EXHIBITIONS

名古屋城からはじまる植物物語

駒場薬園百合花培養図 1826(文政9)- 栗本丹洲 雑花園文庫蔵

林喜兵衛/安藤七宝店製造 百華文七宝大壺 明治時代後期(20世紀) 名古屋市博物館蔵

葛飾北斎 『北斎漫画』 1814(文化11) 雑花園文庫蔵

田中芳男ほか 『教草』 1872-1876(明治5-9) 雑花園文庫蔵

伊藤圭介『錦窠植物図説 六十四 櫻譜』 東山動植物園蔵

 ヤマザキマザック美術館が特別展「名古屋城からはじまる植物物語」を開催。江戸時代に尾張の絵師たちが引き継いできた花鳥画の伝統が西洋植物画と融合し、ボタニカルアート、ジャポニスム、アール・ヌーヴォーへとつながる流れを展観する。

 1609(慶長14)年に徳川家康が築城し、尾張徳川家の居城だった名古屋城。狩野派の絵師たちによって施された城内の美しい障壁画は、1930(昭和5)年に宮内庁から名古屋市に下賜されるまではごく限られた人しか見ることがかなわなかったが、障壁画制作のために江戸や京都から集められた狩野派の絵師たちの一部がそのままとどまったことや、主要絵師がしばしば尾張を訪れて狩野派の技法を伝えたことなどから、狩野派の作風が尾張にも広まったとされている。

 第二次世界大戦の空襲により名古屋城はその建物の大部分が焼失。現存する本丸御殿の天井板絵の多くには植物が描かれており、江戸初期の植物文化をいまに伝えている。

 本展では、戦災を免れた天井板絵を復元模写と並べて展示し、当時の絵画様式や色彩感覚をひも解く。

 日本で本草学が本格的に発展し始めたのは19世紀のことで、本草学者たちはヨーロッパから入ってきた植物解剖学を学び、狩野派の粉本などで学んだ描き方と、顕微鏡などを用いて観察する方法と融合させて美しい植物画を描くようになった。

 シーボルトに学んだ尾張の本草学者・伊藤圭介(1803〜1901)も、西洋の新たな植物学の知見にふれたひとり。本展では、伊藤が残したシーボルト関する貴重な資料も紹介する。