EXHIBITIONS
生誕135年記念
川端龍子展―衝撃の日本画
「昭和の狩野永徳」と評され、横山大観、川合玉堂とともに「近代日本画の3巨匠」のひとりに数えられる日本画家・川端龍子。龍子は和歌山県に生まれ、上京して若手の洋画家・挿絵画家から作家活動を出発した。その後、単身渡米した現地で日本の古美術にふれたことをきっかけに、日本画に転向。翌年、再興日本美術院展において画壇デビューを果たすと、「ーにも川端、二にも龍子」と言われるほど大観の信頼を得て、院展のホープとして将来を嘱望された。
しかし、日本画を独学で学んだ龍子のあまりに大胆で豪放な表現は、繊細巧緻な画風が主流であった当時の院展内で軋轢を生み、美術院を脱退。「健剛なる芸術」を目指して、自ら日本画団体・青龍社を旗揚げし、それまでの日本画にはなかった規格外の大作を次々と発表するなど、センセーションを巻き起こした。戦後は、青龍社で後進を育てながら精力的に制作を続け、1959(昭和34)年には文化勲章を受章した。
龍子の生誕135年を記念した本展では、大田区立龍子記念館の所蔵品を中心に展示し、50年以上にわたる革新的な画業を回顧する。
しかし、日本画を独学で学んだ龍子のあまりに大胆で豪放な表現は、繊細巧緻な画風が主流であった当時の院展内で軋轢を生み、美術院を脱退。「健剛なる芸術」を目指して、自ら日本画団体・青龍社を旗揚げし、それまでの日本画にはなかった規格外の大作を次々と発表するなど、センセーションを巻き起こした。戦後は、青龍社で後進を育てながら精力的に制作を続け、1959(昭和34)年には文化勲章を受章した。
龍子の生誕135年を記念した本展では、大田区立龍子記念館の所蔵品を中心に展示し、50年以上にわたる革新的な画業を回顧する。