EXHIBITIONS
フジフイルム スクエア 企画写真展
広川泰士写真展「2023-2011 あれから」
フジフイルム スクエア内にある富士フイルムフォトサロンで「 広川泰士写真展「フジフイルム スクエア 企画写真展 『2023-2011 あれから』」が開催されている。
広川は、1974年、写真家として活動を開始して以来、ファッションや広告などの写真をはじめCM、映画撮影など多様なメディアで活躍を続ける。いっぽう、地方に暮らす人々にデザイナーズ・ブランドの服を着せて撮影した異色のポートレート「sonomama sonomama」や、自然と人工物の風景によって地球の営みと人間存在の関係性を問いかけた「BABEL-ORDINARY LANDSCAPES」など、独自の視点で多くの作品を生み出し、高い評価を得ている。
本展は、2011年から現在まで、東日本大震災の被災各地の風景とそこに暮らす家族のポートレートを初めて展示する。2011年の東日本大震災発生時、想像を絶する津波の被害の様子を知り、広川は「何ができるかを考えていたが、気づくと体が動いていた」という。まだ水の引かない被災地には、水のなかに浮かぶアルバムや写真、かつて家があった場所で家族の写真を探す多くの人たちの姿は、広川の記憶に深く刻まれることとなった。
2011年10月地元での縁がつながり気仙沼市役所の一角で、撮影を希望する被災した家族の撮影会を無償で開催。以来、新型コロナウイルスの感染拡大で自粛を余儀なくされた期間を除き、現在に至るまで毎年、撮影会を継続している。並行して釜石、陸前高田、気仙沼周辺の定点観測撮影も12年間にわたり続けている。
本展は、これらの記録と家族たちのポートレートを同時に展示することで、あらがいようのない大きな自然の力で破壊されたランドスケープと、根底から覆された人々の営みが、震災前とは姿を変えながら時とともに修復されていくプロセスを垣間見ることができる。震災からの12年間と今後に思いをいたす契機となる写真展と言える。
広川は、1974年、写真家として活動を開始して以来、ファッションや広告などの写真をはじめCM、映画撮影など多様なメディアで活躍を続ける。いっぽう、地方に暮らす人々にデザイナーズ・ブランドの服を着せて撮影した異色のポートレート「sonomama sonomama」や、自然と人工物の風景によって地球の営みと人間存在の関係性を問いかけた「BABEL-ORDINARY LANDSCAPES」など、独自の視点で多くの作品を生み出し、高い評価を得ている。
本展は、2011年から現在まで、東日本大震災の被災各地の風景とそこに暮らす家族のポートレートを初めて展示する。2011年の東日本大震災発生時、想像を絶する津波の被害の様子を知り、広川は「何ができるかを考えていたが、気づくと体が動いていた」という。まだ水の引かない被災地には、水のなかに浮かぶアルバムや写真、かつて家があった場所で家族の写真を探す多くの人たちの姿は、広川の記憶に深く刻まれることとなった。
2011年10月地元での縁がつながり気仙沼市役所の一角で、撮影を希望する被災した家族の撮影会を無償で開催。以来、新型コロナウイルスの感染拡大で自粛を余儀なくされた期間を除き、現在に至るまで毎年、撮影会を継続している。並行して釜石、陸前高田、気仙沼周辺の定点観測撮影も12年間にわたり続けている。
本展は、これらの記録と家族たちのポートレートを同時に展示することで、あらがいようのない大きな自然の力で破壊されたランドスケープと、根底から覆された人々の営みが、震災前とは姿を変えながら時とともに修復されていくプロセスを垣間見ることができる。震災からの12年間と今後に思いをいたす契機となる写真展と言える。
