EXHIBITIONS
広重 二つの東海道五拾三次
保永堂版と丸清版
江戸後期に活躍した歌川広重の代表作《東海道五拾三次》を保永堂版と丸清版、2つのバージョンで紹介する展覧会が開催される。
天保3年(1832)の夏、広重は京都御所へ御料馬を献上する八朔御馬進献の行事を記録するために江戸から京都へ上ったとされ、道中のスケッチをもとに《東海道五拾三次之内》を描いた。本作は保永堂と僊鶴(せんかく)堂から共同で出版、のちに保永堂の単独出版となり、53ヵ所の宿場町に日本橋と京都を加えた全55図の大判錦絵として完結。これが、今日もっともよく知られる「保永堂版」の東海道となる。
当時人々の旅や行楽への欲求を背景に、《東海道五拾三次之内》で名所絵師としての確固たる地位を築いた広重は、生涯にわたって20種類以上もの東海道シリーズを制作。50代で描いた「丸清版」の東海道はその一つで、丸屋清次郎の寿鶴堂から出版され、画題が隷書体で書かれていることから通称「隷書版東海道」とも呼ばれている。
本展では、《東海道五拾三次》の「保永堂版」と「丸清版」を同時に展示。大正時代に撮影された宿場の写真も加え、同じ宿場を描きながらも、構図や色数、題材へのとらえ方の違いが見られる2つの東海道の風景を楽しむことができる。
天保3年(1832)の夏、広重は京都御所へ御料馬を献上する八朔御馬進献の行事を記録するために江戸から京都へ上ったとされ、道中のスケッチをもとに《東海道五拾三次之内》を描いた。本作は保永堂と僊鶴(せんかく)堂から共同で出版、のちに保永堂の単独出版となり、53ヵ所の宿場町に日本橋と京都を加えた全55図の大判錦絵として完結。これが、今日もっともよく知られる「保永堂版」の東海道となる。
当時人々の旅や行楽への欲求を背景に、《東海道五拾三次之内》で名所絵師としての確固たる地位を築いた広重は、生涯にわたって20種類以上もの東海道シリーズを制作。50代で描いた「丸清版」の東海道はその一つで、丸屋清次郎の寿鶴堂から出版され、画題が隷書体で書かれていることから通称「隷書版東海道」とも呼ばれている。
本展では、《東海道五拾三次》の「保永堂版」と「丸清版」を同時に展示。大正時代に撮影された宿場の写真も加え、同じ宿場を描きながらも、構図や色数、題材へのとらえ方の違いが見られる2つの東海道の風景を楽しむことができる。