EXHIBITIONS
細倉を記録した寺崎英子のまなざし展
75歳で亡くなった寺崎英子から託された、約1万3000カットのネガフィルムをアーカイブし、写真集刊行を目指すプロジェクトが行われる。
寺崎は1941年旧満州に生まれ、終戦後は家族とともに宮城県鶯沢町細倉(現・栗原市)に移住。幼少期に脊髄カリエスを患い、闘病後は家業の商店の経理で生計を担った。細倉鉱山の閉山が発表された直後から鉱山の町に暮らす人々を撮り始め、モノクロでは246本、カラーでは140本のネガフィルムを残した。
本展では、アーカイブ途上のモノクロ写真を約300点を、撮影ノートなどの資料とともに紹介する。
寺崎は1941年旧満州に生まれ、終戦後は家族とともに宮城県鶯沢町細倉(現・栗原市)に移住。幼少期に脊髄カリエスを患い、闘病後は家業の商店の経理で生計を担った。細倉鉱山の閉山が発表された直後から鉱山の町に暮らす人々を撮り始め、モノクロでは246本、カラーでは140本のネガフィルムを残した。
本展では、アーカイブ途上のモノクロ写真を約300点を、撮影ノートなどの資料とともに紹介する。


