EXHIBITIONS
村野藤吾の建築
-世界平和記念聖堂を起点に
日本を代表する建築家の一人である村野藤吾(1891~1984)は、戦前戦後を通じて関西を中心に活動し、そごう百貨店(1935)、宇部市民館(現 宇部市渡辺翁記念会館)(1937)、大阪新歌舞伎座(1958)、日本生命日比谷ビル(日生劇場)(1963)など数多くの個性豊かな建築を手がけた。
没後10年が経過した1994年、村野の遺族が京都工芸繊維大学美術工芸資料館に5万点を超える設計原図を寄贈。同大学建築学研究室と外部研究者で構成された「村野藤吾の設計研究会」によって整理と研究が進められ、その成果はこれまで14回の展覧会で発表されている。建築を志す学生たちが制作した緻密な模型は、まるでその中を歩いているかのように、さらには通常では難しい俯瞰の視点で、村野の建築を全体から細部にわたって体感できる。
本展では、広島において村野が手がけた世界平和記念聖堂を大きく取りあげる。1954年竣工の代表作であり、この建築で村野は翌年度の日本建築学会賞を受賞し、2006年には戦後建築物として初めて、国の重要文化財に指定。幾多の試行錯誤を物語る、何度もデザインを重ねた聖堂の検討案は展覧会の見どころのひとつだ。またこの聖堂に注がれたこだわりは、時間と共に趣を醸し出すファサード、独特の陰影、素材の質感や手触り、和と洋の絶妙な融合、やわらかな曲線の美しさなど随所にあらわれ、それらは晩年に至るまで多様に展開された村野建築の特徴でもあった。村野の感性と経験によって生み出された自由で豊かな世界とその思想を、さまざまな観点から感じられる機会となるだろう。
没後10年が経過した1994年、村野の遺族が京都工芸繊維大学美術工芸資料館に5万点を超える設計原図を寄贈。同大学建築学研究室と外部研究者で構成された「村野藤吾の設計研究会」によって整理と研究が進められ、その成果はこれまで14回の展覧会で発表されている。建築を志す学生たちが制作した緻密な模型は、まるでその中を歩いているかのように、さらには通常では難しい俯瞰の視点で、村野の建築を全体から細部にわたって体感できる。
本展では、広島において村野が手がけた世界平和記念聖堂を大きく取りあげる。1954年竣工の代表作であり、この建築で村野は翌年度の日本建築学会賞を受賞し、2006年には戦後建築物として初めて、国の重要文化財に指定。幾多の試行錯誤を物語る、何度もデザインを重ねた聖堂の検討案は展覧会の見どころのひとつだ。またこの聖堂に注がれたこだわりは、時間と共に趣を醸し出すファサード、独特の陰影、素材の質感や手触り、和と洋の絶妙な融合、やわらかな曲線の美しさなど随所にあらわれ、それらは晩年に至るまで多様に展開された村野建築の特徴でもあった。村野の感性と経験によって生み出された自由で豊かな世界とその思想を、さまざまな観点から感じられる機会となるだろう。