EXHIBITIONS
ニール・ホッド「Echo of Memories」
イスラエル出⾝で、現在ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、ニール・ホッドの⽇本初個展「Echo of Memories」がKOTARO NUKAGAで開催されている。
1970年イスラエル・テルアビブ⽣まれ。ベツァルエル美術デザイン学院在学中に、ニューヨークのクーパー・ユニオン美術学部に留学。彫刻、映像、キャンバスといった様々なメディウムを横断し、美しさ、コントラスト、セクシュアリティ、退廃、失われゆく純粋さといった概念の内側や周縁を⾃由に行き来し表現している。
本展は、ホッドの代表作であるクローム絵画のシリーズ「The Life We Left Behind」からの新作と、ファウンドフォトをベースに新たなイメージをつくり上げたモノクローム絵画の新作で構成される。
展覧会タイトルに⽰された「エコー(Echo)」は、古代ギリシアにおいて、⼭や⾕に向かって発した⾳の反響を⽊の妖精であるエーコーが返事したものだと考えたことから、それを「エーコー」と呼んでいたことに由来する。同様に⽇本においても「こだま」は「⽊霊」と表記され、樹⽊に宿る精霊を意味している。洋の東⻄を問わず、⼈々はこの⾳が反響し、響く現象に精霊の仕業といったような神秘的な想像⼒を働かせていたといえる。
ホッドのつくり出すクローム絵画はその鏡⾯性を持った表⾯特性から、環境や鑑賞者を絵画の世界に取り込みながら、揺らぎ変化を続け、終わりのない反響のなかに思考を連れ込む。抽象画を描くかのように、⿊やグレー、⻘、緑、そしてクロームを塗布されたキャンバスは、さらに作家⾃⾝の思い描いたナラティブを実現させるために、アンモニアやガソリン、様々な酸といった化合物が加えられ、その化学反応によって⾊彩層を劣化させていく。最終的に⾊彩は部分的に剥がされ、この破壊的⾏為のなかからホッドはクロームの光の輝きをすくい上げる。これは破壊と創造という⼆律背反のパラドックスのなかから光明を⽣み出すものであり、ホッドの絵画に神秘的な⼒をもたらしている。
複雑な鏡⾯は世界を完全にはリフレクトさせず、減衰するエコーのように世界を抽象化させるが、この絵画の前に鑑賞者が前に⽴つことで機能する記憶と響き合う装置となり、破壊された場所に新しいナラティブを⽣み出すように見る者を誘う。
他方、古い写真のもろさを感じさせるモノクロームの絵画には、ホッドがファウンドフォトで見つけた死や破壊、醜さ、悲しみといった世界にあふれるタブーとされるようなイメージが描かれている。ホッドはそこに創造や美しさ、喜びという⼆律背反する概念を同居させ、清濁併せ持ったイメージをつくり出している。
本展覧会を通じてホッドは、記憶、光と反射、喪失とトラウマ、破壊と再⽣、そしてそれらが⽣み出す⼈の想像⼒といった概念へのあくなき探求を、絵画というオブジェクトワークの枠を超えて⽰す。そしてアートによって事実ではなく、美を語る。
1970年イスラエル・テルアビブ⽣まれ。ベツァルエル美術デザイン学院在学中に、ニューヨークのクーパー・ユニオン美術学部に留学。彫刻、映像、キャンバスといった様々なメディウムを横断し、美しさ、コントラスト、セクシュアリティ、退廃、失われゆく純粋さといった概念の内側や周縁を⾃由に行き来し表現している。
本展は、ホッドの代表作であるクローム絵画のシリーズ「The Life We Left Behind」からの新作と、ファウンドフォトをベースに新たなイメージをつくり上げたモノクローム絵画の新作で構成される。
展覧会タイトルに⽰された「エコー(Echo)」は、古代ギリシアにおいて、⼭や⾕に向かって発した⾳の反響を⽊の妖精であるエーコーが返事したものだと考えたことから、それを「エーコー」と呼んでいたことに由来する。同様に⽇本においても「こだま」は「⽊霊」と表記され、樹⽊に宿る精霊を意味している。洋の東⻄を問わず、⼈々はこの⾳が反響し、響く現象に精霊の仕業といったような神秘的な想像⼒を働かせていたといえる。
ホッドのつくり出すクローム絵画はその鏡⾯性を持った表⾯特性から、環境や鑑賞者を絵画の世界に取り込みながら、揺らぎ変化を続け、終わりのない反響のなかに思考を連れ込む。抽象画を描くかのように、⿊やグレー、⻘、緑、そしてクロームを塗布されたキャンバスは、さらに作家⾃⾝の思い描いたナラティブを実現させるために、アンモニアやガソリン、様々な酸といった化合物が加えられ、その化学反応によって⾊彩層を劣化させていく。最終的に⾊彩は部分的に剥がされ、この破壊的⾏為のなかからホッドはクロームの光の輝きをすくい上げる。これは破壊と創造という⼆律背反のパラドックスのなかから光明を⽣み出すものであり、ホッドの絵画に神秘的な⼒をもたらしている。
複雑な鏡⾯は世界を完全にはリフレクトさせず、減衰するエコーのように世界を抽象化させるが、この絵画の前に鑑賞者が前に⽴つことで機能する記憶と響き合う装置となり、破壊された場所に新しいナラティブを⽣み出すように見る者を誘う。
他方、古い写真のもろさを感じさせるモノクロームの絵画には、ホッドがファウンドフォトで見つけた死や破壊、醜さ、悲しみといった世界にあふれるタブーとされるようなイメージが描かれている。ホッドはそこに創造や美しさ、喜びという⼆律背反する概念を同居させ、清濁併せ持ったイメージをつくり出している。
本展覧会を通じてホッドは、記憶、光と反射、喪失とトラウマ、破壊と再⽣、そしてそれらが⽣み出す⼈の想像⼒といった概念へのあくなき探求を、絵画というオブジェクトワークの枠を超えて⽰す。そしてアートによって事実ではなく、美を語る。






