EXHIBITIONS
森山安英 解体と再生
1960年代に北九州で結成された反芸術の前衛グループ「集団蜘蛛」の過激な運動後、現在も同市を拠点に活動する画家、森山安英の初となる大規模展覧会が開催される。
森山は36年、八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。先行する前衛美術グループ「九州派」の強い影響を受けながら、68年に地元作家たちとともに「集団蜘蛛」を結成し、まもなく3人のメンバーに少数精鋭化されると、既存の美術団体や権威、さらに同時代の前衛運動も標的に、あらゆる芸術表現を否定する過激なハプニングを繰り返した。
その後、15年の長い沈黙の時期を経て、87年から突如として銀一色の絵画作品の制作を開始。筆を使わず、絵具を流し込んで画面を覆っていく手法を用いた「アルミナ頌」「光ノ表面トシテノ銀色」などのシリーズで、「描く」という行為を問い直した。
いっぽう、2001年以降には度々「普通の絵が描きたい」と口にし、色やかたちといった絵画的要素や社会的なテーマを積極的に取り入れ、近年は具象画も手がけている。
本展は、1987年以降の全シリーズを一堂に展示。「集団蜘蛛」時代の作品や資料も紹介し、北九州の地で「絵画とは何か」を問い続けてきた森山の全貌に迫る。
森山は36年、八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。先行する前衛美術グループ「九州派」の強い影響を受けながら、68年に地元作家たちとともに「集団蜘蛛」を結成し、まもなく3人のメンバーに少数精鋭化されると、既存の美術団体や権威、さらに同時代の前衛運動も標的に、あらゆる芸術表現を否定する過激なハプニングを繰り返した。
その後、15年の長い沈黙の時期を経て、87年から突如として銀一色の絵画作品の制作を開始。筆を使わず、絵具を流し込んで画面を覆っていく手法を用いた「アルミナ頌」「光ノ表面トシテノ銀色」などのシリーズで、「描く」という行為を問い直した。
いっぽう、2001年以降には度々「普通の絵が描きたい」と口にし、色やかたちといった絵画的要素や社会的なテーマを積極的に取り入れ、近年は具象画も手がけている。
本展は、1987年以降の全シリーズを一堂に展示。「集団蜘蛛」時代の作品や資料も紹介し、北九州の地で「絵画とは何か」を問い続けてきた森山の全貌に迫る。