EXHIBITIONS
合田佐和子 個展
合田佐和子は1940年高知県生まれ。63年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)を卒業後、唐十郎主宰の劇団「状況劇場」や寺山修司主宰の「天井桟敷」の舞台美術や宣伝などに参加した。当初は立体作品、71年頃からは絵画を制作。81年よりポラロイド写真展を開催するなど多彩な活動を展開し、82年には第1回現代芸術祭「瀧口修造と戦後美術」に取り上げられた。
85年にエジプトに移住するも、翌年に帰国。88年頃に霊的なインスピレーションを受け、オトーマティズム(自動筆記)で描かれたドローイングを多数手がけた。2001年、高知県立美術館の「森村泰昌と合田佐和子展」では新作を発表し、03年には松濤美術館で個展を開催。16年に逝去するまで精力的に活動を続けた。
人物像、とりわけ映画スターをモデルに写実的な絵画作品を描いた合田。また人物像以外にも薔薇のモチーフを好み、その一連のシリーズは、宇宙の先あるいは「あの世」の光景を想像させる。
本展では、様々なメディアで作品を制作した合田の金字塔とも言える、70年代から2000年代の銀幕スターや「眼」を描いた油彩画とドローイングなどを紹介する。
85年にエジプトに移住するも、翌年に帰国。88年頃に霊的なインスピレーションを受け、オトーマティズム(自動筆記)で描かれたドローイングを多数手がけた。2001年、高知県立美術館の「森村泰昌と合田佐和子展」では新作を発表し、03年には松濤美術館で個展を開催。16年に逝去するまで精力的に活動を続けた。
人物像、とりわけ映画スターをモデルに写実的な絵画作品を描いた合田。また人物像以外にも薔薇のモチーフを好み、その一連のシリーズは、宇宙の先あるいは「あの世」の光景を想像させる。
本展では、様々なメディアで作品を制作した合田の金字塔とも言える、70年代から2000年代の銀幕スターや「眼」を描いた油彩画とドローイングなどを紹介する。