EXHIBITIONS
白隠禅師250年遠諱記念展
駿河の白隠さん
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」と称えられ、臨済禅の中興の祖としてとりわけ禅の民衆化に努めたことで知られる禅師・白隠慧鶴(はくいん・えかく)。白隠は、江戸時代中期、駿河国原宿(現・静岡県沼津市)の町屋に生まれ、15歳で出家して原の松蔭寺に入ったのち諸国を行脚し、飯山(現・長野県)で悟りを開いた。32歳の時、請われて松蔭寺に帰り、これを復興。晩年は三島の龍澤寺を開山し、松蔭寺で84年の長寿をまっとうする。
白隠は60代後半以降(宝暦~明和期)、達磨や観音、あるいは祖師のほか、様々な恰好の布袋や大黒をはじめとした七福神、親孝行などを説いた墨蹟や絵画を描いた。宝暦~明和期の江戸では錦絵が誕生し、京では白隠に参禅した池大雅や伊藤若冲が活躍している。
本展では、静岡県内の寺院や県にゆかりのある白隠の書画を中心とする135件を一堂に集め、その画風の変遷や江戸絵画への影響を紹介。江戸時代の社会における白隠、美術史的側面からみた白隠を改めて顕彰する。
白隠は60代後半以降(宝暦~明和期)、達磨や観音、あるいは祖師のほか、様々な恰好の布袋や大黒をはじめとした七福神、親孝行などを説いた墨蹟や絵画を描いた。宝暦~明和期の江戸では錦絵が誕生し、京では白隠に参禅した池大雅や伊藤若冲が活躍している。
本展では、静岡県内の寺院や県にゆかりのある白隠の書画を中心とする135件を一堂に集め、その画風の変遷や江戸絵画への影響を紹介。江戸時代の社会における白隠、美術史的側面からみた白隠を改めて顕彰する。






