EXHIBITIONS
未来の幽霊 −長沢秀之展−
無数の絵具の点で画面を覆い尽くし、かつてそこにあった瞬間の輪郭をあいまいに溶かし、自らの立つ現在と過去を隔てる「距離」を浮かびあがらせる長沢秀之の個展。
1947年生まれの長沢は68年に武蔵野美術大学に入学、大学闘争の混乱にある種の自由を見出し、映画や絵画の制作に没頭する。86年には日本人が描く人物像にリアリティが感じられないことへの違和感を出発点とする、自身を代表する「風景」シリーズを発表した。
2006年には「メガミル」シリーズを発表。「私が見るのではなく、目が見る」という言葉は、長沢の一貫したテーマでもある「見ること」へのこだわりを伝える。
今回展示する新作《未来の幽霊》は、その延長線上にあるものであり、カメラという「機械の目」を通し、過去の一瞬を切り取った「写真」を基にドローイングを描画。それが示す過去と描き手である自身の立つ現在との距離をキャンバス上で測っていく絵画手法は、様々な時間の振幅を想起させる。
また近年は人々との交流の軌跡をドローイングと文章で紹介する《心霊教室 psychic room》や《対話 私が生まれたとき》の活動を展開しており、本展では《対話 私が生まれたとき》の新シリーズ、奄美編も紹介する。
1947年生まれの長沢は68年に武蔵野美術大学に入学、大学闘争の混乱にある種の自由を見出し、映画や絵画の制作に没頭する。86年には日本人が描く人物像にリアリティが感じられないことへの違和感を出発点とする、自身を代表する「風景」シリーズを発表した。
2006年には「メガミル」シリーズを発表。「私が見るのではなく、目が見る」という言葉は、長沢の一貫したテーマでもある「見ること」へのこだわりを伝える。
今回展示する新作《未来の幽霊》は、その延長線上にあるものであり、カメラという「機械の目」を通し、過去の一瞬を切り取った「写真」を基にドローイングを描画。それが示す過去と描き手である自身の立つ現在との距離をキャンバス上で測っていく絵画手法は、様々な時間の振幅を想起させる。
また近年は人々との交流の軌跡をドローイングと文章で紹介する《心霊教室 psychic room》や《対話 私が生まれたとき》の活動を展開しており、本展では《対話 私が生まれたとき》の新シリーズ、奄美編も紹介する。


