EXHIBITIONS
呉昌碩とその時代 ―苦鉄没後90年―
300年近く存続した清王朝の最後を飾る文人として知られ、中華民国の初期まで、書・画・印に妙腕をふるった呉昌碩(ご・しょうせき)。
昌碩は幼少から私塾に通い勉学を積むも、太平天国の乱によって一家は離散、17〜21歳まで凄惨な放浪生活を強いられた。乱の平定後は村人に学問を教え、地方の小職に就きながら、書画篆刻に勤しむ。56歳のときに安東県(江蘇省)の知事となるも、腐敗した官界に耐えられず1ヶ月で辞職。すでに盛名を馳せていた昌碩は書画篆刻で生計を立て、84歳で没するまで在野の職業文人として、旺盛な創作を展開した。その紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文の臨書に励み、風韻を書・画・印に結実させている。
昌碩没後90年の節目に開催される本展では、重厚な運筆のなかに輝きを見せる作品を概観し、その業績を顕彰。台東区立書道博物館、朝倉彫塑館でも連動企画が行われる。
昌碩は幼少から私塾に通い勉学を積むも、太平天国の乱によって一家は離散、17〜21歳まで凄惨な放浪生活を強いられた。乱の平定後は村人に学問を教え、地方の小職に就きながら、書画篆刻に勤しむ。56歳のときに安東県(江蘇省)の知事となるも、腐敗した官界に耐えられず1ヶ月で辞職。すでに盛名を馳せていた昌碩は書画篆刻で生計を立て、84歳で没するまで在野の職業文人として、旺盛な創作を展開した。その紀元前5世紀ごろの古代文字である石鼓文の臨書に励み、風韻を書・画・印に結実させている。
昌碩没後90年の節目に開催される本展では、重厚な運筆のなかに輝きを見せる作品を概観し、その業績を顕彰。台東区立書道博物館、朝倉彫塑館でも連動企画が行われる。