EXHIBITIONS
静謐な光、游泳のかたち
浮かび上がる矛盾の間を游ぎ、人生に対するアティチュードを再思考する展覧会「静謐な光、游泳のかたち」が開催される。参加アーティスト、Saskia、Larry McCarthy、肥髙茉実、佐藤円の4名。
日々激化する情報戦のなかで、誰からも侵されることなく自立した状態を保ちながら思考を続けることは可能なのか。この問いを起点に、本展では国内外からアーティストが集まり、多様なメディアを用いてユートピアとディストピアのイメージを共存させ、曖昧な世界の実態への理解を深め、アティチュードの再思考を目指す。
本展の会場となるのは、東京・渋谷の奥地にある「Sta.」のギャラリースペース。暗転した空間に、来場者の五感を刺激する作品をランダムに配置し、情報の遮断が困難な嗅覚・聴覚に対するアプローチは、サウンドアーティストのSaskiaが担当する。
またイギリス・ブリストル在住のプロデューサー、Larry McCarthyとコラボレーションし、複数のスピーカーを用いて時間軸の違う二者のアートピースをコラージュすることで、物事はつねに変化し続け、一瞬たりとも同一の空間は存在し得ないことを表現。そこへ鎮静作用のあるアロマを組み合わせ、静寂ながらもポジティブなイメージを自由に生み出せるユートピア的空間をデザインする。
いっぽう、現代社会において人々への影響が五感のなかでもっとも大きいとされる視覚的表現には、美術家・文筆家の肥髙茉実によるインスタレーション作品を起用。波のようにうねる鉄のオブジェに、現代社会の課題であるジェンダーやナショナリティの要素をフラットな状態で取り入れ、湖に浮かぶボートのように空間に点在させる。そしてそこへ照明ディレクターの佐藤円が灯をともし、世界の暗がりに潜む憂鬱な影を浮かび上がらせることで、私たちが無意識下で黙認してきた事実と対面する行為ともなりうる場をつくる。
目を閉じれば瞑想のように身を安心できる場所へと自ら誘うことができ、目を開ければ現実が降りかかってくる。本展はそういった二元論的な状況を創出し、不完全な歴史や情報との距離が、コントロールがおよばない存在であると同時に自らのコントロールによって存在しているという矛盾を示す。
様々な境界線や矛盾のあいだを泳ぐような感覚によって、それまでの不自由を自覚していく経験は、社会や他者との関係修復のための新たな視座を与え、それぞれが人生への新しい態度を考える機会となるだろう。4名のアーティストによる本展は、私たちの眠りかけていた身体感覚を再発見し、その感覚に慣れるためのトレーニングの場となることを望んでいる。
日々激化する情報戦のなかで、誰からも侵されることなく自立した状態を保ちながら思考を続けることは可能なのか。この問いを起点に、本展では国内外からアーティストが集まり、多様なメディアを用いてユートピアとディストピアのイメージを共存させ、曖昧な世界の実態への理解を深め、アティチュードの再思考を目指す。
本展の会場となるのは、東京・渋谷の奥地にある「Sta.」のギャラリースペース。暗転した空間に、来場者の五感を刺激する作品をランダムに配置し、情報の遮断が困難な嗅覚・聴覚に対するアプローチは、サウンドアーティストのSaskiaが担当する。
またイギリス・ブリストル在住のプロデューサー、Larry McCarthyとコラボレーションし、複数のスピーカーを用いて時間軸の違う二者のアートピースをコラージュすることで、物事はつねに変化し続け、一瞬たりとも同一の空間は存在し得ないことを表現。そこへ鎮静作用のあるアロマを組み合わせ、静寂ながらもポジティブなイメージを自由に生み出せるユートピア的空間をデザインする。
いっぽう、現代社会において人々への影響が五感のなかでもっとも大きいとされる視覚的表現には、美術家・文筆家の肥髙茉実によるインスタレーション作品を起用。波のようにうねる鉄のオブジェに、現代社会の課題であるジェンダーやナショナリティの要素をフラットな状態で取り入れ、湖に浮かぶボートのように空間に点在させる。そしてそこへ照明ディレクターの佐藤円が灯をともし、世界の暗がりに潜む憂鬱な影を浮かび上がらせることで、私たちが無意識下で黙認してきた事実と対面する行為ともなりうる場をつくる。
目を閉じれば瞑想のように身を安心できる場所へと自ら誘うことができ、目を開ければ現実が降りかかってくる。本展はそういった二元論的な状況を創出し、不完全な歴史や情報との距離が、コントロールがおよばない存在であると同時に自らのコントロールによって存在しているという矛盾を示す。
様々な境界線や矛盾のあいだを泳ぐような感覚によって、それまでの不自由を自覚していく経験は、社会や他者との関係修復のための新たな視座を与え、それぞれが人生への新しい態度を考える機会となるだろう。4名のアーティストによる本展は、私たちの眠りかけていた身体感覚を再発見し、その感覚に慣れるためのトレーニングの場となることを望んでいる。