EXHIBITIONS
没後20年 麻田浩展 ―静謐なる楽園の廃墟―
京都市立芸術大学西洋画科の教授を務めながら、水滴や羽根などの自然物を配した「原風景」とともに、「原都市」と名づけられた美しき廃墟空間を描き続けた麻田浩。
麻田は日本画家、辨自(べんじ)を父に、同じく日本画家の鷹司を兄に持ち、美術家の一家に生まれた。同志社大学経済学部に入学するものの画家への道を捨てきれず、在学中に新制作協会に出品し、初入選を果たす。
制作初期はアンフォルメルに傾倒。1963年、初めてのヨーロッパ旅行にて古典絵画を再確認したことを機に、作品に変化が現れるようになる。39歳で再度渡欧し、パリを拠点により幻想的な風景画を生み出して新制作展や安井賞展などに出品し続けた。ヨーロッパ滞在期には版画制作にも力を入れ、カンヌ国際版画ビエンナーレではグランプリを獲得。フランス・ドイツ・ベルギーなどでも個展を開催した。
82年、50歳で帰国。95年には京都市文化功労者となり、同年に第13回宮本三郎記念賞を受賞するなど65歳まで活躍を続けた。
麻田が没して20年となる節目に、本展では、初期から晩年までの約140点の油彩画、版画等を通して麻田の画業を振り返る。
麻田は日本画家、辨自(べんじ)を父に、同じく日本画家の鷹司を兄に持ち、美術家の一家に生まれた。同志社大学経済学部に入学するものの画家への道を捨てきれず、在学中に新制作協会に出品し、初入選を果たす。
制作初期はアンフォルメルに傾倒。1963年、初めてのヨーロッパ旅行にて古典絵画を再確認したことを機に、作品に変化が現れるようになる。39歳で再度渡欧し、パリを拠点により幻想的な風景画を生み出して新制作展や安井賞展などに出品し続けた。ヨーロッパ滞在期には版画制作にも力を入れ、カンヌ国際版画ビエンナーレではグランプリを獲得。フランス・ドイツ・ベルギーなどでも個展を開催した。
82年、50歳で帰国。95年には京都市文化功労者となり、同年に第13回宮本三郎記念賞を受賞するなど65歳まで活躍を続けた。
麻田が没して20年となる節目に、本展では、初期から晩年までの約140点の油彩画、版画等を通して麻田の画業を振り返る。


