EXHIBITIONS
野沢裕
≠ -not equal
あたりまえに通り過ぎてしまうような情景に少しだけ手を加えることで独特の風景をユーモラスに演出する野沢の作品は、いつかどこかでみた記録の断片が、長い道のりを経て再び立ちあがり、時の進行を惑わすミニマルな空間を生み出している。野沢の作品には、例えば、ふと時計を見たときに12時34分だったというような、小さな、何でもない驚きが散りばめられている。そのような驚きの体験は、鑑賞者が次々と自発的に作品の中のルールを発見していく可能性を示唆。その発見はときに作家自身も意図していないものでもあり、作品を介してそれぞれの記憶へと接続していく。
本展のタイトル「≠(ノットイコール)」は出展作品の中のひとつでもある「≠ 鳥 3」の図像から連想されているとともに、これまでの野沢の作品全体をも表しているとも言える。 彼の作品には同じモチーフが繰り返し登場。フレームであるアクリル板と写真に取り込まれたアクリル板の線、それは同じものであると同時に異なるものでもあり、そのアクリル板をフレームとして認識することは、もはや困難だ。 また、「cloth」(2014)においても同様に、映像作品に登場するモチーフは同時に その映像が映し出されるスクリーンにもなっている。記録された平面と三次元に立ち上がるインスタレーション空間、そして時間といった要素を複雑に絡み合わせることで、作品と空間、そして鑑賞者との境界は曖昧になっていき、私たちをいつもと少しだけ違う世界に誘う。
野沢は鑑賞者に対して「行ったり来たりしてほしい」のだと言う。彼の仕掛ける演出は他愛のないものであり、物語やアレゴリーを包摂する類のものではない。しかし、その遊びに満ちた展示空間に足を踏み入れたとき、見る者の思考は一瞬間ストップさせられ、宙に漂い、さまよう。野沢の仕掛けた場所を介し現実と虚構との間を行き来することで、私たちは自らの日常が更新されていることに気がつくのではないだろうか。
本展のタイトル「≠(ノットイコール)」は出展作品の中のひとつでもある「≠ 鳥 3」の図像から連想されているとともに、これまでの野沢の作品全体をも表しているとも言える。 彼の作品には同じモチーフが繰り返し登場。フレームであるアクリル板と写真に取り込まれたアクリル板の線、それは同じものであると同時に異なるものでもあり、そのアクリル板をフレームとして認識することは、もはや困難だ。 また、「cloth」(2014)においても同様に、映像作品に登場するモチーフは同時に その映像が映し出されるスクリーンにもなっている。記録された平面と三次元に立ち上がるインスタレーション空間、そして時間といった要素を複雑に絡み合わせることで、作品と空間、そして鑑賞者との境界は曖昧になっていき、私たちをいつもと少しだけ違う世界に誘う。
野沢は鑑賞者に対して「行ったり来たりしてほしい」のだと言う。彼の仕掛ける演出は他愛のないものであり、物語やアレゴリーを包摂する類のものではない。しかし、その遊びに満ちた展示空間に足を踏み入れたとき、見る者の思考は一瞬間ストップさせられ、宙に漂い、さまよう。野沢の仕掛けた場所を介し現実と虚構との間を行き来することで、私たちは自らの日常が更新されていることに気がつくのではないだろうか。


