EXHIBITIONS
藤井博「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」
石井友人と高石晃がキュレーションし、藤井博が作品出品を行う展覧会「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」が開催される。
1942年生まれの藤井は、70年にギャラリー内で生肉と鉛を併置する「波動1」でキャリアをスタートさせ、同年に「スペース戸塚 ’70」(横浜市戸塚区)にて榎倉康二・高山登・羽生真とともに作品《ハプニング》を発表し、「もの」による知覚や認識を撹乱させる作家としての独自のスタンスを獲得。その制作スタンスにより、同時代的に活動を展開した「もの派」の周辺的な作家としてまま位置づけられるも、長年の活動が積極的に歴史化されることはなかった。
キュレーションを担当した石井と高石は、2015年に自主企画展「わたしの穴 美術の穴」において「スペース戸塚 ’70」を検証し、中でも同展にて大地に掘られた「穴」という空間に関心を寄せ、時代背景を探りながらその表現行為の根源的意味を考察した。本展タイトルの一部として採用された「わたしの穴」とは、藤井により大地(空間・社会)に穿たれた「穴」であり、同時に藤井自身に内在する「穴」と見立てることもできる。そのような「穴」は、人間が構造的に持たざるを得ない存在的根拠、その消え去りの「裂傷」の経験として、私たちの前に再帰的に立ち現れるだろう。
本展では、藤井の最初期作《無題》(1969)の再演作品のほか、《波動A》(スペース戸塚 ’70、1970)の記録写真、パフォーマンス映像《肉・街・路》(1973)、レリーフ状平面作品《ためられる時間・空間質》(1990)など、69年~90年の代表的な作品を展示。作家の活動意義を問い直すことを主眼とせず、過去から現在に向け伸張する藤井作品が、現在において作用する圧倒的な必然性にこそ注目する。
1942年生まれの藤井は、70年にギャラリー内で生肉と鉛を併置する「波動1」でキャリアをスタートさせ、同年に「スペース戸塚 ’70」(横浜市戸塚区)にて榎倉康二・高山登・羽生真とともに作品《ハプニング》を発表し、「もの」による知覚や認識を撹乱させる作家としての独自のスタンスを獲得。その制作スタンスにより、同時代的に活動を展開した「もの派」の周辺的な作家としてまま位置づけられるも、長年の活動が積極的に歴史化されることはなかった。
キュレーションを担当した石井と高石は、2015年に自主企画展「わたしの穴 美術の穴」において「スペース戸塚 ’70」を検証し、中でも同展にて大地に掘られた「穴」という空間に関心を寄せ、時代背景を探りながらその表現行為の根源的意味を考察した。本展タイトルの一部として採用された「わたしの穴」とは、藤井により大地(空間・社会)に穿たれた「穴」であり、同時に藤井自身に内在する「穴」と見立てることもできる。そのような「穴」は、人間が構造的に持たざるを得ない存在的根拠、その消え去りの「裂傷」の経験として、私たちの前に再帰的に立ち現れるだろう。
本展では、藤井の最初期作《無題》(1969)の再演作品のほか、《波動A》(スペース戸塚 ’70、1970)の記録写真、パフォーマンス映像《肉・街・路》(1973)、レリーフ状平面作品《ためられる時間・空間質》(1990)など、69年~90年の代表的な作品を展示。作家の活動意義を問い直すことを主眼とせず、過去から現在に向け伸張する藤井作品が、現在において作用する圧倒的な必然性にこそ注目する。


