EXHIBITIONS
生誕120年・没後100年 関根正二展
大正時代、宗教的感情に満ちた作品を描いた夭折の画家・関根正二の過去最大となる回顧展が開催される。
関根は1899年福島県生まれ。東京に移住し、15歳になると幼なじみの伊東深水の紹介で東京印刷に給仕として勤務。ここでオスカー・ワイルドを知り、さらに信州方面へ無銭旅行に出て画家の河野通勢(こうの・みちせい)と出会う。この体験をもとに描いた《死を思ふ日》で、第2回二科展に初入選。16歳にして、対象を刻み込む卓越した素描力と褐色を基調とした画風を確立し、その後、ポール・セザンヌに傾倒した安井曾太郎の滞欧作を見たこときっかけに、絵の骨格を意識した色彩に目覚めた。
1918年は関根にとって飛躍の年となり、《信仰の悲しみ》で第5回二科展樗牛(ちょぎゅうしょう)賞を受賞。「関根のヴァーミリオン」と賞賛された朱色や深い青緑などの鮮烈な色彩、幻影と現実が溶け合った独自の絵画世界が評価された。これに前後して《少年》《三星》《子供》などの代表作を発表し、これからの活躍が期待されるも、病に冒されて20歳の短い生涯を終えた。
本展では、関根の遺作展の出品後に行方不明となり、100年ぶりに見つかった《少女》(1919)や、新たに発見されたペン画を含む作品約100点を展示。書簡約40点を初公開するほか、関根が強く影響を受けたと考えられるオスカー・ワイルドの『獄中記』などの挿絵資料約20点、深水ら同時代の画家や文学者たちの作品と資料約50点をあわせて紹介する。
関根は1899年福島県生まれ。東京に移住し、15歳になると幼なじみの伊東深水の紹介で東京印刷に給仕として勤務。ここでオスカー・ワイルドを知り、さらに信州方面へ無銭旅行に出て画家の河野通勢(こうの・みちせい)と出会う。この体験をもとに描いた《死を思ふ日》で、第2回二科展に初入選。16歳にして、対象を刻み込む卓越した素描力と褐色を基調とした画風を確立し、その後、ポール・セザンヌに傾倒した安井曾太郎の滞欧作を見たこときっかけに、絵の骨格を意識した色彩に目覚めた。
1918年は関根にとって飛躍の年となり、《信仰の悲しみ》で第5回二科展樗牛(ちょぎゅうしょう)賞を受賞。「関根のヴァーミリオン」と賞賛された朱色や深い青緑などの鮮烈な色彩、幻影と現実が溶け合った独自の絵画世界が評価された。これに前後して《少年》《三星》《子供》などの代表作を発表し、これからの活躍が期待されるも、病に冒されて20歳の短い生涯を終えた。
本展では、関根の遺作展の出品後に行方不明となり、100年ぶりに見つかった《少女》(1919)や、新たに発見されたペン画を含む作品約100点を展示。書簡約40点を初公開するほか、関根が強く影響を受けたと考えられるオスカー・ワイルドの『獄中記』などの挿絵資料約20点、深水ら同時代の画家や文学者たちの作品と資料約50点をあわせて紹介する。