EXHIBITIONS
日常の光-写し出された広島
いまから75年前、1945(昭和20)年の広島は、原爆投下により焼け野原となった。その未曾有の状態を指して「75年間(70年間)は草木も生えぬ」と語られ、生活の再建や街の復興に努めた多くの人たちの尽力により、今日の姿に至る。
広島という街は、これまで国内外の写真家によって、様々な視点から撮影されてきた。そこには、原爆被害に迫る写真だけではなく、広島に住まう人々の何気ない、しかし、かけがえのない日常をとらえた写真も多く見られる。
本展は、広島県出身の写真家6人が撮影した広島に焦点を当てるもの。
被爆直後の擢災者を撮影することに躊躇しながらもカメラを向けた松重美人(1913〜2005)、戦後、温かな眼差しで広島の復興を記録に留めた明田弘司(1922〜2015)、オリンピック選手であった高田静雄(1909〜1963)は、原爆症を患ってからは、平和な日常を写すことに情熱を傾けた。
迫幸一(1918〜2010)は、郷土の風景や人々の営みを造形的な観点でとらえ、国際的評価を受けた。そして藤岡亜弥(1972〜)や笹岡啓子(1978〜)は、体験し得ない、しかし潜在する原爆の記憶を、今日的な視点から表現しようとしている。
広島の写真家たちがとらえた光。本展では、戦後から現代へと移り変わる広島において、いかに写真家たちが日常の情景を各々の手法で留めようとしたのかをたどる。
広島という街は、これまで国内外の写真家によって、様々な視点から撮影されてきた。そこには、原爆被害に迫る写真だけではなく、広島に住まう人々の何気ない、しかし、かけがえのない日常をとらえた写真も多く見られる。
本展は、広島県出身の写真家6人が撮影した広島に焦点を当てるもの。
被爆直後の擢災者を撮影することに躊躇しながらもカメラを向けた松重美人(1913〜2005)、戦後、温かな眼差しで広島の復興を記録に留めた明田弘司(1922〜2015)、オリンピック選手であった高田静雄(1909〜1963)は、原爆症を患ってからは、平和な日常を写すことに情熱を傾けた。
迫幸一(1918〜2010)は、郷土の風景や人々の営みを造形的な観点でとらえ、国際的評価を受けた。そして藤岡亜弥(1972〜)や笹岡啓子(1978〜)は、体験し得ない、しかし潜在する原爆の記憶を、今日的な視点から表現しようとしている。
広島の写真家たちがとらえた光。本展では、戦後から現代へと移り変わる広島において、いかに写真家たちが日常の情景を各々の手法で留めようとしたのかをたどる。