EXHIBITIONS
INTERFACE ─写真家・東松照明を見る─
1960年代初頭、「家」「占領」「長崎」などのシリーズで日本の写真界に衝撃を与え、戦後の日本を代表する写真家の一人として「戦後写真の巨人」と称される東松照明。
60年代末、米軍基地の取材で沖縄に滞在したことが転機となり、同地を撮影した写真集『太陽の鉛筆』(1975年)を境にして作品制作をモノクロームからカラーへと転換させ、その後、ライフワークとして長崎の取材を継続するなど、2012年に他界するまで数々の作品で多方面に影響を及ぼしてきた。
もうひとつの重要な転機は、86年に東松が受けた心臓のバイパス手術である。東松は「手術を受けてから、どうしても生命力に関心がいく」と語り、以降の作品には、手術の経験ののちに見出した新たな視点と世界観が映し出されるようになった。
本展では第1部と第2部に分け、86年以降に発表されたシリーズ「プラスチックス」(1988-1989年) と「インターフェイス」(1968-1996年※)を展示。「プラスチックス」は、東松が手術後に東京から移住した千葉県の九十九里浜で撮影されたもので、海岸に漂着したプラスチックの残骸が構成的にとらえられている。一方「インターフェイス」は、66年に「潮間帯」として発表された作品に端を発し、のちに「インターフェイス」というタイトルで新たに発表されたものだ。潮の満ち引きにより、海と陸の極端な環境が混じり合って独自の生態系が存在するエリアを、東松は俯瞰で鮮明にとらえている。
展覧会名の「インターフェイス」には、二つの領域が接している境界あるいはその界面という意味があり、写真家自身の本質的なテーマと重なる。本展で展示する2つのシリーズにも、自然と文明、過去と未来など、様々な「インターフェイス」が示唆され、重層的で唯一無二の作品世界が浮かび上がることだろう。
2つのシリーズを通し、東松照明とはどのような写真家だったのかを感じとりたい。
(※展示作品撮影年)
60年代末、米軍基地の取材で沖縄に滞在したことが転機となり、同地を撮影した写真集『太陽の鉛筆』(1975年)を境にして作品制作をモノクロームからカラーへと転換させ、その後、ライフワークとして長崎の取材を継続するなど、2012年に他界するまで数々の作品で多方面に影響を及ぼしてきた。
もうひとつの重要な転機は、86年に東松が受けた心臓のバイパス手術である。東松は「手術を受けてから、どうしても生命力に関心がいく」と語り、以降の作品には、手術の経験ののちに見出した新たな視点と世界観が映し出されるようになった。
本展では第1部と第2部に分け、86年以降に発表されたシリーズ「プラスチックス」(1988-1989年) と「インターフェイス」(1968-1996年※)を展示。「プラスチックス」は、東松が手術後に東京から移住した千葉県の九十九里浜で撮影されたもので、海岸に漂着したプラスチックの残骸が構成的にとらえられている。一方「インターフェイス」は、66年に「潮間帯」として発表された作品に端を発し、のちに「インターフェイス」というタイトルで新たに発表されたものだ。潮の満ち引きにより、海と陸の極端な環境が混じり合って独自の生態系が存在するエリアを、東松は俯瞰で鮮明にとらえている。
展覧会名の「インターフェイス」には、二つの領域が接している境界あるいはその界面という意味があり、写真家自身の本質的なテーマと重なる。本展で展示する2つのシリーズにも、自然と文明、過去と未来など、様々な「インターフェイス」が示唆され、重層的で唯一無二の作品世界が浮かび上がることだろう。
2つのシリーズを通し、東松照明とはどのような写真家だったのかを感じとりたい。
(※展示作品撮影年)





