EXHIBITIONS
明治の金メダリスト
大橋翠石 〜虎を極めた孤高の画家〜
明治を代表する日本画家のひとり、大橋翠石(おおはし・すいせき)の過去最大規模となる回顧展が開催される。
大橋翠石(1865~1945)は、日本美術史のなかでも特別な存在。1900(明治33)年のパリ万国博覧会で、日本人画家として唯一の金メダル(金牌)に輝き、4年後のセントルイス万国博覧会でも連続して金メダルを受賞した翠石は、当時世界でもっとも高く評価された日本画家のひとりだった。
現在の岐阜県大垣市に生まれ、上京して渡辺小華(しょうか)に師事した大橋。しかし翌年、師や母を立て続けに亡くして帰郷。さらに濃尾大震災で被災し、父と家を失った。数々の不幸を乗り越える力を虎の絵に求めた翠石は、研鑽を重ねて独自の画風を完成させていった。後半生は療養のため神戸の須磨に隠棲し、動物たちを描きながらたったひとりで自分の芸術を追求し続けた。
晩年は画壇と無縁で過ごした翠石だが、生前、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価を受け、また明治天皇や東郷平八郎、大隈重信ら名だたる人々がその絵を愛した。
本展は、2008年に開催された「大橋翠石ー日本一の画家」展依頼、12年ぶりとなる展覧会であり、各地から相次いで発見された名作によって翠石の画業を通覧できる、過去最大規模の回顧展である。セントルイス万国博覧会で「その絵を一生忘れることができない」とアメリカ人を感動させた明治の金メダリスト・大橋翠石の全貌を紹介する(会期中、展示替えあり)。
大橋翠石(1865~1945)は、日本美術史のなかでも特別な存在。1900(明治33)年のパリ万国博覧会で、日本人画家として唯一の金メダル(金牌)に輝き、4年後のセントルイス万国博覧会でも連続して金メダルを受賞した翠石は、当時世界でもっとも高く評価された日本画家のひとりだった。
現在の岐阜県大垣市に生まれ、上京して渡辺小華(しょうか)に師事した大橋。しかし翌年、師や母を立て続けに亡くして帰郷。さらに濃尾大震災で被災し、父と家を失った。数々の不幸を乗り越える力を虎の絵に求めた翠石は、研鑽を重ねて独自の画風を完成させていった。後半生は療養のため神戸の須磨に隠棲し、動物たちを描きながらたったひとりで自分の芸術を追求し続けた。
晩年は画壇と無縁で過ごした翠石だが、生前、横山大観や竹内栖鳳という東西の画壇の巨匠と同等の評価を受け、また明治天皇や東郷平八郎、大隈重信ら名だたる人々がその絵を愛した。
本展は、2008年に開催された「大橋翠石ー日本一の画家」展依頼、12年ぶりとなる展覧会であり、各地から相次いで発見された名作によって翠石の画業を通覧できる、過去最大規模の回顧展である。セントルイス万国博覧会で「その絵を一生忘れることができない」とアメリカ人を感動させた明治の金メダリスト・大橋翠石の全貌を紹介する(会期中、展示替えあり)。

