EXHIBITIONS
彫刻家・村田勝四郎と日本野鳥の会
村田勝四郎(1901〜1989)は大阪生まれの彫刻家。東京美術学校(現・東京藝術大学)に学び、渋谷区元代々木町にアトリエを構え、渋谷区立松濤美術館に多くの作品を寄贈するなど、渋谷と深い縁を持つ。
美術学校で朝倉文夫の指導を受けた村田は、先輩の安藤照や堀江尚志らとともに「塊人社」の結成に参加し、独自の活動の道を模索。戦前は塊人社展や帝展、新文展で、戦後は主に新制作協会展で活動し、霞が関ビルなどのモニュメント制作にも携わった。
いっぽうで村田は、1934(昭和9)年に思想家の中西悟堂が「日本野鳥の会」を創立すると、翌年に入会。当初、野鳥を愛する文化人たちの集まりとして出発しながら、戦後日本の経済発展に対し、自然保護・共生の思想を打ち出していく中西への共鳴が、村田が晩年さかんに手がけた少年・少女が鳥たちと親和する主題につながった可能性がある。
本展では、彫刻家・村田の歩みとともに、これまで知られる機会のなかった「野鳥の会」との交流を明らかにする。
美術学校で朝倉文夫の指導を受けた村田は、先輩の安藤照や堀江尚志らとともに「塊人社」の結成に参加し、独自の活動の道を模索。戦前は塊人社展や帝展、新文展で、戦後は主に新制作協会展で活動し、霞が関ビルなどのモニュメント制作にも携わった。
いっぽうで村田は、1934(昭和9)年に思想家の中西悟堂が「日本野鳥の会」を創立すると、翌年に入会。当初、野鳥を愛する文化人たちの集まりとして出発しながら、戦後日本の経済発展に対し、自然保護・共生の思想を打ち出していく中西への共鳴が、村田が晩年さかんに手がけた少年・少女が鳥たちと親和する主題につながった可能性がある。
本展では、彫刻家・村田の歩みとともに、これまで知られる機会のなかった「野鳥の会」との交流を明らかにする。