EXHIBITIONS
三鷹市美術ギャラリー開館25周年
横山操展~アトリエより~
日本画の大きな転換期であった戦後日本の画壇で活躍し、代表作《炎炎桜島》をはじめ、水墨による迫力ある作品を手がけた横山操(みさお)。1920年、新潟県西蒲原郡吉田町(現・燕市)に生まれた横山は、高等小学校卒業後14歳で上京し、文京区の図案社などで働きながら画家としての道を少しずつ歩み始める。しかし20歳で召集、中国各地を転戦したのちシベリアに抑留され、復員したのは約10年後の1950年であった。
その後は川端龍子の青龍社を中心に、自らの生きる「いま」を力強い大画面の日本画で描くと同時に、故郷の山並みや夕景を独自の叙情性で表現した。66年には多摩美術大学日本画科教授に就任し、後進の指導にも情熱を注ぐようになる。そのさなか、71年4月に脳卒中で倒れ右半身不随となり、利き腕の右手が使えなくなってしまう。しかし、制作に向かう姿勢は止むことなく、リハビリに徹し、11月には絵筆を左手に持ち替えて制作を再開。《むさし乃》など静謐な画面を何点か描き、73年に逝去した。
三鷹市美術ギャラリー開館記念展「絵画新生の熱情 横山操展」から25年、2度目の展覧会となる本展では、三鷹市大沢のアトリエに残された未陳未公開を含む作品に加え、愛用の筆、顔料、画材などの小品を展示する。
その後は川端龍子の青龍社を中心に、自らの生きる「いま」を力強い大画面の日本画で描くと同時に、故郷の山並みや夕景を独自の叙情性で表現した。66年には多摩美術大学日本画科教授に就任し、後進の指導にも情熱を注ぐようになる。そのさなか、71年4月に脳卒中で倒れ右半身不随となり、利き腕の右手が使えなくなってしまう。しかし、制作に向かう姿勢は止むことなく、リハビリに徹し、11月には絵筆を左手に持ち替えて制作を再開。《むさし乃》など静謐な画面を何点か描き、73年に逝去した。
三鷹市美術ギャラリー開館記念展「絵画新生の熱情 横山操展」から25年、2度目の展覧会となる本展では、三鷹市大沢のアトリエに残された未陳未公開を含む作品に加え、愛用の筆、顔料、画材などの小品を展示する。