、ダンボールを素材にしたモーターバイクの作品や、原色を大胆に使い大衆文化を描いた絵画、そして若き頃と変わらずキャンバスにヒットするボクシング・ペインティングと、エネルギーに満ちあふれた作品を精力的に制作し続けている。