EXHIBITIONS
ましみ「そくさい」
trafficでましみの個展「そくさい」が開催されている。
ましみは福岡県生まれ、多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース卒業。おもにシャーペンと百均のお絵かき帖を使って、他者の認知に働きかけることを目的とした絵を描く。テーマは、自分や他者の感覚に対する解像度や、関わりそのものなど、その時々に関心を持ったこと。
本展では、ドローイング作品のほか、完成されたドローイングを複数の下絵を束ねる光とともに鑑賞する「ライトボックス」シリーズ、スマホで撮影されたドローイングの一部をキャンバスにプリントした「トリミング」シリーズを展示する。ましみは以下のステートメントを発表している。
「自分にとって制作すること、絵を描くことは、自分の曖昧な領域や、相対的な他者の感覚に対する、解像度を深めるためにある。思えば、言語能力そのものや、それが必要なシチュエーションに対して自分はかなり苦手意識があり、感覚と言葉がうまく噛み合わないことがある。
作品ごとに設定されるテーマは、そういった感覚の域を出ず、自分では言葉に表せない範囲にあることがほとんどだ。自分が持つ言語として、不明瞭なそれを「作品」に置換することは、鑑賞者による、共通の言語である「言葉」へと変換される。他者との異なる言語を交えたコミュニケーションによって、自分の作品ははじめて完成するのかもしれない。
そくさいという言葉に抱くイメージと、自分の絵の温度は近いような気がする。病気をしないで、元気なこと。あなたもどうかそくさいで」。
ましみは福岡県生まれ、多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース卒業。おもにシャーペンと百均のお絵かき帖を使って、他者の認知に働きかけることを目的とした絵を描く。テーマは、自分や他者の感覚に対する解像度や、関わりそのものなど、その時々に関心を持ったこと。
本展では、ドローイング作品のほか、完成されたドローイングを複数の下絵を束ねる光とともに鑑賞する「ライトボックス」シリーズ、スマホで撮影されたドローイングの一部をキャンバスにプリントした「トリミング」シリーズを展示する。ましみは以下のステートメントを発表している。
「自分にとって制作すること、絵を描くことは、自分の曖昧な領域や、相対的な他者の感覚に対する、解像度を深めるためにある。思えば、言語能力そのものや、それが必要なシチュエーションに対して自分はかなり苦手意識があり、感覚と言葉がうまく噛み合わないことがある。
作品ごとに設定されるテーマは、そういった感覚の域を出ず、自分では言葉に表せない範囲にあることがほとんどだ。自分が持つ言語として、不明瞭なそれを「作品」に置換することは、鑑賞者による、共通の言語である「言葉」へと変換される。他者との異なる言語を交えたコミュニケーションによって、自分の作品ははじめて完成するのかもしれない。
そくさいという言葉に抱くイメージと、自分の絵の温度は近いような気がする。病気をしないで、元気なこと。あなたもどうかそくさいで」。

